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COO奮闘記 ~4人の育児とスタートアップ経営~

Minto COOの高橋伸幸(たかはし のぶゆき)です。

Mintoは、wwwaapとクオンという2社が経営統合して生まれた会社で、私は旧wwwaap時代から換算して約5年半会社経営に携わっている。

今回、HR部から「高橋さんの人となりが分かる自己紹介noteの執筆をお願いします」という依頼を受けた。

いろいろな場所で自己紹介をしているものの、実際にnoteに落とそうとすると...難しい。

だけどHR部メンバーの1人がキラキラとした曇りなき目で「お願いします!」と言ってきたものだから、「もちろんOK!」と二つ返事してしまった。何か期限に間に合うようにしなければと思いながらカタカタと指を動かしている。がんばれ自分。

先にお伝えしておくと、ジョインして5年半経っているので入社でも退社でもない自己紹介エントリーになる。期代わりというちょうど良い節目であり、なかなかない機会でもあるので、これからの人生を見つめる上でもしっかり振り返っていこうと思う。

それでは、よろしくお願いします。

痛すぎる新卒時代。学生気分が抜けきれなかった

2009年4月、世間全体に不況感が漂っていた年に新社会人になった。新卒で入社した会社は株式会社セプテーニというWEB専業の広告代理店。当時は千駄ヶ谷駅の近くのビルに入っており、夏の日に汗をかきながら先輩と坂道を登って帰社する記憶が鮮明に残っている。

当時の自分はかなりの劣等生。学生が持ちがちな「根拠なき自信」を社会人になっても引きずっていて、会社や周りの人からしたら、かなり痛い存在だったと思う。営業部に配属されたが、そこで成果を上げることよりも、キャラクターとして認知してもらうことを優先し、奇をてらった仕事で注目を集めようとしていた。本当に痛い。。痛すぎる。

自信に満ちた表情。痛すぎる。

そんな自分を見かねた先輩や上司から大事なマインドやスキルセットについて熱いご指導をいただき、クライアントからも大事なことをたくさん学ばせていただいた。そのおかげで、紆余曲折ありながらも、メンバーに恵まれ、会社を代表する営業チームを牽引することができた。間違いなく今の自分があるのは当時の上司、先輩、後輩、クライアントのおかげであり、全員に育ててもらった6年間だった。いまだに当時言ってもらえた言葉を大事にしているし、いつも気にかけて声をかけてくれたことに感謝しかない。

小さくてもいいからNo.1になって、圧倒的に勝つ

セプテーニ時代の大きな学びは「小さなNo.1を作って、そこで圧倒的に勝つ」を頭と体で理解できたこと。4年目で大きな仕事を任されるようになっていたころ、某大型クライアントの新規開拓の営業を担当することになる。大型ゆえに競合も多い。圧倒的に競合他社にシェアで負けている状況であり、取っ掛かりも作りづらい状況であった。当時はSNS広告の黎明期であり、モバイルでFacebookやTwitter等の広告配信がスタートした時期であった。セプテーニもこの領域に注力しており、会社の戦略と自分の状況が重なり、SNS広告を突破口にしてクライアントを開拓していく。競合の土俵で戦うのではなく、自分達が得意な領域で小さく勝って、その後大きくする。その営業戦略と実行が見事にハマり、成果が大きくなっていった。その実行が繰り返されていくと、小さな規模の「No.1」のポジションが作られる。あとは、そのNo.1の領域を研磨していくことでオペレーションが追いつき競合優位性になっていく。

今思えば、この成果の上げ方が自分の社会人生の中で身についており、会社経営をする今の立場になっても同じスタイルで事業作りを行っている。

「小さくてもいいからNo.1になって、圧倒的に勝つ」
自分に染みついている大事な価値観の1つだ。

09年卒同期メンバーとの送別会。みんな若い。

その後、転職を決意

振り返っていくと、新卒で入社したセプテーニに求めていたものは「モメンタム」「10倍成長!」のようなベンチャー特有の熱狂や、圧倒的な成長の機会だったように思う。0からスタートし、実績を積み上げていきながら自分の領域で結果を残す。寝る間も惜しまず、仕事に集中することができて、そこで自分の中に自信がついた時期でもあり、会社と自分の求めている価値観がズレていったタイミングでもあった。おそらく当時の自分は「無茶ぶり」が欲しかったんだと思う。仕事をそつなくこなしてしまう自分がいたし、それでは成長が止まってしまうんじゃないかという危機感を感じていたというのが転職の理由になる。また当時はアプリベンチャーの資金調達が続いており、その時代の流れにあてられて、「よりカオスな環境に行かなくては成長が止まってしまう...」と思い、転職を決意する。

