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私は古事記の話がしたい(国生みと黄泉の国冒険編)

 みなさん、古事記という物語をご存じですか?古事記という名前は知らなくても、登場人物や道具の名前は聞いたことがあるかもしれません。例えば、勇ましいスサノオと恐ろしいヤマタノオロチ、傷ついた因幡の白兎、日本三大神器の一つといわれる草薙の剣など。きっとどこかで耳にしたことがあるのではないでしょうか。ヤマタノオロチとの戦いなど、個々のエピソードは知られているのに、物語全編をお読みになった方は少ないと思います。有名なエピソード以外にも、古事記には面白いお話がたくさん載っていますよ。

そこで、このnoteでは、古事記全編を数回に分けてご紹介したいと思います。現在の感覚からすると差別的な描写もありますが、1300年前のお話ということを念頭に置いてお読みください。お話の後には古事記豆知識や解説を記載しました。あわせてお楽しみいただけると幸いです。

神様の結婚と日本誕生

 遥か遠い昔、何もない空間から天と地が初めて分かれたころ、天の高天原(たかまのはら)にアメノミナカヌシノカミ(以下アメノミナカヌシ)という神様が生まれました。続いて、高天原や地上に6人の神様が次々と生まれました。これら7人の神様には性別がありませんでしたが、次に、性別のある神様が、男女それぞれ5人ずつ、計10人生まれました。その10人のなかのうち、最後に生まれたのが男神のイザナギノカミ(以下イザナギ)と、女神のイザナミノカミ(以下イザナミ)です。

2人は、アメノミナカヌシから一振りの矛を授かると、天と地の間にかかっている橋に立ち、まだふわふわとろとろとして固まっていない地上を、その矛でくるくるとかき回し、すっと矛を引き抜きました。すると、矛先からぽたぽたと潮水がこぼれ落ち、その潮水が固まって小さな島ができました。これをオノゴロ島といいます。

2人はオノゴロ島に立派な柱と御殿を立て、結婚の儀式をすることにしました。イザナギがイザナミに「あなたの身体はどうですか」と聞くと、イザナミは「私の身体はほとんど完璧だけど、一か所だけ足りない部分があるの」と答えました。それを聞いたイザナギは、「おれの身体もほとんど完璧だけど、一か所だけ余っている部分がある。お互いの余っている部分と足りない部分を合わせて国を生み出そうと思うけど、どうかな」と聞きました。イザナミは二つ返事で「それはいいですね!」と答えました。イザナギは、「ではこの立派な柱を回って結婚をしよう。あなたは右から回ってください。おれは左から回るから。」と言って、2人はお互いに柱を半周しました。柱の向こうで再び二人が出会ったとき、まずイザナミが「ああ!なんて素敵な男の人なのでしょう!」と言いました。それに続いてイザナギが「ああ!なんてかわいい女の人なのだろう!」と言いました。そして2人はセックスをし、水蛭子(ひるこ)という子供が生まれました。しかし、この子供は葦の船に入れ、流して捨ててしまいました。次に、淡島(あわしま)という子供が生まれましたが、この子供も自分たちの子供として認めませんでした。

2人は、どうして立派な子供が生まれないのだろうと悩み、天の偉い神様に相談をしに行きました。偉い神様は占いをして、「結婚の儀式のときに女が先に声を発したのが良くなかったから、儀式をもう一度やり直したらいいよ」と言いました。2人は早速オノゴロ島に戻り、偉い神様の言うとおりにもう一度立派な柱を回り、今度はイザナギが最初に「ああ!なんてかわいい女の人なのだろう!」と言い、次にイザナミが「ああ!なんて素敵な男の人なのでしょう!」と言いました。そうして2人が再びセックスをすると、淡路島が生まれました。天の神様の言うとおりにして立派な子供が生まれたので、2人はその後もどんどんセックスをして、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州が生まれました。これらの八つの島が先に生まれたことから、日本のことを大八島国(おおやしまぐに)と呼ぶようになりました。その後も2人はいくつかの島を産み、国生みがひと段落すると、今度はたくさんの神様を産みました。

