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💟神武天皇の神風串呂

はじめに

神皇正統第一代神武天皇の橿原神宮は、八大串呂起点(鑑定元)の一つであると同時に、神武天皇の畝傍御陵と共に、三浦芳聖師が五皇一体の再現・八幡大明神であることを昭示する「串呂基点」の一つでもあります。

三浦芳聖が公表した「橿原神宮および畝傍御陵を基点とする神風串呂」は、下記に紹介した神風串呂の他にも有りますので、順次ご紹介して参りますが、地図検索のお蔭で、「神武」関連の地文の存在が、下記のように多数判明していますので、今後の研究により、あらたな神風串呂が解明されることと思います。

神武天皇像( 静岡県焼津市焼津 焼津神社)

1、神武天皇

在位:神武天皇元年(庚午年)1月1日 - 神武天皇76年3月11日

神皇正統第一代の天皇。神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称される。

天照大御神の五世孫であり、高御産巣日神の五世の外孫と『古事記』『日本書紀』に記述されている。奈良盆地一帯の指導者長髄彦らを滅ぼして一帯を征服(神武東征)。遷都した畝傍橿原宮(現在の奈良県橿原市)にて即位して日本国を建国したと言われる人物。

『ウィキペディア』神武天皇

詳細は、神武天皇(ウィキペディア)を参照下さい。

2、神武天皇をあらわす地文

(1)橿原神宮(かしはらじんぐう、奈良県橿原市畝傍町)
(2)神武天皇御陵(じんむてんのうごりょう、奈良県橿原市大久保町)
(3)神武山(じんむやま、福島県伊達郡国見町大字泉田)
(4)神武天皇神社(福島県いわき市平赤井)
(5)神武殿前(茨城県鹿嶋市大字宮中)
(6)神武天皇社(埼玉県加須市新川通)
(7)神武宮(千葉県木更津市菅生)
(8)神武神社(千葉県富里市十倉)
(9)神武寺(神奈川県逗子市沼間)
(10)神武寺駅(神奈川県逗子市池子京急逗子線)
(11)神武天皇社(福井県坂井市丸岡町四ツ柳)
(12)神武(じんむ、三重県亀山市加太)
(13)神武町(じんむちょう、大阪府八尾市)
(14)神武山公園(じんむさんこうえん、兵庫県豊岡市京町)
(15)神武原(こうたけばる、福岡県糟屋郡宇美町大字宇美)
(16)神武宮(福岡県芦屋町正門町)

3、橿原神宮の神風串呂

橿原神宮(かしはらじんぐう、奈・橿原市畝傍町)

神武天皇を祭神とする元官幣大社。橿原かしはら神宮は、祭神・神武天皇が畝傍山うねびやまの東南・橿原の地に宮を建てられ即位の礼を行われた宮址みやあとに、明治23年(1890年)4月2日に創建された元官幣大社。

現在も毎年2月11日に勅使が参向して例祭(紀元祭きげんさい)が行われている。

古事記や日本書紀で初代天皇とされている神武天皇が、橿原の宮で即位された時、三種の神器を天窓に捧げて高御座(たかみくら)におつきになったと伝承されています。

天照大御神がそのようにお決めになったのだそうです。(「神皇紀」)

🟡『ウィキペディア(Wikipedia)』橿原神宮


(1)神鏡は石鏡であった事を昭示する-⛩皇大神宮内宮と⛩橿原神宮の神風串呂(№17)

三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号(復刻版)」

⛩橿原神宮(橿原市)-西山(宇陀市大宇陀)-大神(宇陀市菟田野)-⛩皇大神宮内宮(伊勢市)-石鏡町(鳥羽市)
 
(三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」50頁)

往昔、神武天皇は橿原の宮に於いて、天照大御神より代々継承した三種の神宝「石鏡」を奉戴して高御座たかみくらについた。神宝「御鏡」は、神武天皇が継承したことを昭示する神風串呂です。

付記
この串呂を東西に延長して見ましたところ、広島県三原市「大和町」の北部、東広島市の「豊栄町」、安芸高田町の「八千代町」などを串線していました。時間が有ったら、詳細に調べるつもりです。

(2)天照御魂大神 日降ヶ丘 降臨の謎を解く! 新串呂解明11-⛩元伊勢内宮と神武天皇 奉斎 ⛩橿原神宮の神風串呂

画像照御魂大神あまてるみたまおおかみの降臨祭の図
大阪府茨木市福井「日降ヶ丘」

西山(🔴西山二串)元伊勢内宮もといせないくう(🟢初二串)位田いでん町-⛩|西山(🔴西山二串)神社-⛩高座たかくら神社-日降ヶ丘ひぶりがおか初香台(🟢初二串)夕陽ケ丘ゆうひがおか大和川やまとがわ第一緑地-大和川やまとがわ橿原かしはら神宮御園みその卍如意輪寺後醍醐ごだいご天皇塔尾とおのおのみささぎ御陵)

4、神武天皇御陵の神風串呂

(じんむてんのう御陵、奈良県橿原市大久保町)
神皇正統第一代神武天皇の御陵。

神武天皇#陵・霊廟- Wikipedia

神武天皇御陵
陵(みささぎ)の名は畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)。宮内庁により奈良県橿原市大久保町の遺跡名・俗称「四条ミサンザイ」 に治定されてい)。宮内庁上の形式は円丘。

