見出し画像

日系企業研究職からスタートアップのエンジニア職に転職して2年が経ちました

本記事はUMITRON Advent Calendar2021の12/10分の記事です。

はじめまして、ウミトロンでソフトウェアエンジニア(主にコンピュータビジョンに関する技術周りを担当)として働いている高橋( q_tarou )です。

私は2019年の9月に日系企業の研究所からウミトロンに転職しました。本記事では、当時研究所以外で働いたことのなかった私が、スタートアップにおいてどのような2年間を過ごしてきたかを振り返りたいと思います。

全く再現性の無い内容ではありますが、ほんの少しでも同様のバックグラウンドを持つ方の参考になれば幸いです。また、本記事を通してウミトロンのビジョンや文化に共感し、同じように泥臭く試行錯誤・挑戦がしたい!という方がいらっしゃいましたら是非ご連絡いただければと思います。

自己紹介

1987年12月10日(今日!)生まれの34歳。コンピュータビジョン、特にカメラキャリブレーションや多視点カメラを利用した三次元再構成などの分野を専門とし、現在はこれらの実世界への応用に興味を持っています。(詳細な活動は個人HPをご覧ください)野球・将棋・競馬の観戦および柴犬が好きです。

2012年3月に修士号(情報学)を取得して前職に入所し、2018年3月に博士号(情報学)を取得、2019年9月に現職に移りました。

ウミトロンとは

ウミトロンは、成長を続ける水産養殖にテクノロジーを用いることで、将来人類が直面する食料問題と環境問題の解決に取り組むスタートアップ企業です。シンガポールと日本に拠点を持ち、IoT、衛星リモートセンシング、機械学習をはじめとした技術を用い、より安全で、人と自然に優しい「持続可能な水産養殖を地球に実装する」ことを目指しています。(公式HPより

弊社に関しては下の記事群に目を通していただけると雰囲気がつかめるかと思います。

1.転職の経緯

転職の経緯は以下のとおりです。2年前なのでちょっと懐かしいですね。

・いつ頃から転職を考えだしたか
2018年の春ごろから。30代に突入したこともあり、自身の30代をどう生きようかと考える中で転職という選択肢がありました。

・なぜ転職をしようと考えたか

一つの企業(あるいはそのグループ)で働き続けるよりも、全く異なる文化圏でキャリアを積んだほうが面白そうという個人の興味に加え、生存戦略の観点からも良いと判断したから。

・なぜ研究職ではなくエンジニア職として転職したか

前職での取り組みの中で専門知識を活かして現場の課題解決に取り組む案件があり、それが非常に楽しかったこともあって、一度専門知識を活かしたエンジニアとして本腰を入れて取り組んでみたいと思ったから。研究職を離れることは正直かなり勇気が要りました。

・転職時の開発スキルレベル
pythonやmatlabで自身が使う実験用のプログラムが書ける程度。githubなどもちょっと触ったことがあるくらい。サーバサイドやモバイルアプリは遊びで少し書いたことがある程度で、ほとんどわからない状態でした。今考えるとかなり厳しいスキルセットですね・・・。

・ウミトロンをどのように知ったか
大学時代に同じクラスの友人だったtakc923に誘ってもらった。人生の重要なターニングポイントとは思えないほどの雑なやりとりでした。(転職したのはこのメッセージの6ヶ月後)

スクリーンショット 2021-12-07 15.39.32
雑な誘い

・転職先としてウミトロンを選んだ理由
単純に面白そうだったから。新たなキャリアでは自身の専門性を活かしつつ、世の中に貢献する大きな仕事に関わりたいと思っていました。その中で、食や環境に関わるウミトロンの取り組み・ビジョンは自身の要望を十分に満たすものでした。また、私も元々水中画像処理に興味があったこともあり、専門性も活かせそうというのも大きかったです。ウミトロンの話を詳しく聞いたとき、自分の中で「あ、これは面白そう」と何かがハマる感覚がありました。

2.ウミトロンで取り組んだこと

ウミトロンでは主に3つのプロジェクト + 対外活動に取り組んできました。

a) UMITRON LENS (2019/09~現在)

1つ目はUMITRON LENSというステレオカメラを有するIoTデバイスを用いて魚のサイズや重量を推定するプロダクトの開発です。これは自分の専門性(カメラキャリブレーションや多視点カメラを利用した三次元再構成)がドンピシャだったこともあり、入社3日目にまさしく丸投げされました。それ以来プロダクトの開発を(一応)リードしており、自分にとって非常に思い入れの強いプロダクトの一つです。

