半導体戦争 読後雑感
ベストセラーとして話題の
半導体戦争 世界最重要テクノロジーをめぐる国家間の攻防
の日本語版が出版されたので取り寄せて読んでみましたのでその感想などを書いてみたいと思います。
まず届いた本は552ページ、謝辞まででも479ページあり分厚い、と言う点で期待が膨らみましたが目次を見て不安になります。
8部構成の54章立てで少しトピックを詰め込み過ぎではないかと思われました。
気を取り直して読み始めます。
半導体発祥の国、アメリカ視点でありトランジスタの発明以降、群像劇のように半導体産業で重要な役割を果たした人物が入れ替わり登場します。
従って厳密な時系列ではなく様々なエピソードが折り重なるようにして多少時代が前後しますが、それで難読になるという程でもありませんでした。
ただし現在の半導体産業は要素技術も含めると膨大な関連企業が関わる巨大産業ですが、さすがに全てを追う訳ではなく、主に「前工程」と呼ばれる半導体チップの設計と製造と言う「花形」分野のトピックが殆どです。
また日米半導体協定も数回触れられていつの間にか日本脱落、といった感じの情報粒度になっており一つのトピックは数行から数ページで次の話題に移ってしまいます。
日米半導体協定だけでも日米の当時の双方の経済情勢や産業構造、企業理念や主導した人たちの想い、政治展開、条約の効力や影響などそれこそ本一冊分くらいの物語がある訳ですが実にあっさり通過してしまいます。
日本人で取り上げられる人物もソニーの盛田昭夫氏が先駆的な役割を果たしたとして数回登場しますが日本の絶頂期で有頂天になってアメリカ人に上から目線で説教する人物が最終的には敗北を喫するという扱いでした。
およそ大体そんな「駆け抜ける」感じですが、読みながら「さて、この本はどんな人こそ読むべきなのだろう」と自問する事もありました。
業界に造詣が深い人には既報の連続でしょうし、半導体に興味を持ったばかりの人には図表の類も一切なく行間を補完する知識がないとピンと来ないでしょう。
自分のように多少半導体に興味を持った門外漢が半導体全史を俯瞰して眺めるのには最適であるという結論に達し読み進める事にしました。
アメリカで発明されたトランジスターやシリコン半導体チップを軍事用途で開発した企業が電化製品の民需という新しい市場を切り開き、そこから大きな発展軌道に乗っていく様が描かれています。
やがてアメリカ企業のフェアチャイルドが香港に工場を設け、東アジア圏での安価で良質な労働力と言う後の半導体産業で重要な役割を果たす最初のピースが嵌ります。
一方、アメリカの軍事産業は朝鮮戦争やベトナム戦争での共産圏の物量を前面に押し出す戦争に対して同じように物量で対抗するのでは勝てないのではないかという疑念から誘導兵器に傾注していく事になります。
初期の爆弾の先端でレーザー光線を検知して落下方向を調整する誘導爆弾は大きな効果を上げ、後に私たちが「テレビゲーム戦争」と呼んだ「ハイテク戦争」に代表されるような相手の物量を攻撃成功率の高さで上回るという「相殺戦略」で半導体がアメリカ軍を支える重要な戦略物資とみなされるようになってきました。
当時のソビエトの爆撃は半径300メートルと、目標の建物のある地区全体を爆撃し尽くす必要があったのに対し、アメリカは半径110メートル、後に精密誘導と言われる爆弾や砲弾では「どの建物を狙うか」から「建物のどの部屋を狙うか」という程に命中精度を高めていきます。
対するソビエトは「コピー戦略」で半導体技術の獲得を目指し、諜報活動やトンネル会社経由の密輸でアメリカの半導体や製造装置を入手し模倣しています。
後にソビエトのコピー品は精度は高く造られている事が分かりましたが、研究室でいくらか複製するだけならともかく、大量生産する量産化技術は当時既に複雑化しつつあった製造工程を構築するまでには至らず、結局は西側から買い付けるなどの方法に転換し、ソビエト版シリコンバレーは潰えていった様子が伺えます。