ところが、イザナミが最後に火の神様を産んだとき、陰部に火傷を負い、その傷がもとで亡くなってしまいました。「これからも妻と一緒に国つくりをしていこうと思っていたのに!」そう言ってイザナギはたいそう嘆き悲しみました。イザナミの亡骸は島根県と鳥取県の境にある比婆(ひば)の山に葬られ、イザナミはそこから死者の国である黄泉の国へ旅立ちました。イザナギは、イザナミのことをとても愛していましたから、愛しい妻が亡くなるきっかけを作った子供のことが憎くて仕方ありません。愛しい妻を失った悲しみで、ついにイザナギは自分の子供を斬り殺してしまいました。しかし、それでも妻を失った悲しみは癒えません。イザナギはどうしてももう一度妻に会いたくなり、とうとう黄泉の国まで妻に会いに出かけていきました。

妻との再会と黄泉の国脱出

イザナギは黄泉の国に着くと早速「ねえ、愛しい妻!まだ国つくりは終わっていないから、おれと一緒に帰ろうよ!」とイザナミに呼びかけました。イザナミは黄泉の御殿から出てきて「もっと早く来てくれたらよかったのに!私はもう黄泉の国の穢れた食べ物を食べてしまったから、現世には帰れないの。でもせっかくあなたが訪ねてきてくれたのだし、私も本当は帰りたいから、念のため黄泉の国の神様に相談してみるね。ここでしばらく待っていて。だけどその間、絶対に私の姿を見ないでください。絶対に。」と言って御殿に戻っていきました。

しかし、いつまで経ってもイザナミが御殿から出てくる気配がありません。イザナギは早く妻と一緒に帰りたいのに、こうも待たされては辛抱たまりません。ついに髪に挿していた櫛の歯を折り取り、それにたいまつのように火をともして、御殿のなかに入っていきました。御殿は暗く、なにかが腐ったような臭いが立ち込めていて不気味です。櫛にともした火であたりを照らしてみると、なんと、その嫌な臭いのもとは腐ってドロドロに溶けた妻だったのです!イザナギはあまりにびっくりして急いでその場を逃げ出してしまいました。姿を見られたイザナミは「絶対に見ないでって言ったのに・・・ひどい人。私に恥をかかせるなんて!」と言って、ヨモツシコメ(死の穢れを擬人化したもの)を呼んで、逃げたイザナギを追わせました。イザナギは捕まるわけにはいきませんから、逃げながら髪を飾っていたかつらの葉を抜き取って後ろに投げました。すると、かつらの葉からたちまち山ぶどうの実が生えてきました。ヨモツシコメたちは、わっ!と山ぶどうに飛びついて食べましたが、すぐに食べ終わって再びイザナギを追いかけてきました。

次にイザナギは、髪に挿していた櫛の歯を折り取って後ろに投げました。すると、櫛の歯からタケノコがぐんぐん生えてきました。ヨモツシコメたちはタケノコにも目がありませんから、引き抜いてはむしゃむしゃと食べています。イザナギはその隙にどんどん走ってずいぶん遠くまで逃げました。もう充分だろうと思って振り返ると、そこにはイザナミから生まれた8人の雷神たちが、1500人の鬼の軍勢を引き連れて追ってくるのが見えたではありませんか。イザナギは腰に差していた剣を後ろ手で振り回しながら、命からがら黄泉の国と現世の境目であるヨモツヒラサカまでたどり着きました。

もうイザナギの身体は走りすぎてぼろぼろです。あと一息で現世に帰れるのに、すぐ後ろには鬼の軍勢が迫っています。もうだめかもしれない。そんなとき、一本の桃の木が彼の目に留まりました。イザナギは桃の実を手に取ると、鬼たちを待ち受けて力いっぱい投げつけました。桃には魔除けの力がありますから、鬼たちは驚いて全員一目散に退散していきました。イザナギは命を救ってくれた桃に深く感謝し、「これから先、人々がつらいときや苦しいときは、どうか助けてやっておくれ。お前が今私を助けたように。」と言って、桃にオホカムヅミノミコトという神様の名前を与えました。そうこうしているうちに、今度はしびれを切らしたイザナミが追いかけてきました。それを見たイザナギは、近くにあった大きな岩でヨモツヒラサカの出入口をふさいでしまいました。岩に遮られてしまったイザナミは、もうイザナギに触れることさえできません。イザナミは「愛しい人、あなたがそんな仕打ちをするのなら、私は日本中の人間を一日に千人ずつ締め殺してしまいますよ。」と言いました。イザナギは「愛しい妻、もしあなたがそんなことをするのなら、おれは一日に千五百の産屋を建て、千五百人の子供を産ませるだろう。」と言いました。そしてこの日から、日本では、一日に千人の人間が死に、千五百人の人間が生まれるようになったのです。

