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トラウマの根本にある意識の断片化を統合する方法、パーツワークとは? ティール・スワンの解説


皆さんこんにちは、Qリプトラベラーです。


前回の記事では、人はトラウマが発生した時に、自己を二つに分割してその状況を乗り切るようになることを説明しました。


今回の記事では、その二つに分かれた自己をどのように統合していくかについての話です。

翻訳していく記事はこちらです。


これは、どのようにしてトラウマの根本の部分に調和をもたらすかという、非常に重要なテクニックになります。

ここで重要なのは、癒しではなくて統合であり、書き換えではなくて調和だと言うことです。


このテクニックは重度のトラウマがない人でも、ちょっとした混乱した状況などにも使えるテクニックなので、記事を読むだけじゃなくて、実際に実践して使ってみてください。


それでは早速翻訳していきます。


(引用ここから)


スピリチュアル、自己啓発、心理学のコミュニティで過ごしたことがある人なら、「パーツワーク」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。

今日は、パーツワークとは何かを説明し、私の教えている簡単な方法を紹介します。


パーツ・ワークの奥は深く、私一人で何冊もの本を書くことができるほどのものなので、この記事でお読みいただくのは、あなたに必要な情報を凝縮した短期集中コースであることをご留意ください。


誰かに自己紹介するとき、私たちは自分のことを「私はティールです」などと一つの名前で呼びます。

なぜなら私たちは、自分自身と自分の意識を一つのまとまりとして見ているからです。


ここでの問題は、その私たちの意識は一つに統一されていないことです。

私たちの意識は断片化されているのです。


このことは十分に理解していただく必要があるので、まだお読みでないならば、こちらの「断片化、世界的な病」という記事を先にお読みください。



繰り返しになりますが、私たちの持つ身体は一つでも、その身体の中には複数の自己があります。

これをイメージするには、あなたの体の中に結合型双生児(シャム双生児)がいると想像するのが一番簡単です。


シャム双生児は二つの意識がひとつの体を共有しているので、厳密には全てが結合しています。

しかし、それぞれが独自のアイデンティティを持ち、独自の欲望、ニーズ、視点、強み、弱み、外見を持っています。


一人の人間の中に存在できる自己の数には限りがありません。


繰り返しになりますが、私たちが社会で犯してきた過ちの一つは、心理学者が多重人格障害と呼ぶような症状に苦しむのは一部の人だけだと考えていることです。


現実には、すべての人がいくつもの人格を持っているのです。

問題は、どの程度に分裂しているかということです。


たいていの人は、あるときは自分のことをある名前で呼び、次の瞬間には別の名前で呼んで暮らしているわけではありません。


しかし、ある状況と別の状況でまったく異なる行動をとる人がどれだけいるでしょうか?

どれだけの人が複数の「側面」を持っているでしょうか?

2つの異なる選択肢の間で引き裂かれそうになって決断できない人がどれだけいるでしょうか?


これらはすべて、私たちが常に複数の自己を自分の中で操っていることを示しています。

私たちの内的な苦しみの度合いは、これらの内的な自己の間の調和の度合い、あるいは調和の欠如の度合いに関係しています。


もっと深く知りたいですか?

トラウマは精神を分断させる主な原因の一つですが、あなたの魂が肉体を持つことを選んだ時点で、あなたはすでに分断を経験しているのです。


あなたの身体の各細胞は個々の意識(私たちはそれを部分と呼ぶことができます)を持っており、それらの細胞で構成されているすべての器官は個々の意識(私たちはそれを部分と呼ぶことができます)を持っています。


