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もう💮(はなまる)は、いらない:すだち

何度も試行錯誤して作り上げた、写真教室の課題(肩書・写真の取り組み方の決定)ですが、講師からのダメ出しで書き換えることとなりました。

このnoteで作成する過程をみてもらいながら作った当初案はこちら。

「笑顔の写真愛好家」qtta_
写真に魅了されてから、ぼくはずっと笑顔で写真を撮っています。
これからも、ぼくの写真をみた人も笑顔になるような、日常の中にある気持ちが休まるシーンを撮っていきます。
また、人物を撮るときは、笑顔の写真が撮りたいです。
写真を楽しく撮って、写真で楽しく生きます。

これを講師から感情的に批判・否定され、書き換えたものがこちら。

「毎日笑顔で撮る写真愛好家」qtta_
毎日カメラを手に、自分の心を動かす色や形の組み合わせ、差し込む光とそれが作り出す影を写し取る。アートに憧れながらも、自己表現の手段を見つけられなかった自分がたどり着いた写真表現。今は毎日が楽しくてたまらない。そして、明日も明後日も、楽しく笑顔でシャッターを押し続けます。

こちらはOKらしい。???
僕にとっては、二つはひとつづきの同じもの。
前者はこれから歩んでいく写真ライフのゴール付近の描写で、後者は入り口付近の描写。

考えてみれば、自己表現やアートはその人独自のもの。枝や葉のようなテクニックだったり工夫、基本的な知識は別として、僕自身がどう感じて、どう表現するかという幹の部分は、誰にも口出しできないはず。

恐ろしいことに、小中学校で学んでいたころから遠く離れた年齢になっても、「教室で先生から学ぶ」という状況を一年続けると、知らず知らずのうちに「こう撮ったら、ほめられるかな、💮(はなまる)がもらえるかな」という本質から外れた態度になっていたのかもしれません。

これから1年間のカリキュラムには「今まで身につけたものを捨てる」という項目も含まれています。だから💮(はなまる)をもらおうと迎合する姿勢も一切捨て去ることにします。

アーティストにむけての第一歩、💮(はなまる)はもういりません、
「すだち」です。




すだちです。
夏季限定すだちうどんです。
すだちならではの酸味と冷たいだしがこしの強いうどんにからんで絶妙なハーモニーを奏でます。

💮はなまるうどんはもういりません、スダチです。

                            qtta_




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