入社したのはVASILYというファッションアプリを運営する20-30人ほどのベンチャーだった。集まったメンバー達は本当に優秀な人が多く「こんなに頭が良い人が、この世の中にいるのか...」と驚かされる日々だった。そんな中、WEB広告の営業しかしてこなかった自分に強烈な劣等感を持つ。自分の業務領域の狭さ、できることの少なさ、貢献できる事の少なさに挫折してしまう。

当時の自分を振り返るのであれば「苦手な領域を取り込もうとし、結果パンクした状態」だったように思う。餅は餅屋。自分の得意な領域で戦うべきだった。

一方で、優秀なメンバーと業務をすることで得られることも多かった。サービスを研磨させていきながら、ビジネス開発を行い、その両輪を高速回転させていく。前職の「プラットフォームやメディアが決めたルールの中で、介入価値を出していく」というビジネスの作り方から「自らルールを作り、価値そのものを作っていく」というビジネスの作り方に考え方をシフトできるようになった。この時期はビジネス開発の基礎的な動きができた期間であった。

ここでも今の自分の大事な価値観の1つを授けてもらった。当時のメンバーや社長には本当に感謝しかない。

マネジメントに悪戦苦闘

当時の自分は30歳。カオスな日々を過ごしながら、ゼネラリストとしての能力に限界を感じており、「餅は餅屋」の方針のもと、より営業に特化させていきたいと思い始める。
そこから自分は業務委託期間を経てDeNAに入社する。

DeNAではメディア事業の広告営業としてジョインをする。セールスチームの立ち上げ、ビジネス開発、組織マネジメントを経験させてもらった。そしてこの頃、第1子となる長男が生まれる。タイトルには「4人の育児とスタートアップ経営の両立」とあるが、ここまで書いてまだ1人目の誕生である。笑

まだまだ続くので、もう少しお付き合い願いたい。

事業は垂直に立ち上がり、急拡大していく中で、まさに自分が求めていた「モメンタム」がそこにあった。毎週のように入社してくるメンバー。そのメンバーに合わせて強化されていく組織のケーパビリティとOS。昨日までできなかったことが1人のスーパースターの登場により、できるようになる。採用と成長の両輪を回し事業を拡大していく経験ができたのが、この時期だった。商談、社内会議、会食を繰り返しながら、何とか事業成長に食らいついていく日々。高い目標を掲げて完全にキャパオーバーしていたが、充実した日々だった。

ただ、ここでマネジメントに苦戦する。

当時の苦戦の理由をひと言で表すなら「リーダーシップを発揮できなかったこと」だった。

組織の急拡大の中、DeNAという組織に入ってくる優秀なメンバー。
拡大に合わせてレポートラインが必要になり、入社後すぐに経験のある私がチームのマネージャーになる。
役職者となった私は自分の権限を利用し、様々な施策を実行していく。
組織体制、チームのルール、商品、KPI…etc

そんな多忙なある日の夜、メンバー数名に会議室に呼び出され、正面から「やり方についていけない」「信頼ができない」と言われてしまう。
かなりのショックを受けるが、受け入れるしかなかった。
そのフィードバックを受け入れて前に進むしか自分を保つことができなかった。

事業成長、目標達成を優先するがあまり、チームの信頼関係を作ることを軽視してしまっていた。そして役職を持った自分は偉く、メンバーは役職に従うものだと勝手に勘違いをしたのだ。冷静に見れば、中途メンバーが中心の組織において、たまたま経験があるという理由で上司に指示だけ飛ばされても100%納得して動けるはずもない。当時の自分に足りなかったのは、信頼関係の上に業務が成り立つという仕事の本質的な理解と、役職は役割であって権威ではないという点に気づけなかったことだと思う。