このように考えると、あなたの体の中の臓器は、実は各細胞の集合意識なのです。

そして、あなた自身は一つの名前で呼ばれている生態系のようなもので、それも各臓器や肉体の各部位の集合意識なのです。


私たちはどんな集合意識も特異点として扱うことができ、その集合意識に完全に集中し、そこから学ぶことができるのです。

これが、私たちがパーツワークで行っていることの根幹です。


私はあなたが氣づかないうちに、内なる平和の実際の定義とは何かを教えました。


たいていの人は、内なる平和とは、何か外的なものを見つけたり、ある種の練習を見つけたりすることで、ようやく落ち着き、全体が満たされたと感じられるようになることだと考えています。


実際のところ、内なる平和とは、内なる双子(あなたが自分という名前で呼んでいるこの集合体を構成している、あなたの中のさまざまな部分)が、互いに争うことなく、調和して共存していることを意味します。

それは、部分同士の内部対立がないことです。


パーツワークについて理解しておくべきことは、瞑想と同じように、意識の側面を扱う事柄に対しては、誰も著作権を主張できないということです。


パーツワークを含む方法論を教えている人は誰でも、パーツワークに対する独自の哲学とアプローチを持っています。

私も例外ではありません。

私が皆さんにパーツワークについて教えるときは、私の方法論とアプローチを紹介するつもりです。


なぜ私がそのような方法を提案するのか、それには多くの重要な理由があります。

パーツワークというカテゴリーには、実にさまざまな哲学や手法、テクニックがあります。

パーツワークとは、単にそれらの背後にある思想を表す言葉として定着したものです。


例えば、インターナル・ファミリー・システム、ゲシュタルト、インナー・シャーマニック・ジャーニー・ワーク、フロイト心理学、アートセラピー、プレイセラピー、アクティング・スクール、ユング心理学、インナーチャイルド・ワーク、自我状態理論、ヴォイス・ダイアログなどなど、数え上げればきりがありません。


シャドーワークとは本質的に、自分の中にある潜在意識に気づかせるテクニック、実践、プロセスであることを覚えておいてください。


自分の「部分」のほとんどは、自分ではまったく意識していません。

ですから、パーツワークは厳密にはシャドーワークのプロセスなのです。


パーツワークは自分ひとりで行うこともできますし、誰かに手伝ってもらいながら行うこともできます。

今日は、一人でやる場合のやり方を教えましょう。


自分の一部分だけの意識に深く入っていくことができます。

実際、これは自分自身に意識を向ける素晴らしい方法です。

なぜなら、この2つの自己の対立が、あなたの人生における苦悩の主な原因だからです。


まず、これから働きかけようとしているとしている部分を特定します。


この例では、ある女性が過労で身体を壊しているとしましょう。

しかし、彼女はどうしても立ち止まることができず、リラックスすることもできません。


そうすると、彼女の中にはリラックスしなければならない部分と、リラックスさせてくれない部分があると考えていいでしょう。

彼女は、どちらがより支配的であるか、存在し、コントロールしているかを感じようとします。

ここでは、より上位に支配しているのが、リラックスを必要としている部分だと想像してみましょう。


彼女は今、部屋に2つの椅子を用意します。

そのうちのひとつを選び、その椅子に座ったら、リラックスが必要な部分だけを使って座ります。


これを行うのに一番良い方法は、メソッド演技法を使うことです。

訳注:

メソッド演技法を使う俳優は、誰かのフリをして演じるのではなく、自己を放棄して誰かになりきることでその役柄を演じる。

パーツワークでもメソッド演技法を利用する。


自分の中の部分になりきって、その部分が自分の全てだと想像することで、働きかけたい部分としての自己を体験することができます。

別の言い方をすれば、その椅子に座ることで、自分の一部分をチャネリングして、その部分の意識に自分の意識と全身を支配させることを許すということだとも言えます。


彼女は、何か異質なものの中に居るかのような感覚を感じ、慣れるまでしばらく時間がかかるかも知れません。

そして、『私はどんな感じなのだろう』『私はどのくらい大きいのだろう、小さいのだろう』といったことを考えるのも助けになります。


私は女性か男性か?

人間か人間でないか?

私は何歳なのか?

自分がどこにいるように感じているのか?