スクリーンショット 2021-12-07 15.42.03

丸投げ直後、早速アルゴリズムの考案および実装して研究室環境レベルでの実験を重ね、ある程度仕上がったら現場へ持っていき、得られた知見や結果をフィードバックしてさらに改善するというサイクルを繰り返していきました。途中から開発メンバーが1人増えたので、並行してサービスとして成立させるための準備(サーバーサイド、スマホアプリ開発)を進めました。ハードウェアも一新し、性能や体制が一定のレベルに達した昨年の12月10日にプレスを出すに至りました。(ちょうど今日で1周年!)その後も生産者の方々に協力いただきながら、性能や使い易さの向上、他サービスとの統合を目指して日々開発を進めています。

b) マル秘プロジェクトA (2019/12~2021/03)

2つ目は詳細は記載できませんが、主に海外を舞台にしたプロジェクトです。2019年の11月、突然の

スクリーンショット 2021-12-07 15.34.53

という軽いお誘いで同行した出張(自分史上、最も過酷な出張でした)から関わり始めました。このプロジェクトではメイン解析機能の一つを担当し、アルゴリズムの考案・実装および検証から自動化までを開発しました。手離れ良く作れたこともあり、現在は別のエンジニアの方に引き継いでいます。

c) マル秘プロジェクトB (2020/02~現在)

3つ目のプロジェクトも海外を舞台にしており、突然の

スクリーンショット 2021-12-07 15.35.03

という軽いお誘いから始まりました。結局当時の状況もあって出張は叶いませんでしたが、それ以来プロダクトの解析機能の開発を担当しています。詳細は記載できませんが、当初の構想を議論した段階では「これ本当に作れるのか?」と思えるほど様々な観点で制約や条件が厳しいものでしたが、一緒にこのプロジェクトに参加しているスーパーエンジニアの方々のおかげでなんとか生産者にトライアルとして利用いただける段階まで来ました。解析の観点でも非常に難しい取り組みの連続でしたが、同僚たちと試行錯誤しながらなんとかプロダクトとして成立しそうな問題設定や体制に落とし込めつつあるのかなと思います。

d) 対外活動

上記のプロジェクトと並行して、研究分野に貢献する活動も会社に支援いただきながら続けています。この2年間では主に研究会委員(CVIM研究会)や論文誌編集委員(情報処理学会)、学会の運営委員(MIRU2020, MIRU2021の運営副委員長)として活動しました。また、ありがたいことに何度か講演(CVIM特別講演、SSII2021 オーガナイズドセッション)や記事執筆(OplusE 2021年11・12月号)する機会をいただきました。ご興味ある方ぜひご笑覧ください。

現在はa), c), d)の業務を並行で進めており、忙しいながらも非常に充実しています。論文執筆も含め、もっとやりたいこと・試してみたいことが沢山あるのですが自身の能力と時間が足りずに後回しになっているので、3年目はもう少し効率よく業務を進めたいです。

3.同僚からの質問

振り返るにあたって同僚からいくつか質問をしていただいたので、それらに回答していこうと思います。

・研究職 → エンジニアのギャップは?
良いギャップは、手法や知見の新規性にこだわる必要がなくなったこと。研究職で働いていた時、私は「論文として書けること」に囚われすぎていて、自分の興味があることや世の中の役に立つことから逸れてしまう事が度々ありました。現在は「ユーザが喜ぶこと」や「きっと役に立つはず」という思いドリブンで仕事が進められ、個人的にはその方が性に合っているのかなと思っています。(もちろん、それはそれで大変なことも多いですが)

悪いギャップは、キャリアの構築が難しいと感じること。研究職では各自専門領域があるため、それを頼りにキャリアを構築していける(と思う)のですが、エンジニアではカバーする範囲が広すぎることもあり専門領域の定義がより曖昧なので、今後自分がどういうエンジニアとして生きていくかは重要な懸案事項です。現在は昔とった杵柄で主にコンピュータビジョンを専門とするエンジニアとして生きていますが、最近は最新手法へのキャッチアップも難しくなってきており、いつ自分がオワコンになってしまうかという不安が常にあります。もう少し中長期的な観点で戦略的に知識・スキルを身に着けていかねばという思いがありつつも、現状場当たり的に必要となった知識を摂取しているという状況です。

