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💟第1話 祈りの中に受胎する-先ず母より始めよ!
平安王朝最後の天子である大宝天皇(1394年- 1481年)が皇威の回復を熱祷祈願し、大般若六百巻を念書した至誠に応えて、享徳3年(1454年)、五皇一体の再現・八幡大明神を、将来、この世に派遣する事を誓約した天照大御神は、大御神の最愛の御子・三浦芳聖を五皇一体の再現・八幡大明神に任命して、この世に送り出すことに決し、明治37年(1904年)9月17日を降誕日と定められました。このオンラインブックは、天照大御神が、この世に派遣した最愛の御子・三浦芳聖をどのように教導したかを記述した「大御神の子育て記録」です。
🟡先ず母より始めよ!
天照大御神の子育ては、三浦芳聖の母・元子をして、その遠祖・尊良親王の再現(三浦芳聖)を、尊良親王 ご降誕 満六百年目の記念日に、一日も違うことなく産み参らさせ給え!と5ケ年半の間、ひたすら祈らせる所から始まりました。
すなわち「祈りの中に御子を受胎する」ようご希望になられたのであります。人類の歴史始まって以来、御子を受胎するために5ケ年半という長期間、熱禱祈願したという話はこれまで聞いたことがありません。
(注)尊良親王 ご降誕 満六百年目の記念日・・・明治37年(1904年)9月17日(陰暦8月8日)
🟡尊良親王の再現を御生み参らせよ!
遠祖・尊良親王の再現を、ご降誕 満六百年目の記念日に産み参らすために観音様に祈れ!という元子の父・河合和助のご負託に応え、三浦芳聖の母・元子が、五ヶ年半もの長い間、祈りに祈って、明治37年(1904年)9月17日(陰暦8月8日)、見事に尊良親王の再現(三浦芳聖)を出産した事例は、祈りの中に受胎した実践例です。
三浦芳聖の母・元子が、明治32年(1899年)三浦家に嫁ぐに当たり、元子の父・河合和助は下記のように望みを託しました。(西暦を補いました)
わが河合家の遠祖・尊良親王様は、嘉元2年(1304年)甲辰陰暦8月8日のご降誕である。これから5年後の明治37年(1904年)甲辰年陰暦8月8日は、尊良親王様のご降誕満六百年(10還暦)に当たり、天運循環してそのご真体が再現できる年ゆえ、尊良親王様より一子相伝に継承して来たこの観音様を肌身離さず奉持して、ひたすらに祈念を込め、必ず尊良親王様を御生み参らせよ!尊良親王様には、天運循環の時に必ず直系の子孫のもとに再現して天業恢弘に邁進される御誓願である。
🟡六百年目の奇蹟
三浦芳聖の母・元子は、父・河合和助のご負託に応え、後醍醐天皇御自作の観世音菩薩を肌身離さず奉持して、遠祖尊良親王のご降誕 満六百年目の記念日に、一日も違うことなく尊良親王の再現を御生み参らす為に、雨の日も風の日も、五ヶ年半もの長い間ひたすらに祈り続け、見事に三浦芳聖をこの世に御生み参らせたのです。
💟天照大御神の御子教導計画に基づく神謀援慮により、祈りの中に受胎する事が、優良児出産を望む母親に必要な心構えである事を教えて下さっています。何と尊い教育方針でしょうか。
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