基本となるのは、自分がそのような存在だと氣づくことです。

疑問を投げかけたり、その部分を表現したりするのはその後です。


その次に、その部分としての表現をどのように行うかの選択肢がきます。

文章や話し言葉が一般的です。


他の部分よりもコミュニケーションや言葉による表現が少ない部分があることにも留意しておいてください。


話す場合は、自分自身で録音することを選ぶ人もいます。

また、書くことを好む人もいます。


もしあなたが書くことを選択したものの、流れに乗って表現することが難しいと感じるならば、利き手ではない方の手で書いてみてください。

字が汚くても問題ありません。

利き手でない方の手は、より一層潜在意識と繋がっています。


その次に、その部分として書いたり話したりして表現し始めます。

今の真実は何ですか?

私は何を言いたいのか、どのようなことを私自身や他の人に聞いてもらいたいのか?


この例えの女性は、リラックスを必要としている部分になりきっているので、このような言葉が出てくるかも知れません。

「もう疲れたわ。もうこれ以上やっていけないわ。人生なんてもう嫌。毎日が同じことの繰り返し、そんな人生って何?好きだったことももう好きじゃない。」


あなたの部分に好きなだけ表現させてください。


もしかすると、心の奥底から疑問が湧いてくるのを感じるかもしれません。

そしたら、その部分に質問をしてみてください。


例えば、"これはいつから始まったのですか?"とか、"あなたにとって物事が変わったのはいつですか?"とか。

あるいは、"何でもできるとしたら、代わりに何をしているのか、それはなぜか?"といったようなことです。


どんな質問でも、あなたのこの部分に対する理解をより深く明確にするのに役立ちます。


ここで忘れてはならない質問が2つあります。

例えば私だったら、「あなたはティールについてどう感じていますか?」という質問です。

また、その部分に対して、分裂の反対側の部分に対してどのように感じているかを質問します。


この例の女性では、彼女が立ち止まってリラックスすることを邪魔している部分です。

仮にその部分がもう片方の部分を全く意識していなくても驚かないでください。


また、その部分はもう一方の部分とどのような関係でもあり得ることも理解してください。

もう一方の部分を憎むかもしれませんし、愛するかもしれませんし、もう一方の部分を保護者と考えるかもしれませんし、矮小化するかもしれません。

外の世界で可能なあらゆる関係が、中の世界でも可能なのです。


その部分が言いたいことを言い切り、あなた自身がその部分を理解しきるまで探求し、そして次の部分への探求を開始しても良いと感じたならば、椅子から立ち上がります。


自分が椅子から立ち上がる時に、その自分の部分はまだ椅子に座ったままだと想像して下さい。

肉体としての自分は立ち上がっているけれども、その部分を椅子に置き去りにしたような感じです。

あなたは振り返って、自分の一部が目の前に座っているかのように、今出てきた椅子を見ます。

あなたのその部分を想像し、感じてください。


今あなたは、「中間点の視点」からその部分を見ています。


それはあなたがその部分になりきっていた時の視点とは違っていることが多いでしょう。

そのような場合には、この視点の違いは、あなた自身について何を教えてくれるのでしょうか?


この女性の例で言えば、その部分を体験していた時は、ストレスで疲れた自分の古いバージョンのように感じていたのに、立ち上がって見返してみると、その椅子に置き去りにされた部分は、700年前の若い奴隷のように見えるかも知れません。