DeNAにはフィードバックカルチャーが根付いている。違うと思ったらどんな人であれ(例え新卒社員であれ)発言できる文化がある。それが組織の緊張感を作り、成果創出に繋がっている稀な会社であったと思う。あのフィードバックがなければ、今の自分はいなかった。勇気を持ってフィードバックをしてくれたメンバーには本当に感謝している。ありがとう。そんな中でも自分を信じてくれた上司や仲間にも改めて感謝をしたい。

・・・

そんなマネジメントの挫折を経験しながらも、プロジェクトを何とか前に進めていたが、約1年とたたずに事業解散となり、横浜DeNAベイスターズに出向する運びとなる。

後日談。

今でもこのメディア事業のメンバーと仲が良い。短い期間だったが苦楽を共にした同じ釜の飯を食べた仲間。本当に大事な戦友達だ。

熱量の中心地

横浜DeNAベイスターズに配属され、今までの広告×営業の領域から一気にシフトチェンジをし「事業戦略チーム」に配属される。

事業戦略チームは多種多様なミッションを持った複合チームであった。売上や利益の目標はなかったが中長期の事業成長のために様々な取り組みに挑戦をさせてもらった。自宅から横浜までの往復3時間の移動時間も、土日の勤務も全く苦にならなかった。

当時の同僚との2ショット(服装と体格が似てるね的な写真)

今までインターネット×広告ビジネスという狭い領域でしか戦ってこなかった自分。興行ビジネスという新しい領域はチャレンジングな仕事の毎日。裁量を持って様々な挑戦をさせてくれる環境は、当時の上司に恵まれたことが大きい。また優秀なメンバーにも恵まれ、ネットビジネスで培った強みを活かし、彼らと共にそれなりの成果を出すこともできた。

横浜DeNAベイスターズは地域密着のビッグIPだ。ファンや地元の様々なステークホルダー達の夢がそこに凝縮されている。その凝縮された想いが選手を支え、この興行ビジネスを支えている。想いの中心地がスタジアムとなり、そこで繰り広げられる3時間の試合は1つ1つが驚きと興奮の時間を共有する人々の場所になる。また、業務に取り組む一人ひとりも高エネルギー体そのものであり、その熱量でこのビッグIPを運営している。

自分には、ビジネスとして面白いと思う好奇心はあったが、一緒に業務に取り組む人々との熱量の差があった。そこに違和感を感じ、自分の存在が非常に無礼に感じてしまった。

「もっと適任者がいるな」と思いながらミッションをこなすことは、自分が想定している以上に精神的に厳しかった。順風満帆な一方でキャリアに関してモヤモヤすることも増えてきたのが、この頃だ。

自分の年齢は32歳。社会人9年目。30代半ばに差し掛かるタイミングでキャリアを見つめ直したときに、「一生をかけてできる仕事に取り組みたい」と考えるようになった。

当時は漠然と「100年後に残る何かを創りたい」というキャリアテーマを考え出していた矢先に、現在のMintoの取締役である中川(Mintoの前身であるwwwaap創業者)から誘われた。

当時、中川から毎日のように連絡が来ていた。「ビジネスでこんなとき、どうしますか」「この記事面白いので見てください」「司馬遼太郎、最高ですよね」みたいな感じで。

中川を知っている人なら、この雰囲気を理解してもらえると思う。笑

「お茶しませんか」というお誘いで西麻布のカフェで話すことになり、そこで「のぶさんしかいない。入ってほしい」と半分泣きながらお願いされた。人生で大人に本気で懇願されるというのは初めての経験。だが、当時聞いた事業構想の内容やテーマは自分の考えていた「100年後の残る仕事」と方向性が合致していた。

