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【総力ルポルタージュ】 行ってみて聞いてわかった 御朱印帳のネット転売で、なぜ宮司は「もう来ないで下さい」と書いたのか

その日は、いつもとは違う一日だった。

 140文字の10倍100倍1,000倍と、言葉は紡がれていた。それはまるで、日常の中で体にこびりついた穢れを払っているように思えた。

「良かったのか、悪かったのか……地域の方は“悪いことやってるんじゃないからいいんだよって”と声をかけてくれます。“売るヤツが悪いんだから! トンデモねぇだろう”と電話をかけてきてくれる氏子の方もいらっしゃいました」

 ようやく涼しい風の吹き始めた初夏の夕方。場所は、茨城県守谷市の八坂神社。清浄な雰囲気に満ちた神社の拝殿で、宮司の下村良司は、神職らしく背筋がぴんと伸びた丁寧な姿で言葉をつづっていた。相対する私は、時折自分の背が曲がっているのに気づき、姿勢を正しながら言葉と周囲の状況を書き記していた。

 ふと、拝殿の外の人の気配に気づいた下村が立ち上がった。

「ああ、どうも、こんにちは!」

 外を見ると、顔見知りの氏子らしき老人が「よう」という感じで右手を振っていた。下村が、戸口のほうに寄って交わす二、三の言葉。そこには神社と氏子との信頼と親しみが織りなす美しい光景があった。

突然注目された御朱印帳の転売

 金曜日の午後3時前、秋葉原駅から発車間際のつくばエクスプレス快速列車に駆け込むと、もう席の大半は埋まっていた。一つだけ空いている座席を見つけて、スマートフォンから目を離さない女性に会釈して腰を下ろす。動きだした列車の中で、私はiPhoneを片手にノートを広げて、もう一度質問したいことを整理することにした。

 その日の取材が決まったのは、週の初めだった。

「御朱印帳がヤフオクで売られる→茨城・八坂神社が苦言『もう来ないでください』」(ハフィントンポスト)

「【罰当たり】ヤフオクで御朱印帳を転売された神社が怒りのツイート『もう来ないで下さい』」(ロケットニュース)

 そんな言葉が記された、さまざまな人たちのツイートや、ニュースサイトが目に飛び込んできた。いくつかのリンクを開いてみて、話の大枠は理解できた。茨城県守谷市にある八坂神社。守谷の総鎮守でもある神社のTwitterのあるつぶやきが数万もリツイートを集め、ニュースサイトや、Twitterに集う、何か一言もの申したい人たちの話題になっていたのだ。

 そのつぶやきは、こういうものだった。


 ヤフオクで当社の御朱印帳が出品されていました。すでに落札されていまして社頭頒布の約3倍近い値段で落札されていました。神社頒布品をオークションに出品し利益を得る行為は許せません。頒布品は祓いをし神徳を得られるように祈願しております。一般商品とは違うものなんです。もう来ないで下さい。https://twitter.com/m_yasakajinja/status/876386988718292992


 最後の「もう来ないで下さい」という言葉が、多くの人々の興味を引いたのだろう。私がこのつぶやきを目にしたときには、すでにつぶやきの主である神社の宮司からコメントを得ているニュースサイトもあった。でも私は、これはぜひにでも取材をしなければならないものだと思った。

 そう思った理由は単純だ。数万のリツイートを集めた翌日のつぶやきの中にあった「140字で話すのは難しい」という一文に心を動かされたからである。これは「もう来ないで下さい」という言葉以上に、数多の気持ちがこもったものではないかと感じたのだ。

 ネットのニュースサイトなどで記されている短いコメントでは、その気持ちはまったくわからなかった。検索しても、適当なTwitterの情報をまとめているだけの、よくわからないニュースサイトばかりが検索に引っ掛かるという状況が、より知りたいという気持ちを強くした。

 早速八坂神社に電話をすると、すぐに宮司に取り次いでくれた。

「ちょうど今も取材を受けているところなんですよね」

 電話の声から、予想だにしなかった注目や取材の申込みに戸惑っている気配が感じ取れた。けれども、私がコメントを求めているのではなく、訪問して話を聞きたい旨を告げると、すぐに快諾してくれた。

