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人間万事塞翁が馬

ダイアンの津田が相方ユースケから「高校に落ちるやつとかいます?こいつそうなんですよ」と突っ込まれるシーンを何度か見たけど、いやいや落ちる奴って普通にいるんすよ。かくいう僕がそうで、親が決めた進学校(というほど難関校ではないけども)を第一志望ということで半ば強制的に受けるはめになり、田舎の公立高校なんて大体内申点でうまく振り分けてくれて余程のことでもない限りみなどこかには受かるのが当たり前だった時代に、なんとうちの中学でその年もその前の年もずっと前の年にもいなかった「高校受験に失敗」という記録をつくってしまったのがはい、私です。

当時は「自分じゃ無理だと思ってたのに父親に無理矢理受けさせられていい迷惑だったのは俺の方だ」と思いこんで逆恨みしてたけど、実際は僕もどこかで「とはいえ自分のポテンシャルから言って受からないわけがない。本番に強い俺の実力を発揮して当日の試験で合格してみせるぜ」と根拠もなく脳天気にうぬぼれていたのだからどうしようもない。誰も悪くない。ただただ内申点が足りなかった俺が悪い。そう思えるようになったのは実はだいぶ後だったけどね。

そんなこんなで二次募集で滑り込んだのはお世辞にもレベルが高いとは言えない私立高校だったが、このあと今に至るまでの僕の信条みたいになる「人間万事塞翁が馬」と「自分で選んでロクなことはない。すべて流れに身を任せよ」はここから始まったと言えるほど、結果としてここに流されてきて正解だったと負け惜しみではなくそう思う。まあまわりは絵に描いたような不良と絵に描いたようなおぼっちゃんが同居するなかなか日々緊張感のある高校だったけど、ここで僕は普通に進学校に行ってたら体験できなかったようなことを一気に体験していく。悪いこともいっぱい覚えたし、大恋愛もした。初めて組んだバンドで文化祭で女子から大喝采を浴びるというキラキラした成功体験も積んだが、そのバンドで出会ったファンの後輩女子にその後、手痛い振られ方をするというトラウマになるほどの大失恋もした。また、さぼってばかりいたバスケット部ではあったが自分が知らない間に同級生のキャプテンによってクビになってたりするなど苦い経験もした(ちなみにそのキャプテンは他にもクビにした不良の同級生からかなり嫌われており、体育館の裏に呼び出されてボコボコにされてた現場に僕もなぜか呼ばれ「さあお前も殴って恨みを晴らせよ」と言われたがなんかそんな勇気はなく少し悪態だけついてその場を去った記憶がある)とまあ一言でいうと子供から少し大人への階段を上るきっかけをくれた3年間だった。たまに町で自分の落ちた高校に入った同級生と街で会うとなおさらそれを感じた。なんか子供だなぁ、話題が大学受験や部活や趣味のことばかりって平和だなぁ、こちとら毎日必死に生き抜いてるのになぁ、なんて感じて。

そんな高校生だから入学後も成績はさらに下がる一方で、大学進学時には再び全滅の危機に陥る。兄貴に言わせると「お前は自分が思っている以上に本当にバカだからな」と言われたりもしたけど、自分ではそう思っていないものだから、勉強してないのにどこでも受かる気でいたのだから手がつけられない。ここでも結局行きたい大学ではなくいくつも受けた大学の中で受かったところにただ入学した。親は「そんなレベルの低いところに行くなら浪人をして来年もう一度志望校を目指してがんばれ」と言うが、自分の性格を考えてみてもこれから一年間、まじめに勉強するとは思えず「もういいよ」と断った。親は憤慨してたけど。

名前も聞いたことのない、縁もゆかりもない土地に存在するその大学(今風に言えばFランというやつが)に入学して僕は初めての一人暮らしを始める。ここでも僕は、その後の人生を変えるくらいの強烈な出会いや体験をする。ここに入ってなければ今の僕はいないだろうと思えるくらい。ここの大学の軽音サークルの先輩バンドは当時のアマチュアの登竜門だったヤマハのライトミュージックコンテストなどで関東大会で入賞してたり、あるギタリストの先輩はそうしたコンテストでベストギタリスト賞を受賞するほどの人がしれっと部内にいたりして、まさかそんな凄い人がこんな田舎にいるとは普通思わないがたまたまそんな天才たちが同じサークル内にいたことで、僕も影響を受け、それまで四畳半フォークみたいな内省的な曲しかつくっていなかったのに、仲間とバンドをつくり、やがていろんなコンテストやオーディションで入賞したり、大きなコンテストで決勝大会に行ったりするようになる。趣味でいいやと思ってやってた音楽を「いや、プロでやりたい」と思わせるようになったのは間違いなくこのサークルに入ってからだし、結果的にプロミュージシャンにはなれなかったけど、ここで出会ったクリエイティブな仲間、バンドマンだけではなく他にも演劇をしている同級生やデザイナーたちとの交流がその後の就職でクリエイティブ分野を選ぶことへの刺激になった。

能動的に選んだ、あるいは何かで勝ち取って選んだ、とかそういうものではなく、いつも「それしかなかったから」進んだ道で後で振り返れば結局はそこが最善だったのだと思える経験をその後の転職などでも何度もしている。逆に一念発起して何か決断して「よーしやってやるぜ」と行動した時に大きな失敗をよくしてるので、僕は「あえて積極的に選ばず流れに身を任せた方がなんとなくうまくいくのだろう」というぼんやりした感覚がもはや確信に近いものになっている。

それでもたまに自分で選んで失敗はいまでもしている。直近だと、長く勤務していた会社を辞めた時がまさにそうで、周りからは年齢や今のポストを鑑みて慰留されたり、退職後の先行きなどを心配されたけど、ちょうどその頃、管理職として経営ボードのメンバーとしてストレスがMAXになっており、会社に行くのさえ嫌になってた時期で、これがジョージ・ハリソンならアップルの経営会議をサボって親友のクラプトン家に行って庭で日光浴しながら「ヒア・カムズ・ザサン」を書き上げたりするのだろうけど、僕はただただ経営会議に行くのも嫌になっただけでなく、部下の退職がたまたま重なったりする時期ですっかり参っていて、次に何をやるかというより、早くここから逃げ出さないとダメになる、というその思いだけで退職を決意した。

まああのまま続けてたら鬱状態になってたかもしれないからこの選択を失敗だとまでは思わないけど、辞めた次の月になんと緊急事態宣言が発出され、日本中で誰も毎日会社に行かなくてよくなった。間が悪いったらありゃしない。仲間の1人からは「会社が嫌になってても出社しなくてよくなってたんだからなんとかごまかしてがんばってれば給料もボーナスももらいながらうまくやれたんじゃないの」と言われたけど、まあそうかもしれないし、それでもダメになってたかもしれないからこればかりはなんとも。ただ「ああ相変わらず俺って自分の意志で決断するとなんかズレちゃうんだよな」と笑っちゃったけど。ま、そういう人生なんだな。

とはいえ、一生、自己選択から逃げられるわけはないので、こういうことは今後もおこるし、受け止めねばなるまい。いつまでも「決めたくない」などと言ってられないこともわかる。「人間万事塞翁が馬」は今でもその通りだと思うけど、これからは正解を探すのではなく自分の選択を正解にしないといけないことも増えるだろう。もういい大人なんだから。

ちゃんとやんなきゃな。

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