つづく


おまけ

知らなくても本編は理解できますが、知っているとより楽しい、ちょっとした豆知識を記載しました。良かったらこちらもご覧ください。

・そもそも、古事記って?
古事記という物語は、日本の最古の歴史書です。歴史書を作ろうと発案した天武天皇(在位673-686年)が日本土着の伝統や言い伝えなどを整理し、稗田阿礼(ひえだのあれ)という大変記憶力の良い側近(舎人/とねり)がそれらの言い伝えや、帝紀(天皇の系譜の記録)、旧辞(古事記以前の歴史書)などを数十年間ものあいだ記憶し、稗田阿礼が暗唱したそれらの記録を太安万侶(おおのやすまろ)という朝廷に使える貴族が取りまとめ、712年(和銅5年)に完成しました。
古事記には、日本ができてから推古天皇(在位593~628年)までの時代が記載されています。古事記の最後の仁賢天皇から推古天皇までの10代は、名前が羅列されているだけで物語は全くありません。推古天皇までの時代が書かれている意図は、推古天皇の次の舒明天皇(在位629‐641年)が(古事記の時代から見て)近代の祖とされており、その近代の前の時代を描こうとしたからと言われています。歴史書とはいっても、日本各地(や、東南アジア)の民話、言い伝え、信仰を、天皇の支配が正当化できるような流れにつなぎ合わせて作られたものですから、現代の感覚でいう歴史書とは少々違う趣を持った書物です。

・日本書紀との違い
日本書紀も古事記と同時期(古事記より8年あと)に成立した日本の歴史書です。内容は異なる部分もありますが、似通った部分も多くみられます。なぜ同じ時代に二つの歴史書が生まれたのでしょうか。これらは、編纂の目的が違うのです。両者とも漢字を使って書かれていますが、古事記は漢字の音読みに加え、日本独自の読み方の訓読みが含まれ、日本人の読者を想定しています。対して、日本書紀は外国人向けに(当時の東アジアの公用語であった)漢文で書かれています。また、古事記はふること(次項で解説します)を重視しているので口語中心、日本書紀は日本の歴史を他国へ伝えることが目的なので文語が中心です。

・”ふること”とは?
前項で少し触れた”ふること”とは、”神聖な言葉”を意味する単語です。ふることを漢字で表すと”古事”。つまり、古事記はふることを記した書物ということになります。古事記のすべてがふることではありませんが、書名になるほど重要視されているのです。古事記の書かれた時代では、書かれた文字よりも声に出された言葉のほうがずっと特別だとされていました。特にふることのような神聖な言葉は、口頭で言わないと正式ではないというのが通常でした。また、書き言葉である漢字は「中国から借りている、借り物の文字」という意識があったのかもしれません。古事記の編者は、口伝えのふることを何度も口に出して良く口になじませたうえで、それを訓読みの漢字で一音ずつ表すなどの工夫をしたようです。

・神様の数えかた
今回の記事では分かりやすさを重視して、神様のことを一人、二人と記載しましたが、本来神様の数を表すときは一柱(ひとはしら)、二柱(ふたはしら)と、柱という文字を使って表記します。

・古事記の再発見
古事記について書かれている本が数多く出版されている現代ですが、古事記は長い間、日本書紀を読む際のオマケ程度の価値しかないと思われていました。その古事記を再発見し、古事記研究の基礎を作ったのが本居宣長(もとおりのりなが)です。彼は、昼は医者として、夜は国文学の研究者として活躍しました。その研究の結晶が、現代の古事記研究の礎となった「古事記伝」です。古事記伝は、1764年から1798年まで、35年をかけて記されました。本居宣長なくして今日の古事記研究はありえないのです。