中国の半導体産業はソビエトからのトランジスター製造技術移転からスタートしましたが、やがて中国全土に吹き荒れた文化大革命では、技術者の多くが反動分子であるという理由から農村に下放され農作業をやらされ、農民であっても造れる半導体を目指すなど政権の干渉、そして対共産圏輸出規制のCOCOMにより大きく停滞する事になります。
1980年代の日本の半導体産業の躍進に業を煮やしたアメリカは日本製の半導体をダンピングで訴えるという荒業で「日米半導体協定」を結び、メモリのDRAM価格を固定化しつつ、韓国に技術供与してまでも日本製半導体のシェアを落としたかったようです。
本文中では触れられていませんが、日本のメモリはダンピングと言うより需要鈍化の価格下落に見舞われた物であり、自動化や生産管理で効率化を追求した生産体制によって良質でありつつ安価なメモリがアメリカ製のメモリのシェアを奪っていたと言うのが当時の日本の主張でした。
国家的支援とアメリカの援助により韓国の財閥グループがいくつも半導体産業に乗り出し、最もスケールメリットを狙えるメモリの製造に特化させたことで遂に日本からメモリのシェアを奪い、その競争力で世界のメモリ製造に君臨します。
その頃、台湾ではアメリカからの技術移転を受けた国策企業が立ち上がり、中でもアメリカ半導体産業黎明期の製造技術確立で大きな役割を果たしていたモリス・チャン氏を招聘して台湾積体電路製造(TSMC)が立ち上がります。
今でこそ世界の半導体の5割以上の製造を手掛ける同社ですが、当時の製造を請け負うファウンドリ事業は一社が企画、設計から製造、製品化までを手掛ける垂直統合企業が閑散期の自社工場の機械が空いている時に片手間でやるものという認識が主流であったため、事業を軌道に乗せるのには難航しましたが、同社の顧客サービスの評判やライバル社では発注しにくかった垂直統合企業のファウンドリ事業に対し製品アイデアや設計が露見しないという事が徐々に受け入れられ生産を拡大し、やがて巨額の設備投資とコスト競争の中で大きく飛躍していく事になります。
半導体製造が製品の高性能化の為に高度化していくと、製造に関わる企業は世界中に分散しており、それらを統合するサプライチェーンが注目され、またコスト競争によって製造を切り離していく国際水平分業化が促進されたために価格競争にさらされたアメリカは国内の製造力を東アジアのファウンドリにアウトソーシングし、また日本も最先端技術競争からは脱落、韓国はメモリ製造に特化し、台湾が製造を請け負い、アメリカやイギリスは設計を、また日本は製造装置や素材といった分野に存在感を残し、最新の半導体露光装置を製造できるのはオランダのASML社だけと言う状況になります。
そして「世界の工場」として経済成長してきた中国も半導体国産化を目指す事になります。
しかし地道な研究と技術の積み上げから始めた日本や韓国、台湾と言った国々に対し、中国は紫光集団に代表されるように既にある半導体メーカーの買収を繰り返し急成長する事になります。
2000年代初頭まではアメリカの政界も財界もこの中国の動きを歓迎し、アジアに残されたフロンティアとばかりにのめり込んでいきます。
この時点ではまだ中国ビジネスの政治的側面、商業的視点、安全保障上の問題は軽視されていました。
2010年代以降になると中国は軍の近代化の為にも産業の成長の為にも半導体が重要な役割を果たすとして重点発展分野に位置づけ巨額補助金を付けますが、既に高度に複雑化し世界が役割を分担している半導体技術を獲得する事は容易ではなくなっており、諜報活動や産業スパイによる技術窃取、特許侵害などの摩擦が半導体先進国との間で表面化します。
中国が豊かになり資本主義経済圏に組み込まれれば価値観を共有できると言う「幻想」から目が覚めつつあったアメリカは5G分野で成長していた中国のHuaweiを巡り安全保障の懸念から中国の半導体関連企業の制裁に本格的に乗り出します。