そこで強烈なインスピレーションを得て、その場ですぐに承諾し、約1年ほどの準備期間とサポート期間を経て取締役COO(のちに共同代表)としてジョインする運びとなる。

旧wwwaap創業者の中川と私

ここから経営者として、COOとしての人生がスタート

と格好よく書いたけど、ここから公私共にジェットコースターのような紆余曲折を経験する。

あと、このあたりで二人目の子が産まれる。ここから我が家の人口も一気に増えていく。笑

THE 不格好経営

当時は明治神宮前駅近くのマンションのワンルームを借りていた。”THEベンチャー”という感じで…来訪があれば全員でデスクを空けて対応したり、外部との電話のやり取りの際は他人の声が入ってしまうということでベランダで対応していた。

当時のメンバーがベランダで電話している写真(今思えばすごい光景)

事業開始の最初、会社のPLは不安定な状態。シンプルにキャッシュがなかった。月によっては仕事がなく赤字になるときもあり、メインの事業が育つまでは売上利益が安定しなかったため、業務委託で知り合いの会社と契約させてもらい、何とか会社にキャッシュを貯めようと悪戦苦闘していた。

今では考えられないが、当時は資金調達などのファイナンス知識もなく(考える余裕も頭もなく)、必死にキャッシュを稼ごうと思い、業務委託を広げていった。

同時並行で会社のビジョンやミッションを掲げ、事業計画や売上目標を策定し、会社としての目標設定を行った。

またマーケティング事業の立ち上げの準備ということで、様々な協力会社や知り合いからヒアリングを行い提案資料を作成したり、会社の中で役割分担を行いチームで分業化、採用強化しメンバー増加、オペレーションを整えて会社内のルール整備を行った。

毎日が文化祭前夜。

インターンメンバーが有名な企業との商談を獲得してハイタッチしたり、有名なクリエイターさんとの仕事が決まって社内が沸いたり、毎日が「分からない」の連続で順風満帆ではなかったが、前に倒れそうになりながら、足を踏ん張らせて前に進んでいく毎日だった。

ただ、「不格好経営」だった。DeNAの南場さんの著書「不格好経営」ほどの規模とはほど遠いが、我々の経営は正確な打ち手が打てずに何度も何度も失敗をした。

事業と同じくらいチームも不安定だった。未熟なマネジメントによってクライアントに迷惑をかけて謝罪をすることがあったり、コミュニケーションの問題でメンバー同士の不和が起きてしまったり、企業文化の醸成が出来ておらずメンバーの一斉退職などのハードシングスも経験した。またコロナ禍も重なったことで事業成長も止まった。銀行から借り入れを行い、1%でもいいから生存確率をあげようと踏ん張っていた。生きるために必死だった。

創業初期のフェーズで起きた様々な出来事。嬉しいことも多かったが、大変だったことも多かった。初期の2-3年の間に入ってくれたメンバーはよくぞ当時の会社を選んでくれた。そしていまだに連絡をくれて活躍の様子を知れることが何よりも嬉しい。彼ら彼女らがいたから今の事業がある。関わってくれたことに心から感謝したい。

そんなタイミングでクオンの水野さんから経営統合の打診が入る。水野さんは何度か会食でお会いする仲であり、情報交換をする経営者仲間の1人という印象だった。経営統合の話を聞いたとき水野さんの実績を知っていたので「ああ、これは大きな変化になるし、面白いな」と直感で感じた。

打診された当時、中川に誘われたときに考えていたことを思い出していた。自分は「100年後に残る仕事」を作りたいんだと。当時のクオンはユニークなポジションで事業展開をしており、アジア中心にグローバル展開をしていた。また社内で優秀なデザイナーとプロデューサーがおり、ヒットキャラクターを多数保有していた。一方で不安定なPLと組織体制であり、そこは経営統合することでイチから立ち上げられると感じた。自分の会社もカオスなのに、さらなるカオスに飛び込む。これはこれで自分の人生らしくて良いなと思った。

ここから現在のMintoの物語がスタートするのだが、その2ヶ月前に我が家に双子の女の子が産まれる。我が家の人口爆発。経営統合と4人の子育てという、ジェットコースターのような時間を過ごすことになる。