 関東平野を走り抜ける、つくばエクスプレスの車中で、私はこれまでに書いた幾つかの記事のことを考えていた。旅の中で、さまざまな神社を訪れることは私の大切な趣味でもある。それと同時に、昨年来、何かと神社と信仰について自省する記事を書く機会を得ている。そうしてまた巡ってきた今回、これはどういった縁なのだろうか、と。

通りの向こうにたたずむ存在感のある鎮守の森

秋葉原駅から守谷駅までは30分程度の短い旅路である。つくばエクスプレスの開通以来、この土地は交通の便のよいベッドタウンとして人気を集めている。だが、駅の周辺はまだまだ開発の途中といったところ。乗り降りする人々の数に反して、駅周辺に繁華な雰囲気はない。

 とりわけ、神社へと向かう側の出口を出ると広大な駐車場が広がっている。都心へ出かけるときは、ここに車を駐める人も多いのだろう。それを見越してか、駐車場の脇には電車の格安切符を売る販売機もある。秋葉原まで片道で正規運賃よりも30円程度は安くなる。微妙な金額だが、10回20回と往復すれば、バカにならない金額ということだろうか。そんなことを考えながら歩く道は、妙に曲がりくねっていた。もとは、田園の広がる田舎道をそのまま舗装したのだろう。田園から住宅地へと姿を変えていく途上にある風景には、期待と寂しさが同居していた。

 そんな道を歩いて神社までは10分ほど。関東鉄道の踏切を越えて右に曲がると、二車線の道路の向こうに小さな森が見えてくる。それが、私の目的地であることはすぐにわかった。その鎮守の森の存在感が、これからの取材を期待させた。もうひとつ、道路の両側には「祇園祭」と書かれたポスターを貼った家屋がいくつもあった。それは、八坂神社で行われる夏祭りの名前。車ばかりが往来して、人の通りは少ないけれども、ポスターだけはしっかりと貼られていた。それだけで、これから訪問する神社が地元の人にとって大切なものであることは容易にわかった。

サービス満点なのか? やたらと多い御守りの種類

 神社に到着し、数段の石段を昇ると、そこには足を止めて眺めたい景色があった。鳥居の前から境内を眺めると、決して大きくはないけれども清浄な雰囲気が詰まっているように感じられた。鳥居を一礼し、手と口を清め、まずは参拝する。

 おやっと思ったのは、境内の石畳である。石畳も直したばかりと思しき雰囲気だった。左手にある神楽殿は囲いに覆われて、まだ工事中のようだった。鳥居をくぐる時に見えたそれが電話で話していた工事なのかと思ったのだが、かなり大規模に境内を修繕しているようであった。

 社務所の窓口のところでは、数人が行列していた。みんな御朱印を求めている参拝者らしかった。応対しているのは、可憐な巫女さんがひとり。御朱印を書いているのも彼女のようであった。割り込んではいけないだろうと思い、しばらく待つことにして境内のさまざまなものを見て回ることにした。

 境内でとりわけ存在感があるのは、ケヤキやイチョウの古木であった。事前に得た知識では、神社がここに鎮座して400年ほどだという。その頃に植えられたのだろうか。歴史の重みを感じさせる大木は鮮やかな緑の葉をいっぱいに広げて、そこにいるだけで、日々の仕事でまとわりついた禍々しいものを取り払ってくれているように感じた。そして、もうひとつ大切なことに気づいた。それは、この規模の神社にしては不思議なほどのサービスのよさである。

 まず、お賽銭箱のところには、七夕の願い事を書く短冊が置かれている。そして、社務所の上に掲げられた案内。通例、神社に縁がなければ迷うであろう、ご祈祷などをお願いする時の初穂料も、幾つかの金額が明示されている。さらに驚くのは、頒布している御守りの種類である。「厄除け守り」「金運守り」「仕事守り」「旅行安全守り」と書かれているだけで30種類以上。さらに絵馬も「七五三」や「厄落とし」など。縁起物も大小のダルマから招き猫に張り子に土鈴……。

