自由になりたい
昔から自由になりたい。自由に生きたい。自由に表現したい。って思ってた。
でもそもそも自由って何なんだろ。何から自由になりたいんだろう。私を縛っているものは何だろう。
本当はやりたいこと、言いたいこと、やりたくないことがあるのに、
周りの人に合わせないと…とか、これを言ったら嫌われるんじゃないか、捨てられるんじゃないか、協調性がない、わがままだと言われるんじゃないか…
みんなと同じようにできないといけない。と。嫌なことでも苦手なことでも、みんな我慢してやっているんだから、それくらいやるのが大人としての責任でしょって。
でもこれまだ何も起きてない。頭の中で、こうじゃないかって予想してるだけ。その勝手な妄想でブレーキをかけて、グッと我慢している。
だから、私は自由じゃない。
でも縛り付けているのは、檻の中に閉じ込めているのは、私自身。
自由になるも、ならないも、私次第。
じゃあ、なんで縛り付けた紐をほどくことができない?
ほどこうとした時、私の中で抵抗する私がいる。
怖い。って。
自由に自分が生きてしまったら、それでもし他人に否定をされたら、
本当の自分が否定されることになるから。それだけは怖くて。
抑えている自分だったらそれは本当の私じゃない。だからもし否定されたとしても、それは偽りの自分だからダメージが少ない。
抑えているのは自分への防御線なんだ。自分を守るための。
でもどうする?このままずっと本当の自分を抑えて生きていく?
本当の自分を出せない苦しみをずっと抱えながら生きていく?
自分を出せない苦しみと本当の自分を否定されるかもしれない不安を天秤にかける。
本当の自分で生きた場合、、否定されるかどうかは「かも」なのだ。
勝手に自分が不安になってるだけ。もしそんな事はなくて、本当の自分が受け入れられたらどうだろう?
その喜びはすごいものなんじゃないだろうか。
今まで、偽りの自分が評価されることもあったかもしれないけど、嬉しいけどどこか満たされない気持ちがあるのは、それが本当の自分じゃないから。
こう考えたら…どっちもそんなにリスクは変わらないというか、むしろ、本当の自分が認められる喜びを考えたら、プラスマイナス…プラスになるんじゃない?
人は未知なものが怖いんだ。だから不安になる。
でも新しいステージで冒険をしたかったら、知らない世界に踏み込まなければいけない。
私は自由になりたい。本当の自分を表現して、自分の魂が震えるような喜びを味わいたい。
だったら、勇気だして、えいっと飛び込んでみるしかないんじゃない?
崖から落ちるかも思って飛んでみたら、その先に、見えてなかった透明な、フワッと押し上げてくれる天使の羽のようなものがあるかもしれない。
なんだ、見えてなかっただけで、ちゃんと進める道があったんだ。って笑っちゃうかもしれない。
どうかどうか、それを信じて、一歩を踏み出せますように。
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