当時のこと、正直あんまり覚えていない。

経営統合とモメンタム

当時、BRIDGEさんにも取り上げていただいた。まだ1年半前...すでに10年くらい経過したように感じる。

意思決定後は一気に経営統合に向けた準備を行っていくことになる。

経営統合といえど、もう一度新しい会社を作ることになるので様々な業務が迫ってくる。
その辺の様子や、実際のアクションはこちらのnoteにまとまっているので詳細は割愛する。

2022年経営統合時に撮影した一枚。

統合1年目の2022年。事業成長観点ではまずまずのスタートを切れた。経営陣がチームとして機能をし、各事業の成長にフォーカスできたことで各事業のモメンタムを作ることができた。ここで、あえてシナジーを作らず、各事業にフォーカスしきれたのは良かった。シナジーに対しての議論を散々したが、まだ既存事業には伸びしろがあり、コンフリクトのコストを回避したことが功を奏したと言える。また立ち上げが得意な経営陣だったというのもある。各々の会社で事業開発の1周目を経験してきたからこそ、バリューをいかんなく発揮できた。

一方で2社間のカルチャーの違いや、社内ルールの変化によるストレスが組織に大きくかかったタイミングでもあった。同じコンテンツやエンタメを扱う会社だったが、言葉の意味は一緒でもニュアンスが異なることが多かった。また、働き方、仕事やキャリアへの考え方、チームの雰囲気も全く異なった。無理に1つにする必要はないと思っていたが、それでも最初は大変苦労をしたのを覚えている。経営統合は意思決定者である経営チームは納得して進められていたが、メンバーは少しずつ納得して体感してもらうしかなかった。また「制度よりも感情に向き合う」という方針で社内整備をしてきたが、経営やコーポレート側のリソース不足により対応が回らないケースが増えた。結果的に自分たちの意思決定のスピードを落としたり、メンバーを不安にさせるような場面が増えてきた時期でもある。

また4人の子育てもカオスが満載だった。育児は育児でマルチタスク満載のミッションであり、奥さん1人のマンパワーには当然限界があった。仕事が終わり、家に帰ったら帰ったで様々なイベントが待っており、予測不能すぎて家庭内もベンチャー感満載だった。夫婦で自分達の生活スタイルを工夫したり、頼るところは頼り、頼られたならガッツリとサポートをする。そんなこんなで現在進行形で乗り越えている。自分は仕事時間の捻出のために夜10時に寝て早朝4時に起きる生活にシフトし、子どもたちが起きてきたら全力で洗濯、朝の支度をする。夕方になったら、風呂、夕食、寝かしつけを夫婦で連携して行う。その結果、会食も週1-2回に絞り、大事な会食の場面でも「ここぞ」というときの決め球担当になった。

自分以上に奥さんの方が大変だったと思う。この時期を一緒に乗り越えてくれる奥さんには感謝しかない。子どもたちはいつも飛び切りの笑顔と愛情を自分に向けてくれるから、また頑張れてしまう自分がいる。たまらない。

4人の子供たち

ボトルネックは俺

経営統合時に経営チームで役割分担を行うことになった。高橋が既存のマーケティング事業と人事含むコーポレート、水野が新規事業と資金調達&株主対応、中川が広報とクリエイティブ事業と管掌領域を決めて会社経営を進めていた。

当時社員2名、委託メンバー3名という状況だったコーポレート部門の強化が会社として急務だった。そこから一気にコーポレートメンバーの採用に注力することになる。結果的に現在活躍中のコーポレート部長の採用、採用マネージャーとメンバー、経理会計部門のマネージャー、総務メンバー、直近だと取締役CFO 定平の就任が決まり、会社としてのディフェンス力が強化されていった。

また採用だけではなくインナーアクションも増えていった。執行役員となった瀧口が組織開発チームを牽引し、組織内のコミュニケーション活性化や新しいコアバリューの策定を実行していった。これが会社にとって社史に残る大きなアクションになった。2022年のMinto社のクリティカルな変化の1つはこのコーポレートアクションの強化だったと思う。会社にとってコーポレート部門はディフェンスの要であり、経営をする上で非常に重要なチーム(経営すると、その大事さに気づく)なので、責任感があり頼もしいメンバーが集まってきたことはMintoになったから出来たことだった。