 これまで、いくつもの神社を巡ってきたが、こんなに祈願別にさまざまな御守りや縁起物がそろっている神社も珍しい。しかも、決して大きくない規模の神社で、なぜここまでさまざまな種類のものを用意しているのか。俄然、興味がわいた。

拝殿で取材をするという初めての体験へ

 掲げられた案内をカメラに収めていると、ふいに社務所の扉が開いて差袴の男性が出てきた。「宮司さんですか?」と呼び止めると、その通りであった。

「狭いんですけど……」

 そう言いながら、宮司は社務所の中へと案内してくれた。挨拶しながら渡してくれた名刺には二つ折り。裏表には神紋とURLと地図。開くと「宮司 下村良弘」の名前と住所や電話番号。そしてQRコードも記された、コンパクトに情報が詰まった名刺だった。

「こちらのほうが涼しいですから」

 そう言って案内してくれたのは、社務所から続く拝殿であった。祈祷を受けるわけでもないのに、そんなところで取材をするのは畏れ多いような気もした。だから、拝殿に入るとき、座るときと二度三度と神様のほうに会釈をしてから座った。掃除の行き届いた拝殿には、大小二枚の古い絵馬が掲げられていた。どちらも、神社の祭神である素戔嗚尊にまつわる八岐大蛇退治を描いたもの。後から神社のサイトで得た情報では、大きい方は慶応2年に奉納された加納友信作のもので、市の文化財にもなっている。その絵馬は、ところどころが色が落ちてしまっていることで、神社の歴史の長さを語っているように思えた。

 何から話を聞こうか。相対した下村を前にノートとレコーダーを手に私は少し考えつつ、自分の人となりやこれまで書いたものについて語ってから、話を切り出した。

御朱印帳は氏子のみなさんへの記念品だった

「ここまで、注目されるとは思わなかったのではないですか?」

 下村はすぐに話し始めた。

「今朝もテレビのニュースに取り上げられました。それに、先日はラジオでも話をして……。びっくりしてますね。そこまでは思わなかったですね」

 それから私は、騒動の発端となった御朱印帳のことを聞いた。私も、その御朱印帳のデザインは、境内に1枚だけ掲示されていたポスターで初めて見た。モチーフとなっているのは、やはり素戔嗚尊による八岐大蛇退治。それを頒布品としたきっかけを知りたかったのだ。やはり、近年の御朱印ブームにあやかったのだろうか、と思っていたからだ。

 でも、そういったブームとはなんら関係はなかった。

 御朱印帳を作ったのは5月下旬のこと。その目的は、氏子への記念品としてのものだった。

「今、神社とか御神輿を修理しているんです。御神輿は今度の7月のお祭りでお披露目するんですが、境内の工事で地域の方にご迷惑をかけています。それで、何か記念品をということで氏子のみなさんと相談したんです」

 最初は、風呂敷がよいとかさまざまな意見が出たが、今は御朱印が人気。「これがあると、いろいろな神社を巡ってもらえるではないか」そんなふうに意見がまとまって、御朱印帳をつくることになったのである。

 だから、本来は氏子に配るための記念品。そのうち何十部かを一般の方にも頒布することにしたのである。頒布するのはわずかな部数だけ。告知もほとんどしなかった。

「頒布を始めたときには境内でポスターを貼ったりもしなくて、Twitterで告知しただけです。あとは、Facebookくらいですね。でも、多分それを見たんだなと思われる方が、次の日からいらしていて、Twitterってすごいなと思って見ていたんです」

 そのときは、まさか転売を目的にしてやってきているなどと、思いもしなかった。しばらくして、下村は頒布した御朱印帳が喜んでもらえているだろうかと、ネットを検索してみた。

「そうしたら、最初に出てきたのがヤフーオークション(ヤフオク!)だったんです……」

 私も事前にネットで検索してみたところ。同様のものを見つけた。そこには、こんなタイトルがつけられていた。

「【限定】守谷総鎮守八坂神社御朱印帳 ~茨城県守谷市~ 御朱印有」

 これを見たときは、私もなんともいえない気分になった。もはや、ヤフオク!やメルカリなどで、本来は神社に出向いて参拝し、神様と縁を繋いだ上で授与して頂く御朱印や御守りは、当たり前の様に転売されている。そうしたものを見るたびに、私は感じるのだ。理屈以前に、世の中にはやってはいけないことがある。なんで、こんなごくごく当たり前の、やってはならないとこがわからぬ人が大勢いるのか……。我欲にまみれて転売なんてすれば、稼いだ小銭以上のものを失ってしまうはずなのに。

