眞崎大将を見舞う
1、眞崎大将との交流
眞崎甚三郎元陸軍大将は、三浦芳聖の戦前の皇国維新運動時代の最も信頼関係にあった同志でした。
昭和20年(1945年)8月24日、萩村の寓居に於て、天照大御神から御神諭を賜り、切腹自裁を50日間の断飲断食に替え、更に石清水八幡宮に参篭して、世界に二人と無い実証として、真夏の烈日を凝視直拝出来るようになった芳聖が、
その後のある日、眞崎元大将を訪ねて、以上の経緯を説明し「天照大御神から汝が神皇正統のスメラミコトだと言われた!」と打ち明けると、眞崎元大将は、「私はそれを信じます!」と言われ、芳聖は眞崎元大将と手を取り合って感泣し合ったというのであります。
下記は、三浦芳聖の著書からの引用です。眞崎甚三郎研究の貴重な資料です。
【参照】眞崎甚三郎大将が二・二六事件で投獄された時、断飲断食したことを証する資料が『木戸幸一日記』にありました。
上記の資料(三浦芳聖著『神風串呂』)中、眞崎大将が21日間の断飲断食で観音様を霊視し「本物の天皇は他(ほか)にあるぞよ!」というお告げを受けた傍証になるかと思います。
私は、我が国が戦後75年になっても未だに外国の軍隊に占領されている霊的原因は、「皇統の乱れ」があるからだと考えています。眞崎甚三郎大将は、断飲断食を敢行し命懸けで「神の声」を聴いたのです。我が国は神国です。国民は騙せても神様を騙すことは出来ません。
【参照】日本の支配構造⑤表天皇の系譜、昭和天皇は何者か?
2、危篤の眞崎さんを見舞う
上記のような関係で、芳聖は、戦後も眞崎元大将と主に文通で交流を続けていました。そんな昭和26年のある日、「眞崎さん危篤」の電報に接し、芳聖は門人2名を随行せしめてお見舞に行き延命祭祀を実施しました。
下記は、三浦芳聖の著書からの引用です。
3、瞼の母の御影の串呂の実証
お見舞いに行った時に、眞崎元大将の長女「みよ子」さんが芳聖の母親の御影(生き写し)であることが判明し、その神風串呂が解明されました。
まことに不思議な事に、芳聖は、その時「串呂の虫」が飛んできて、「真崎」をはじめとする地名に止り、串呂線上を這って行ったと述べています。
「芳聖の母・元子の墓」(神戸市須磨区白川高座)-「御影」(神戸市東灘区)-「御代」(三重県伊賀市)-「坂田順彦家」(愛知県半田市)-「牧平町大門」(愛知県岡崎市)-「真崎」(静岡市清水区)
(三浦芳聖著『神風串呂』第131号6~7頁、昭和41年6月発行)
下記は、三浦芳聖の著書からの引用です。
前号(№171) 次号(№173)
情報拡散のお願い
**********************************
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)
**********************************
最後までお読みいただき有り難うございます。Facebookグループ 串呂哲学研究にご参加下さい。アップデートがすぐに分かります。
https://www.facebook.com/groups/462542897709938/
グループだけの最新情報もあります。
**********************************