記紀によると畝傍山の北方、白檮尾(かしのお)の上にあると記されている。壬申の乱の際に大海人皇子が神懸りした際に「高市社の事代主神と身狭社の生霊神」が表れ「神日本磐余彦天皇の陵に、馬及び種々の兵器を奉れ」と神託を受けたため、神武陵に使者を送って挙兵を報告したとされる。

天武期には陵寺として大窪寺が建てられたと見られる。延喜式の第21巻の『諸陵式』によると神武天皇陵は平安初期には東西1町・南2町の広さであった。貞元2年(977年)には神武天皇ゆかりのこの地に国源寺が建てられたが、中世には神武陵の所在もわからなくなっていた。

神武天皇#陵・霊廟- Wikipedia


(1)神武天皇御陵と松良天皇御陵(三浦芳聖の霊廟)との串呂

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第六章
徳島県三好市三野町「加茂野宮」(地図マピオン)

「加茂野宮」-「由良」-「河合」-「河合寺」-「神武天皇御陵」-「松良天皇御陵(三浦芳聖の霊廟)」-「大登」

松良天皇が神武天皇から継承された神皇正統家の大統を守られたことを表わす。
【参照】大統を守り抜いた松良天皇の神風串呂(№81)

愛知県豊川市御油町筑前ヶ谷「三浦家墓地」(地図マピオン)

(2)神武天皇御陵と三浦芳聖の萩の五ヶ年半仮寓の地との串呂

神武天皇御陵」(奈良県橿原市大久保町)-「三浦芳聖の萩の五ヶ年半仮寓の地」(豊川市萩町上近久)-「無双連山」(静岡県島田市川根町笹間上)-「伝法」(静岡県富士市)

三浦芳聖は、萩の寓居に於て神界より天下無双の秘法を伝授された。

昭和20年(1945年)10月中旬、愛知県豊川市萩町上近久の寓居に居住中の三浦芳聖は、毎朝6時から午後11時まで、大祓神勅奉唱祭祀と山蔭川やまかげがわの清流での禊祓いを8回実施し、神国再建・皇国復興をひたすら祈念する毎日を過ごしていた。

そんな12月のある日、8日間にわたって神界より秘法を伝授されたという。(『姓名鑑定秘法-神界伝法』12頁)

【参照】
この「神武天皇御陵・神界伝法の串呂」について三浦芳聖は下記のように述べている。

昭和20年の12月、8日間に渉りて愛知県宝飯郡萩村寓居に御降臨あらせられて姓名鑑定の秘法を伝法し給いし神武天皇の御陵に(昭和30年)8月17日参拝つかまつり、「姓名鑑定秘法」出版の御奉告つかまつ允許いんきょを得て御陵前にて記念撮影し賢くも神武天皇の御尊影三浦芳聖の頭上に写らせ給う。(後略)」
〔三浦芳聖著「姓名鑑定秘法」11頁・( )内編集者〕

この神霊写真(神武天皇の御尊影)には、日本史の教科書に出ている武士の姿をした埴輪のような上半身鎧姿の御尊影が、向かってやや左前方を向いている様子(横顔)がはっきりと確認できる。

【地文の解釈】
(1)伝法(でんぼう、静岡県富士市)地図
秘法を伝授されたことをあらわす。

(2)無双連山(むそうれんざん、静岡県島田市川根町笹間上)地図
「二つとないこと。並ぶものがないほどすぐれていること」をあらわす。

(3)萩の五ヶ年半仮寓の地(愛知県豊川市萩町上近久)地図
三浦芳聖が昭和20年1月3日より昭和25年8月13日までの5ヶ年半住んでいた居住地。昭和20年1月3日の米軍機(B29)による名古屋大空襲で、名古屋市昭和区御所町にあった三浦芳聖が経営する「中部国民道場」は、丸焼けと成り灰燼に帰した。

この日、愛知県碧海郡明治村和泉(現在安城市和泉町)での大政翼賛会の練成中、三浦芳聖は、霊感神示により空爆を予知して「中部国民道場」へ駆けつけたが、火炎に包まれた道場の二階から辛くも持ち出すことの出来たのは、天津神・国津神・祖霊舎のお社(やしろ)と頭山満が揮毫した「忠節」の掛軸だけで、あとは一物も残さず灰燼に帰したと云う。

そのため、三浦芳聖は妻と4人の子供を伴い、遠祖・松良天皇の先蹤(せんしょう)に倣って愛知県豊川市萩町上近久に疎開した。(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』72頁186頁その他『神風串呂』記載の記事参照)

(4)神武天皇御陵(奈良県橿原市大久保町)地図
神皇正統第一代神武天皇の御陵。

松良天皇およびその嫡皇孫・八幡大明神三浦芳聖は、神武天皇以来連綿と続いてきた神皇正統の皇統を継承している。

【参照】龍子とありし日の三浦芳聖家とを結ぶ神風串呂(№106)


💟皆様方の御支援に感謝しています!

読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。


🔴神風串呂を学びましょう!


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
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💟開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道
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🟡バックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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