・水蛭子(ひるこ)と淡島(あわしま)はなぜ生まれたのか
男尊女卑の考えから、結婚の際に女性が最初に言葉を発したことを罰する意図で、ヒルのような見た目の肉の塊のような子供が生まれてしまった、という説と、兄弟相姦のタブーを示している、とする説があります。

・ほかの島よりも、淡路島がなぜ一番最初に生まれたのか
淡路島の海運業を生業としている人々が大和朝廷に奉仕しており、彼らの影響があったためと言われています。もともとイザナギとイザナミも彼らの間で信仰されている神様だったようです。

・神様の生まれ方
古事記では、イザナギとイザナミの例のように、神様の夫婦から子供として新しい神様が生まれるケースもありますが、実に様々なものから神様が生み出されます。身体についた穢れを濯ぐ際に生まれたり、吐瀉物や糞尿、死骸や血など、神様のイメージからほど遠いものからも神様が生まれます。現在では神様というと尊いイメージがありますが、古代では善悪を問わず、人知を超えたものを全て神と呼んでいたようです。今回は端折りましたが、イザナギが火の神様(火之迦具土神/ヒノカグツチノカミ)を斬り殺した際も、血しぶきや亡骸からたくさんの神様が生まれています。

・イザナギがヨモツシコメに投げたかつらの葉と櫛について
かつらとは、現代のカツラ(ウイッグ)と同じようなもので、当時はつる草を輪にして頭を飾っていました。切っても切っても生えてくるつる草の旺盛な生命力を体内に取り込むことができると考えられていました。また、かつらという言葉はつる(つた)に通じ、山ぶどうのつるを連想させます。一方櫛は、髪に挿すものです。髪は神に通じることから、髪も櫛も神霊の宿るところと考えられていました。

・桃の実で鬼退治
桃はその形や、葉や花が旺盛に繁る様子から、生命力や多産の象徴として、古くから邪気を払うものとされていました。桃太郎の伝説もその流れですね。


参考文献

以下の本やラジオ番組を参考にしました。

鈴木三重吉「古事記」 https://amzn.to/2lE8ukK
児童文学の草分けである鈴木三重吉が分かりやすく現代語訳にした古事記です。優しい語り口で、ルビもあり、子供でも読みやすい内容です。セックスの描写などは書かれていません。なんとkindle版は無料です。ありがたい。

富安陽子著、三浦佑之監修、山村浩二イラスト「絵物語 古事記」 https://amzn.to/2m0hbpV
こちらは絵物語の名の通り、古事記の最も面白い部分(全3巻のうち上巻)をたくさんの挿絵とともに紹介されていて、情景が頭に入ってきやすく楽しいです。イラストは頭山(アニメーション)の作者でもある山村浩二さんが担当されています。

島崎晋「らくらく読める古事記」
https://amzn.to/2ktwnvh
上記2冊を読んで、もっと古事記のことが知りたいと思った方におすすめです。物語として読もうと思うと鈴木三重吉に軍配が上がりますが、こちらは古事記の全ての逸話が紹介されており、エピソードの解説や、古事記ゆかりの観光案内まで載っています。

山口佳紀、神野志 隆光「古事記(日本の古典をよむ 1)」
https://amzn.to/2m1z3AM
古事記について調べたあとに読んだので流し読みしており、本そのものの内容はあまり覚えていないのですが、装丁がかわいい。古事記の成立の段を参考にしました。

ラジオ
放送大学教養学部開設科目 多田一臣”「古事記」と「万葉集」”
現在は放送期間が終わっていて聴けないのですが、来年の春季になれば再び聴講できると思います。農作業をしながらradikoで流し聴きしていたのですが、あまりに面白くていったん家に帰ってメモをしながら聴いたのを覚えています。

他にも面白い文献がありましたらお教えください。おまけの部分が多くなってしまいましたが、次回はもうちょっとスリムになる予定です。よろしければ次のお話もご覧ください。お読みいただき、ありがとうございました。

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