 下村の説明によれば、部数は少ないが限定品では決してない。それなのに「限定」という文字まで添えられた御朱印帳は、すでに4,500円で落札済みであったという。下村が、最初に感じたのは驚きだった。まさか自分の神社が転売目的のターゲットになるとは思ってもいなかったのだ。

「ご覧の通り、うちの神社は地域密着の小さな村の神社です。ですので、神社の集まりなどで、御朱印帳が転売されている話を業界の中で聞いていても、ああ大変ですねという感じでした。いろんな大きな神社で頒布されている御朱印帳があるじゃないですか。そういうところの話なのかなと思っていたんです」

 それは、Twitterの短い言葉では言い表せない複雑な気持ちを抱かせるものだった。なぜなら、この御朱印帳には多くの思いがこもっていたからだ。

 先に記したように、本来の目的は境内も御神輿も修理を終えたことを氏子に挨拶する意味も含んだもの。自分たちの地域の神社が、また新しい時代に向けて節目を迎えた。その喜びを一緒に感じたり、御朱印帳を見るたびに思い出してほしい。そんな思いが込められていたことは想像に難くない。何しろ、下村は完成までデザイナーと18回もリテイクを繰り返したというのだ。

「やっぱり、みなさんの手元にいったときに、きれいだなとか、いいものを受けたなと言ってもらいたい。だから、御朱印帳は地域に由来して、愛されている八岐大蛇退治をデザインして、皆さんに喜んでもらえるものを……と思って作ったんですよね」

地域と氏子と共に歩んできた守谷神社

 下村の鎮守の宮司として、地域に住む人々に喜んでほしいという思いには、確固たるものがあった。そのことをより強く感じたのは、社務所の案内に掲げられている、御守りの種類の多さに話が及んだときのことだった。

「失礼ですが、この規模の神社にしてはかなり多い……」

「もともとは、御守りはあまりなかったのです。ところが、お詣りされる方に“こういうものはありませんか”と聞かれることが多かったんです。そこで、毎年“じゃあ、来年は、それも作りましょう”と、繰り返していたら、あんな数になったんです」

 取材を通して語られる下村の言葉には、幾度も「地域の」「氏子の」というワードが出てきた。なぜ、そんなにも地域を大切にする確固たる意志を持っているのだろう。

 それがわかったのは、下村に神職になった理由などを尋ねたときだった。

「もともと、自分はデザイナーをやっていたんです」

 それを聞いて、少し驚いた。

 この守谷神社は総鎮守でありながら、明治時代から長らく無人で、隣町に住む宮司がお祭りのときにだけやってくる神社だった。ところが、18年ほど前、先代に跡継ぎがいないとなったときに「守谷市の方に継いでもらいたい」という話になり、地域の住民であった下村に縁が繋がったというわけだ。

 もともと、地域の住民として祭りには熱心に参加していたという下村だが、宮司として神社に奉職するというのは、まったく未知の領域だった。神職養成講習会(神社本庁や各都道府県が実施している神職を養成する講習会。主に神社の跡継ぎが対象)で、神職の資格は得た。講習会は、大学の神道学科と違い1カ月ほどで資格を得ることができる。だからといって、便利なインスタント養成システムなどではない。言うなれば、資格は与えるから、あとは現場で見て覚えなさいというわけなのである。

「階位をもらったらいきなり、氏子さんに先生と呼ばれるようになって……これは大変だと思って、必死に神社について学んだです」

 守谷市で常駐の神職は下村と、あともう一人だけだという。なりたてとはいえ、さまざまなお祭りや祈願などを行う機会は多い。本人の経験年数にかかわらず、神事をお願いした側は「神主さんに来て頂いた」と見ている。それは想像以上に重責だっただろう。けれども、その重くて大切な神事やお詣りする人々、氏子との触れ合いの中で、下村は次第に神道や神社の意味について、気づいていった。