そのコーポレート強化に合わせて自分は事業サイド、オフェンスに注力していく運びとなる。

結果的に良い変化に繋がっていたが、その変化に至るまで高橋個人は精神的かつ体力的な限界を感じていた。自分のスキル不足による意思決定の遅れ、それにより組織内の悪循環を引き起こしていた。人間の体に例えるなら、各内臓(ファンクション)に血液が巡らない状況が続き、各所でうっ血状態になっていた。当時は意思決定できる人(部長やマネージャーなど)が不足していた。また、しっかりと権限委譲ができていなかったため、各部門の重要な意思決定が高橋に集まってきてしまっていた。そこが血液の循環を止めていたのだ。

また、どの事業や部門も立ち上げタイミングにより一気に手を動かすフェーズだったため、物理的にリソースの創出ができなかった。さらにオフェンスとディフェンスの双方を担当していたため、思考を往復させるのに苦労する時間が多かった。先述した4人の育児という帰宅後のマルチタスクをこなし続けることで一気に疲弊していった。

良く言えば責任感。悪く言えば人を信用できていない。任せられない。

そんな状態が半年ほど続いた。

そんな中、とある経営者仲間達と話をしているときに「事業成長のボトルネックは自分と気づけたことが、組織のブレイクスルーを作れた」という発言にハッとさせられる。

当時の自分はよかれと思って現場にいたり、よかれと思って人の仕事を巻き取り対応し続けていた。結果、業務に忙殺され、悪循環を自分で作り出し、その悪循環に自分自身が悩まされる日々。

自分は組織や会社や仲間のために踏ん張っていたと思っていたが、それが逆にボトルネックになって組織全体を苦しめていたことに気づかされた。

おもいっきりメンバーに任せて、自分の得意なことにフォーカスする。

ここから、さらに飛躍を目指すには全員が得意な領域を持って全力で取り組まないと高い壁を超えることはできない。餅は餅屋リフレイン。過去は自分に対しての感情だけだったが、今では組織全体にその思想を巡らせていきたい。餅屋は餅屋らしく、自分達が各々の得意領域で戦うことを目指していくべきだ。

Mintoには沢山の才能あふれる仲間が集まっています

陽はまたのぼりくりかえす

過去のことを長々と書いたが、未来の話をしたい。
今後のMintoでは、まず私は会社のミッションを実現したい。ミッションに忠実に生きたい。何度も立ち返り、ひたすらここにこだわりたい。

HPに記載されたミッション

前述した通り、現在ではオフェンスに集中させてもらえており、コンテンツソリューションという”クリエイティブ×マーケティング”の事業を行っている。この事業を通して、自分達らしいアプローチ方法、自分達しかできないアプローチの方法でこのコンテンツ産業に貢献していきたい。

コンテンツソリューション部のミッション(会社ミッションの再解釈ver)

現在37歳。

何歳で死ぬのか、いつまでビジネスをしているかを決めてはいないが、人生としては踊り場であり、ビジネスマンとしては14年目。なかなかの年月だ。

今までの社会人経験や全人格を使って、次の成長を作りたい。ここ数年はその集大成としたい。

そして様々な奇跡と出会いの連続で本当に心強いメンバー達が集まってきている。それに合わせて呼応するように、もともといたメンバー達もレベルアップしている。みんなの成長がすごい。「このチームなら勝てる!」と思えるようなチームになってきた。本当に面白いフェーズになってきた。今の経営陣、部長やメンバー達、そしてこれから入社してくる人たちと共に、たくさんの挑戦とたくさんの成長をこの会社から創出し、産業全体の大きなモメンタムを作っていきたい。

ここから、会社経営やビジネス人生には間違いなく浮き沈みがある。
良いときと悪いときは交互にやってくる。

それでも陽はまたのぼりくりかえす。
寝ぼけてる暇などない、今だDive!
という歌詞を頭の中でループさせながら、今日も一つひとつ挑戦を積み重ねていきたい。
(Dragon Ash世代の人には刺さるはず)

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最後までお読みくださりありがとうございました!

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