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【再録】「非実在青少年」問題のその後と出版界の責任--すべての図書は自由であるべきか

作成前から批判されていた
都の健全育成条例改定案

「非実在青少年」という聞き慣れない言葉が、問題点のすべてを象徴していた。今年上半期、出版に携わる人々をはじめとして全国から注目された東京都の青少年健全育成条例改定案は、6月都議会で廃案に追い込まれた。都知事提案が都議会で廃案に追い込まれたのは98年の青島都知事以来12年ぶりの珍事である。都議会で否決された直後、石原都知事は民主党の控室を訪れ「日本語の解読能力がないな、君らは」と不快感を露わにし再度の提出を匂わせた。都知事の意向を受けて、都治安対策本部青少年課は9月都議会での新たな改定案の提出を目指して、活動していたが民主党を中心に否決に回った各党とのコンセンサスを取ることができず断念。改めて12月都議会への提出を目指しているとされるが、合意に至るのは、極めて困難だと考えられている。

 一連の出来事が、連綿と続いてきた「表現の自由」を機軸とした数多くの闘争の中で、画期的だったことは疑いがない。今回の改定案は、話を聞けば誰もが仮に成立してしまえば、どのような事態が引き起こされるかを危惧してしかるべき内容だった。そして、批判に対する都青少年課の対応も、火に油を注ぐものだった。いわば、都青少年課は自ら最悪の方向へと手綱を引いていったわけだ。

 この改定案の原点となったのは昨年12月に行われた第28期東京都青少年問題協議会の諮問なのだが、この協議会自体、最初から一定の方向性を持つ答申が見えているものだった。参加する学識経験者などには出版界の人間はもちろん「表現の自由」の立場から発言する学者もいない。参加者は、これまでにも漫画を含めた規制を唱えている人物等で占められていたのだ。

 ゆえに協議会の答申に基づいてつくられた改定案は、規制を強化する意図ばかりが見え隠れする一方で、詳細な検討が行われていないザルのような内容となったのである。その最もたる部分が「非実在青少年」に関わる条文だ。都は漫画やアニメでの「年齢又は服装、所持品、学年、背景」などから18歳未満にみえるキャラクターを「非実在青少年」として、それらの性的行為、あるいは性的類似行為を描写した「青少年性的視覚描写物」を新たに規制することを条文に盛り込んだ。これが、改定案に批判が集中したもっとも大きな部分である。こうした批判に対する都側の反論はすでに数多く報じられているため詳細は省くことにする。いずれにせよ、都が批判に耳を傾けなかったによって反対の声が、更に強まったことは、まぎれもない事実である。 

 そして、改定案には「非実在青少年」よりも、さらに首をかしげてしまう内容がいくつも盛り込まれていた。国会でも繰り返し議論されながら成立にいたっていない「児童ポルノ」の単純所持を「(都民は)何人も、児童ポルノをみだりに所持しない責務を有する」という条文を盛り込んでいたこと。さらに「児童ポルノの根絶」と「青少年性的視覚描写物」のまん延抑止に向けた事業者や都民の活動に都が支援及び強力を行う条文も存在した。

「児童ポルノ」をめぐる問題は国会においても結論の出ていない問題である。なにより、「不健全図書」をめぐっては、都における青少年健全育成条例の制定以来、自主規制を尊重しつつ、できるかぎり業界側も納得できる形で運用されてきた。

 表示図書類の項目が盛り込まれた01年の青少年健全育成条例改定以来、都の不健全図書指定は、従来の青少年保護政策から治安対策へと転換したとされてきた。この改定案は青少年健全育成条例が行政主導による治安対策の中で管理し運営されるものであることを、露骨に示したものだったのである。

 こうして登場した奇妙な「治安立法」の成立を直前で押しとどめたのは、出版業界はもとより日弁連、図書館協会、さらには漫画関連の学部を持つ大学からも寄せられた反対声明。そして「非実在青少年」のキーワードを契機に問題を知った市民を巻き込んだ広範な運動であった。動員数で成果を誇るのは、少々憚られるが3月15日に都議会の一室で行われた緊急集会には平日の昼間にも関わらず300人以上が参集。5月17日の豊島公会堂での集会には1000人以上が参加した。 反対運動が特定の組織の動員などなしに、改定案が示されてからの短期間の間に自然発生的に盛り上がったことは、実に注目すべきであろう。それが、改定案を否決に持ち込む成果を挙げたことは誇るべきことである。改定案が議会に示された2月都議会では、ほかにもネットカフェ難民の排除に繋がる「ネットカフェ規制条例」も示されていた。