・研究職を経験したことによる強み
専門知識以外では、研究業務を遂行する上で培った (i) 問題解決における試行錯誤のイロハ、(ii) テクニカルライティングスキルの2つ。解析機能の実装などはまさしく従来の研究業務と類似しているのでそのまま経験が強みとして活かされていますが、サービスやプロダクトの設計といったより曖昧な取り組みにおいても、問題の分解や仮説の検証といった試行錯誤において研究職での経験が活きていると感じています。また、(ii)に関してはテキストベースのコミュニケーションにおいて、背景や課題などを適切に相手に伝えるという観点で非常に役に立っています。在宅勤務がメインになってテキストの量が増えたことも有り、よりその重要性は増したのでは無いでしょうか。研究職を経験された方の多くは上記に関するトレーニングを積んでおり、これらは汎用性の高い強みかなと思っています。

・入社後のソフトウェアエンジニアリング周りのキャッチアップ方法
全然キャッチアップできていない。。。 ソフトウェアエンジニアリング周りは知らないわからないことだらけだったので、基本的には周囲のスーパーエンジニアの方々に優しく教えていただく&自分でひたすら調べまくるの繰り返しでした。本来はちゃんと体系的に勉強するべきなのですが、まだまだ不十分というのが正直なところです。断片的にしか勉強していないので、ソフトウェアエンジニアと名乗るのが恥ずかしい程度には知識が無いです。なんとかしないといけないです。

・柴犬の魅力を一言で表すと?
柴犬の魅力、まずはあの番犬としてのプライドが伺える凛々しい表情・姿勢の中に存在するちょっとした間抜けさのギャップが(以下略
最近の推し柴犬youtuberはナラちゃん(カナダ暮らしの柴犬)です。


まとめ:2年間を振り返って

本記事では企業研究職からスタートアップのエンジニアに転職して2年が経った話を書きました。

振り返ってみるとあっという間の2年間で、上記のプロジェクトをはじめ、様々なタイプの業務を経験しました。ウミトロンは「エンジニアは現場に行け」という文化ということもあり、私も国内外合わせて10回以上現場を訪れました。現場に行くことで得られる着想も多く、状況が落ち着いたらまたぜひ現場に行きたいと思っています。また、開発では人数が少ないこともあり、基本的に自分が実装しないと前に進まないので、新たにGoやTypeScript、Rubyなどを触ったり、見様見真似ではんだ付けもしました。もちろん上手くいくことばかりではなく、試験用のデバイスを現場に持っていくと突然動かなくなったり、現地で撮影しようとすると筐体の足が折れていたり、撮影したデータが壊れていたり、とんでもない解析結果が出力されてなんじゃこりゃってなったり、心を込めて大量にアノテーションをつけまくって心が折れたり、それはもう泥臭い試行錯誤を大量に繰り返してきました。現在進行系で冷や汗をかいたり胃が痛くなったりすることも多々有りますが、楽しく業務に取り組んでいます。

LENSのプロトタイプを試験する様子 (2019/11)

転職を決めた当時は、開発にほとんど携わったことも無いのにエンジニアとして本当に会社に貢献できるのかという不安がありましたが、なんとか最初の2年間を生き抜くことができました。生き抜けた主な要因としては、うまくマッチングした(自身の武器である専門性が会社が必要とする分野にマッチしていた)のかなと思っています。加えて、その得意領域でボチボチ成果を出しつつ、その間に苦手領域の勉強をしたり時間のかかる仕込みをするということを意識していたので、そのあたりも自身の精神衛生環境の維持に貢献していたのかなと思います。今後もオワコンにならないよう、引き続き研鑽を重ねなければと感じる日々です。そして、もう一つの生き抜けた要因として同僚に恵まれたというのも大きいです。Bizチーム、バックオフィスチーム、エンジニアチームが互いにリスペクトし、非常に心理的安全性が高く業務が進められました。不勉強や不注意で迷惑をかけることも多々ありましたが、その度にポジティブにフォロー、サポートしてくださった同僚の方々には感謝の言葉もありません。

最初は「まずは2年働いて、その時に自身のキャリアを見直そう」と思っておりましたが、この2年間実際に生産者の人たちに話を聞いたり、自身で色々調べているうちに養殖業へ貢献することそのものへの興味が強くなってきたこともあり、現在はもう少しメンバーとしてこの会社の行く末を見てみたいと思っています。変化の早いスタートアップ界隈ということもあり、来年、来月、明日、会社がどうなっているかはわかりませんが、引き続きエンジニアとして養殖業へ貢献し続けられるよう頑張っていこうと思います。

スクリーンショット 2021-12-07 15.49.18

というわけでWe are hiringです。同じように泥臭く技術で水産養殖に貢献したいという方がいらっしゃいましたらぜひご応募・ご連絡くださいませ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?