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自己開示と大切な秘密、『正欲』を読んで感じたこと

たった一つのことを隠しているだけなのに、その一点が人生のすべてと繋がっているから、誰とも対話ができなくなる。会話はできても、対話ができなくなってしまう。

朝井リョウ 『正欲』



今読んでいる小説の中に考えさせられる文章を見つけました。

自己開示については、私もすごくよく考えているテーマです。

私自身、ブログにどんな風にプロフィールを書こうか迷いました。

自分の悲しみ、暗闇というのを今まで積極的に話してきたわけではないので、その部分について深く知られるというのは抵抗も感じました。

深く開示した分だけ、誰にどのように思われるか、という余計な心配をしなくちゃいけなくて、それならばいっそのこと大切なことは書かない方が自分を守ることにも繋がるし、その方が心地よいのかな?と考えたこともありました。

でも、その悲しみや暗闇が私にとってヒーラーとしての「はじまり」であり「起点」であって、小説の言葉を借りるなら「人生のすべてと繋がっている」ような大切な一点なのです。

なので、それを表現しないとなると、なんだか起点がぼんやりするし、悩んだときに立ち帰るべき「原点」を失うようにも感じました。

私は確かにあの場所から歩いてきて今がある。

あのとき悲しんでいた私、暗闇の中にいた私、頼りなかった私、それでもその時を精一杯生きて今に繋げてくれた道のりがあって、その頼りなさを愛してあげたいなとも思いました。

創造療法をセルフワークでしてみたり、提供するなかでも感じることですが、起点を定められないと人ってなかなか動けないんですよね。

起点を定める、とは、抵抗があって完全には受け入れることができていなかった自分の感情や現実、真実を受け入れるというプロセスでもあります。

受け入れることができるから、ここから動いていこうという創造性の刺激を得るんです。

でもそれが、ここから逃げてもいいかな、とか、テキトーに生きてたらいいよね、あんまり見たくないな、になってしまったら、起点を定められないまま自分の真実を力強く生きることが難しくなるんです。

だから、はじまりの一点を、人生のすべてと繋がっているような点を自分の中心として生きてあげることはものすごく大切なことなんです。



でも、だからといって何よりも自己開示しなきゃダメ!とは全く思っていません。

自己開示というところまでいかなくても、その隠している一点をとても大切な秘密なんだって何よりもまずは自分自身が守りながら優しく扱うことができたらいいのかな、って小説の中のあの子に伝えたいです。

自分の個性をまずは自分で受容してあげる、そのプロセスにたどり着いていない感じがします。

秘密のある人は兎角、そこに自己開示できないことの後ろめたさも絡めて、どんどん重たく生きてしまう人が多い気がします。

秘密を後ろめたい暗いもののように扱わなくても、自分にとって守りたい大切な光なのだと思えたら、心が楽になるんじゃないでしょうか。

開示するかしないかも、誰に開示したいかも、自分を中心に決めていいことであって、多分、秘密どうこうというより生き方自体において、人生の中心に自分がいない感覚に苦しんでいるんじゃないかなとも思います。




私は今の職場の人は職場だけの関係性でいいと思っているので、深いところまで自分を開示しようとは思っていません。

それでもすごく楽しくお互いを思いやりながらの仕事ができているのでそれで十分満足しています。

開示しないからその人たちがどうでもいい人という感覚もなく大切な仕事仲間であることに変わりはありません。

いつも仕事のことで色々と冗談を言ったり、そうしたことを気楽にできることが楽しいんです。


でも、ヒーラーやセラピストととして活動するにあたっては、自分の原点を伝えなければ、自分がどういう人間なのか伝わらないし、伝えた方がやっぱり気持ちいいと感じました。

自分の中の暗闇が、心の傷が、大切な模様となって私のデザインの一部になっているような感覚なのです。




小説はまだ途中までしか読んでないので、あの子がどんな風に生きていくのか…気になるところです。





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