 この条例に対しても、反対の声があったものの従来の市民運動スタイルで行われた運動はなんら衆目を集めることがなかった。対して、成功裏に終わった「非実在青少年」をめぐる社会運動は評価をされながらも、残された課題を十分に議論し得ていない。ここからは、非常時の中で見過ごされた課題を提示し今後の「表現の自由」をめぐる闘争の中で避けては通れない問題があることを認識して貰いたい。

過激すぎるボーイズラブに
18禁マークは必要である

 この社会運動を好意的に評価する人々は、成功の理由に女性が数多く参加したことを挙げる。漫画研究者である明治大学准教授の藤本由香里がオルガナイザーだったこともあり、女性が数多く参加していることは決してこの問題が男性向けのいわゆる「エロ漫画」に限ったものではないことを世間に知らしめた。こうした女性の多くは、改定案が男性向けのメディアに限らず、自分たちの愛好している「ボーイズラブ(BL)」「やおい」などにも及ぶことを危惧していた。そして、それは違った形で現実のものとなっている。

 東京都が揺れていた4月、大阪府がボーイズラブ図書に対して有害図書指定(個別指定)を行い、大きな注目を集めた。都と違い個別指定と包括指定を併用する大阪府は包括指定の基準について規定に該当する総量が「総ページ数の10分の1もしくは10ページ以上」とする全国的にも厳しい条例を定めている。いわば、有害図書指定について非常に熱心な自治体である。筆者が情報公開請求によって入手した資料によれば、府がBL図書を規制を検討し始めたのは昨年7月のことで、青少年健全育成審議会で議論を重ねた結果「性描写の激しいものについては個別指定」という方針を決定し指定に至ったのである。

 この動きと連動していたわけではないが、都も6月に入り数年ぶりとなるBL図書への不健全指定を行った。都のBL図書への指定は翌7月にも行われ「BLも規制される」という危惧が、まさに現実のものとなった。

 だが、これらのBL図書への規制の動きを「非実在青少年」問題と同列に語ることはできないであろう。府は指定に至った理由を「一部に好ましくない過激な描写がある」とする。指定基準は違うが、都の指定理由はもっと具体的だ。6月に指定されたオークラ出版から刊行されたBLアンソロジー『ラブプレイ1 ミミ☆モエ』については、諮問図書指定基準に該当する箇所として収録された三本の漫画を挙げるが、これらは性器の描写が無修正に限りなく近い甘い修正しか施していない。

 7月に指定されたジュネット発行の『コミックジュネ 8月号』では、付録DVDに収録されている実写の「ゲイムービー」が問題となった。
 都、府ともに行政当局が問題視しているのは、これらが成年向けにも分類されず一般の図書と同列に取り扱われていることである。

 男性向け図書で同程度の描写がなされるならば、確実に「18禁マーク」を表示して指定図書として扱われるであろう。出版社や読者の側は男性向けと女性向けは異なるものという意識があるのかも知れないが有害指定において男女の別は考慮されないのだ。もちろん、BL図書が「18禁マーク」を表示しないことには理由があり、行政もそれは認識している。

 大阪府の担当者はBLについてもマークなどの自主規制が望ましいとしながらも「男性向けのものは18禁マークがあっても売れるかも知れないが、女性向けの場合は抵抗があって買いにくくなる可能性があるから難しいという事情もわかっている」とも述べている。男性向けの「エロ漫画」が、それなりの専門店で購入されるのに対してBLの主な購入先は一般的な書店である。

 それらの書店ではマークが表示された図書を取り扱わない内規を持つところも多く販路が狭められることになってしまうからだ。とはいえ「女性が買うもの」という前提を錦の御旗にして、自主規制が疎かになっていることは否めない。7月に発行図書の指定を受けたジュネットが8月に刊行した『おもちゃピアス』の付録は「快感電マ」すなわちマスターベーション用のグッズである。成人向けに区分されることなく販売されている、このような図書までをも「表現の自由」であると高らかに宣言できる人がどれだけ存在しうるかは甚だ疑問である。

「非実在青少年」を契機に「表現の自由」をめぐる問題に注目が集まるものの、こうした自主規制などの配慮が必要な図書に関する議論は出版社、作者、読者ともに低調だ。4月の府の指定では計8誌が指定を受けたものの、府の青少年課に出向き話し合いの席をもったのは、筆者の知る限りうち一社に過ぎない。とりわけ修正の薄さに関しては、賛否があるにせよ存在しているワイセツ罪に該当する可能性を否めない。有害指定のみならず、刑法の定めるところの「犯罪」に抵触する危険まで犯して冒険する必要があるとは決して思えない。