「私もこちら側の立場になってよくわかるのですが、神社は空気のようなものだと思います。節目節目で地域の方々と縁を結んで頂く……節目の宗教だと考えています。だから、正月や夏祭り、上棟祭など、人生の節目ごとに神様に感謝の気持ちを伝えるんです。神道にはハレとケというものがありますよね。人間は生活していると疲れもたまり、さまざまなものを背負います。そこで、節目にお祭りをして、いい服を着たり、普段とは違うようなことをして、穢れを祓って、次に自分が生きるための生命力を神様に与えて頂く……それが、神社の仕事なのかなと思っています」

 そんな考えに下村を至らせたのは、地域の氏子や参拝者との触れ合いだったのだろう。下村は神道の考え方として「言挙げせず」というものがあることを、私に教えてくれた。文化の継承は親から子、大人から子どもへと、地域や共同体のサイクルの中で教え伝えていく。多くの宗教が理論を構築し、説明して人を納得させようとするのとは異なり、ことさらに説明したりはせず、一人一人が地域や共同体の中で、感じ気づくことを望むというわけだ……と、私なりに理解した。

 Twitterで話題になった「もう来ないでください」という言葉は、決して怒りから発した直情的でセンセーショナルな言葉ではなかった。おそらくは、Twitterを見て、邪な心で御朱印帳を買い求めに来た者が、またTwitterを見ているかも知れないと思って発せられた言葉。その短い言葉で、その人が気づきの機会を得るかもしれない優しさなのだと思った。

騒動で参拝者が増えるよりも……「まずは地域の氏神様へ」

 自身が地域の神社に奉職することで得たもの。それを、より多くの人に感じてもらいたい。そんな下村の思いが伝わってきたのは、この騒動のもたらす影響について尋ねたときだった。ともすれば、この騒動で八坂神社を知った人たちが参拝に訪れるのではないか。そう尋ねると、下村はすでにそうした人たちの姿があるとつぶやいてから、さらに諭すように語ってくれた。

「もともと神社というのはローカルスポット。地域の中で存在するものなんです。インターネットで情報が発信しやすく、すぐに届いてしまう時代にはわかりにくいことかもしれません。でも氏神様……皆さんが住んでいる神社に詣でるのが基本です。だから、通販とかのお問い合わせも頂くのですが、申し訳ないのですが、御札も御守りも縁を結んで頂くものなので、お断りしています。まずは、皆様の住んでいる地域の氏神様にお詣り頂きたいなと思っています」

 下村の言葉は、決して表面上のものではなく徹底している。Twitterではテレビやラジオに出演したことを報告しているのだが、それも放送が終わってから報告しているのである。そこには、騒動を利益に繋げようとするような邪なものとは、一切の縁をつなごうとはしない確固たる意志が見える。

 だからといって、決して参拝に来る者を拒むわけではない。下村はごくごく自然で基本的なことを教えてくれていた。

「神社は氏子とそれ以外の崇敬者にお支え頂くものだと思っています。ですので、こういう機会に、崇敬者の方に見つけてお詣り頂くことも大変有り難いことだと思っています。神棚も、伊勢神宮と氏神様とその他の神社となっていますよね。ですから、氏神様も大事にして頂きながら、そのほかの神社もお祭りして頂きたいですね」

 取材を終えて神社を辞するとき、鳥居の前で振り返って一礼をした。尋ねて来た氏子らしき人と話をしている下村は、もう一度一礼してくれた。その姿に、神道の本質の片鱗を垣間見た気がした。

 神社はさまざまな縁を繋ぐ場である。この取材もまた何かの縁が繋いでくれたものであった。そしてその縁は、また取材して書かなければ、なんら人の心に迫るものは書けないという確信を、私に与えてくれていた。

 いくら神社に参拝したからといって、目に見えるような御利益で人生を安泰にさせてくれているわけではない。けれども、それだけで十分だと思った。

(初出:『日刊サイゾー』2017年6月27日掲載 http://www.cyzo.com/2017/06/post_33347.html

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