設計や特許知財という半導体製造のコアになる部分を抑えていたアメリカに対し、製造に特化してきた中国は半導体産業の最先端分野から締め出される事になりましたが、中国は規制の対象にならない最先端ではない汎用製品分野にシフトし、中国の半導体関連の規模は拡大を続けています。
懸念される台湾有事は中国が台湾国内のTSMC工場を無傷で手に入れても、戦闘で破壊されても同社が製造する37%もの半導体が市場から消えれば世界経済が大きく停滞し大打撃になります。
米中の軍隊近代化がこの危機に歯止を掛けるのか、それともパワーバランスが傾き不安定化するのか分からないまま台湾の新竹サイエンスパークと中国のテック企業がひしめく深センに莫大なマネーが流れ込んでいるという所で締められています。
本書で印象的だったのは、かつてイノベーションをけん引し何度も危機を乗り切る地力を見せたインテルが、今では進化を止めて絶滅を待つ恐竜のように扱われている点でしょう。
現に微細化競争は台湾のTSMCと韓国のSamsung電子の二強に絞られた感があります。
かつて日本のキヤノンやニコンに対抗して次世代のリソグラフィー技術と目されていた、しかし本当に使い物になるのか分からなかったEUV露光装置の開発をオランダのASML社に託し資金援助やロビー活動によってそれを実現し、最初に導入する契約をしたインテルが何故トップから脱落したのかについては諸説ありますが、著者のクリス・ミラー氏は同社がx86製品に依存し過ぎてスパコンやデータセンタに特化したGPUなどのライバル製品にシェアを奪われたまま思い切った決断が出来ずにジリ貧になったため、と分析しています。
また各国政府の巨額資金提供が自由貿易の理念に反しアメリカを脅かすとして日本の通産省主導の「超LSI技術研究組合」や中国の巨額補助金「大基金」などを不公正な象徴として捉えています。
一方で韓国や台湾にもあった同様の国家主導の半導体発展計画で政府が大きな役割を果たしてきた事には触れていません。
従って「半導体全史」と言うよりはやはりアメリカ半導体史、と言った方が適切な内容であると思います。
それでも半導体が発明され商業化された国ですから、その発展を俯瞰して辿れるという意味ではなかなか興味深く、初めて知った逸話やアメリカ側の考え方という視点が与えられる事は必読、とまでは言わなくても半導体という産業を知る事にはなるでしょう。
特にアメリカは半導体を軍事・宇宙開発の根幹を成して来た国家安全保障上の問題と見做しており、1980年代に日本が民間の商業的な貿易問題と捉えてアメリカの強硬な姿勢に戸惑ったのに比べると、中国はアメリカの怒りをやり過ごしながらも「成果」を着実に手に入れようとしてるようです。
実際に中国政府の外交担当者らは日米半導体協定を詳細に分析しているとも言われています。
もはや石油以上の戦略物資となった半導体は発祥国のアメリカであっても自国のみでは最先端の製品は量産する事が出来ず、参入する企業は否応なしに国際的な半導体サプライチェーンに組み込まれることになります。
一方で半導体を「消費」、つまり最終製品として組み立てる中国をこのサプライチェーンから切り離す事も事実上困難となっています。
この厄介な現象が「軍事技術」と密接に関わり、大国の打撃力の一翼を担っており、その戦場の最前線になるかもしれない台湾海峡周辺に重要なファクターが混みあっているのです。
果たしてアメリカは何処を目指すか、また中国はどのような策を講じるつもりなのか、日本の半導体復権の動きも相まって今後とも半導体情勢から目が離せない状況が続きます。
最後に、これまでの自分の半導体研究記事も併せてお読みいただきますと「行間」の理解の一助になるのではないかと思います。
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