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皇大神宮内宮と綾子姫命御陵の神風串呂(串呂哲学研究ノート№96)

このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

ここでは、「皇大神宮内宮と綾子姫命御陵の神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。



1、三浦芳聖の祭祀場としての遠祖の御陵

三浦芳聖とは何をした人かと問われたら、神風串呂の解明と神界伝法の秘法祭祀を厳修した神主(超能力者)だったと答えられよう。

延元2年(1337年)から、応永24年(1417)の80年間、南北朝時代の戦乱の中を生きた三浦芳聖の遠祖の内6人が、天皇家の負のカルマの虜になったように、非業の最期を遂げている。

尊良天皇は敦賀の金ヶ崎城でご自害、小松天皇は京都で幽閉中に獄中死、長慶院法皇は兵庫県加西市で殺害され、小室門院は静岡県相良町で不慮の最期を遂げ、松良天皇は衣浦湾で殺害され、綾子姫は船明で不慮の最期を遂げている。

神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の再現・八幡大明神として、この世に派遣された三浦芳聖は、これらの遠祖の慰霊浄化と天下国家の祭祀をする任務が課せられていて、遠祖の御陵は慰霊浄化の為の祭祀場であると共に、天下国家の為の祭祀場であった。

今回は、その祭祀場の一つである綾子姫命御陵の神風串呂をご紹介します。


2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、皇大神宮内宮と綾子姫命御陵の神風串呂

香取神宮
香取神宮(千葉県香取市香取)(地図マピオン)

三浦芳聖は、三重県伊勢市宇治館町の「皇大神宮内宮」と静岡県浜松市天竜区船明の「綾子姫命御陵」とを串線すると、次の様な神風串呂になると述べています。

松良天皇と綾子姫命については、松良天皇(正良) (№79)を参照下さい。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第六章 273頁

「⛩皇大神宮内宮」(伊勢市)-「日出町」(田原市)-「綾子姫命御陵」(浜松市)-「⛩香取神宮」(香取市)

【地文のみ掲載】
「皇大神宮内宮」-「日出町」-「綾子姫命御陵」-「⛩香取神宮」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)

(1)皇大神宮内宮(三重県伊勢市宇治館町)

皇大神宮内宮
皇大神宮内宮(三重県伊勢市宇治館町)(地図マピオン)

皇祖天照大御神をお祭りする「わが国二所の宗廟」の一つで、八大串呂起点のひとつ。天照大御神は、神風串呂の主宰神。ここでは、「天照大御神」に「綾子姫命御陵」を鑑定して頂くという設定での神風串呂です。

【参照】皇大神宮内宮の詳細はこちらをご覧ください。

(2)日出町(ひいちょう、愛知県田原市日出町)

田原市日出町
日出町(愛知県田原市日出町)(地図マピオン)

神皇正統の天皇(日嗣の御子)をあらわす地文。ここでは、松良天皇が天津日嗣の天皇であり、その皇后綾子姫が神皇正統の皇后であることを昭示していると解釈します。

(3)綾子姫命御陵(あやこひめのみこと御陵、静岡県浜松市天竜区船明)

上臈塚
綾子姫命御陵(静岡県浜松市天竜区船明)(地図マピオン)

綾子姫命御陵は、上臈塚(じょうろうづか)と呼ばれている。詳細は不明であるが、お供の宮路左太夫に護衛されながら落ちてきて、この地で最期を遂げられたようだ。

三浦芳聖の著書に依れば、綾子姫は、正平22年(1367年)ご降誕で、大宝天皇が京丸でご降誕になった応永元年(1394年)頃まではお元気であった事が判明しているが、その後のことは不明である。

青木文献(千種文献)には、綾子姫について下記のように書かれてある。

寛成親王息女綾姫宮路左太夫遠洲光明寺村落給
(寛成親王の息女綾姫は宮路佐太夫と遠州光明寺村に落ち給う)

また、地元の「遠江国風土記」には、下記のように記載されている。

「遠江国風土記」に船明の記載があり、「上臈塚」の官女流離譚が残っている。「古老曰く、昔、官女流離して生害しここに葬る。塚囲三十歩計り、雑木繁生す。その侍者自殺し傍らに葬り下賤塚と号す。相去る一町、四辺田となる。その塚の枝葉を伐る者祟る。また闇夜に鬼火出づ。」
(『富士〝隠れ南朝〟史』富士地方資料調査会314頁)

【参照】綾子姫命(松良天皇皇后)

【参照】松良天皇御陵と綾子姫命御陵の神風串呂(№95)
「弥生町」-「⛩湊川神社」-「元町」-「南黒田」-「市子」-「卍恵照山日曜院」-「松良天皇御陵」-「西黒田」-「綾子姫命御陵」-「黒田」

(4)香取神宮(千葉県香取市香取)
香取は、出雲の国譲り神話で活躍された経津主大神(ふつぬしのおおかみ)を祭る「香取神社」の香取で、まつろわざる者を平定する意味。

「蚊取り線香」の「蚊取り」は、「人間の血を吸う害虫を撃退する」を意味する。同音による「香取」の韻文。蚊取り=香取。

香取神宮(千葉県香取市香取)

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第六章 273頁

「⛩皇大神宮内宮」-「日出町」-「綾子姫命御陵」-「⛩香取神宮」

綾子姫命御陵は、他の遠祖(小松天皇、長慶院法皇、小室門院元子内親王、松良天皇)の御陵と同様、非業の最期を遂げた遠祖の慰霊と天下国家のための祭祀場である。

この綾子姫命御陵も下記の串呂の様に三浦芳聖の祭祀場であり、天下国家のための特別秘法祭祀を厳修する場であった。晩年の三浦芳聖は、この綾子姫命御陵に、年間6回以上は参拝し、神界伝法の秘法祭祀を厳修していた。

🟡御祓山と綾子姫命御陵との神風串呂

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第6章 274頁

御祓山(兵庫県養父市)-田貫(京都市右京区)-綾子姫命御陵

田貫は狸(たぬき)の諺文で、人をたぶらかす精神の持ち主や制度を指す。

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串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)

情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№95) 
松良天皇御陵と綾子姫命御陵の神風串呂(№95)
🟢次号(№97)
御調町公文と三浦芳聖晩年の住所の神風串呂(№97)

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串呂哲学研究会 鈴木超世志
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