 こうした問題に対する議論を阻害しているのは「非実在青少年」をめぐる運動が女性の参加によって成功したとする「神話」である。この「神話」の存在ゆえに運動に亀裂を生むことを恐れてBL図書の問題を語ることを避けるのであれば「エロいものを読みたいから反対しているのだ」という偏見を払底することなどできない。(一部の)BL図書が「第五列」となっている現実を直視しなくてはならない。

「第五列」はBL図書に限らない。3月、都副知事の猪瀬直樹はテレビ番組において秋田書店が発行した漫画単行本『奥サマは小学生』を引き合いに出し「このような過激な表現物を誰でも入手可能な場所に置くべきではない」と論じた。これに対し著者の松山せいじはTwitterで「おい!誰に許可取っているんだ!」と激怒と落胆のコメントを記し注目を集めた。この一件は、一連の問題を通じた都への不信感と連携しギャグ漫画に対しても不寛容な都の態度を批判する方向へと流れた。 しかし、同作品は少女にバナナをくわえさせる、身体にミルクをかけるといった形で性交を感じさせる描写が次々と登場する内容である。こうした図書の存在に、どのように対処していくか、都の改定案を許容しないのであれば話し合っていくべきではないか。

自主規制の成果は後代に
継承されているのか

 今回の改定案が否決された背景として、出版界が長きに渡って取り組んできた自主規制の成果は大きい。64年に都の不健全図書指定制度が設けられて以降、全国でも都だけに存在する「諮問図書に関する打ち合わせ会」の制度などを用いて、出版界はギリギリの抵抗の中で時には妥協し過剰な規制を阻止してきた。90年代の「有害コミック問題」の中では「成年コミックマーク」という新たな自主規制を導入することで対応。

 01年の条例改定によって表示図書制度が導入されると「出版ゾーニング委員会」を設立し対応してきた。半ば形骸化しているが、都があくまで出版界の自主規制を尊重する態度を取るのは、こうした長年の成果の積み重ねがある。 

 ところが、前述したような極めて問題のある図書の存在は、これまでの積み重ねをないがしろにしてしまっている。あるいは「表現の自由」をめぐる攻防の歴史が、下の世代に継承されていないのではないか。

 今後、登場するであろう新たな都条例の改定案に対してなにをなすべきか、筆者は政治的な闘争方針を示すことなどできない。都条例の問題は、半永久的に続いていく「表現の自由」をめぐる闘争の一つの局面にすぎず、それを一気に解決できる理論やマニュアルは存在しない。そうした中で作者や出版社に求められるものは、配慮に欠けた一部の図書にどのように対処するかである。あるいは、作品を出版し世におくりだした以上は、すべての責任がのしかかっていることを、改めて自覚すべきであろう。残念ながら、そうした意識が、なぜか欠如している作者や出版社が存在していることは認めざるを得ない。

 例えばBLにおける修正をめぐる議論において、筆者はある作者から「修正は編集の責任である」とする意見を突き付けられた。これは大きな間違いである。たとえ修正を行うのが編集者であるとしても、それは作者が委託したものであり作者の責任を無にすることにはなり得ない。作品を世に問うた以上は、無数の人に影響をもたらすことになる。それゆえに配慮もするし、なにかの時には責任も負う。その想像力がなければ出版に関わる資格はないと筆者は考える。

「表現の自由」はかけがえもなく大切だが、大多数には見向きもされぬものだ。改訂案をめぐり多くの人が集会に詰めかけ、急遽行われた条例改定案に反対する署名は、僅か一ヶ月余りで2万653筆の書名を集めた。それでも、7月に行われた参院選で「表現の自由」の問題を唱えた候補者は、誰も当選しなかった。これもまた、現実である。

 都条例の問題に限れば、都民の責務を求めるような思想統制の匂いを感じる部分を排除した上で、ゾーニングの問題に落とし込むための戦略が求められるであろう。ここまで記してきたように配慮に欠ける、あるいは現行制度ではカバーしきれないものへの対処までを否定する人は少ない。表現活動そのものを萎縮させる可能性を持つ過剰な規制を排除しつつ、必要な規制をどのような形で行うべきか。それを提案するのは作者や出版社でなければならないと、筆者は考える。

(初出:『旬刊 出版ニュース』2010年10月上旬号http://www.snews.net/news/1010a.html

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