次のステップは、部屋に設置したもう一つの椅子に座ることです。

しかしこのとき、今度は最初の部分とは反対の部分として座るのです。


この例で言えば、この女性はリラックスすることを拒んでいる自分の部分として座るのです。

そして最初の部分とまったく同じプロセスを繰り返します。


この女性はこのようにいうかも知れません。

「リラックスする余裕なんてないわ。リラックスが必要な人は哀れです。今やっている事の一つでも手放したら、私の周りで人生が崩れてしまう」等々。

好きなだけ表現させてください。


自分の意識を十分に分裂させることができれば、その部分に対して質問をしてみてください。


ここでも忘れてはならないのは、この部分が中心的人格についてどう感じているかという2つの質問です。

例えば、私だったら、「ティールについてどう感じているか」と、この部分がその反対側(分裂の反対側)の部分に対してどう感じているかを尋ねます。


この場合、リラックスが必要な部分への質問です。

この第二の部分が言いたいこと、言うべきことを言い、それをよく理解できるように探求したと感じたら、再び椅子から立ち上がります。


このとき、最初のときと同じように、その部分を椅子に座わらせたままにしておくことを想像してください。

あなたの一部が今でも椅子に座っているかのようにして椅子を見てください。


あなたのその部分を想像し、感じてください。

この"中間点"から見たあなたの視点は、椅子の中にいたときの視点とは違っていることが多いでしょう。

このことは、あなた自身について何を教えてくれますか?


この例の女性では、その椅子に座る部分を中間点から見た時に、自分の母親によく似た行動や感覚をする、とても真面目な自分の姿に見えることに気づくかもしれません。


これはもちろん、自分の中のこの部分が母親の内面化であり、責任生産性と労働倫理を叩き込むという母親の仕事を引き継いでいるように見えるだけかもしれないという手がかりになります。


また、両者があなたの前のそれぞれの椅子に座っているかのように、今、両者の部分を見てみてください。

両者があなたの前に座っているのを想像したり、感じたりしたとき、あなたは両者についてどのようなことに気づきますか?


もしあなたの意識がこれらの部分に触れることを許せば、統合のプロセスはすでに起こっていることでしょう。

単にその二つの部分を意識して、その部分同士にお互いを認識させる事で、癒しが始まっていきます。


しかし、この種のパーツワークの目的は、対立するパーツ同士の対立を解消することです。

ここでのあなたの意図は、それぞれの部分に十分な気づきをもたらして、各部分のお互いへの抵抗を解きほぐし、調和を見出す事です。


この両者の「決着」をつけるために、あなたが望むだけ、あるいは呼ばれていると感じるだけ、何度でも第一の部分や第二の部分に戻ることができます。

そのたびに「中心点の視点」に戻ることを忘れないでください。


この意図を設定することで、あなたは自分自身の2つの部分の仲介者のような役割を果たしているのです。


これをやっているとき、もし一方の部分がもう一方の部分に同意し始めなかったとしても、妥協案を打ち出そうとは思わないでほしいのです。

解決策を強制することはできませんし、妥協はダメージを与えます。

妥協というのは、「私たちが繋がっているために、私は多少の痛みを引き受け、あなたも多少の痛みを引き受ける。」ということです。


そうではなく、ここでは「第3の選択肢」に焦点を当てたいのです。

第三の選択肢とは、「はい、これは私たち二人にとって気持ちの良いものです。」というようなものです。


この例の女性では、リラックスを許さない部分が、リラックスできないことでダメージを与え、それが続くと燃え尽き症候群になることで、結果的に生産性を上げることが出来なくなると理解し始めるかもしれません。


また、子供時代に母親に奴隷のように扱われるのが地獄のように感じられたことを思い出し、もう一方の部分にも同じことをしていることに気づくかもしれません。

その結果、リラックスすることに同意し、そのリラックスがどのようなものか、もう一方の部分と一緒に決めることになるかもしれません。


そうすることで、第一の部分が第二の部分を安心させ、リラクゼーションが得られれば仕事への意欲が増すと感じ、その意欲に感謝するようになるかもしれません。


各部分が融合し、再統合し始めると、両者が平和や合意に達したように感じることがあります。

また、文字通りひとつに溶けていくように感じることもあります。


パーツワークのゴールは、両者の間の緊張が安堵と整合に変わることです。


あなたがパーツワークに慣れてくると、あなたの中にある「目覚めた自我」は力を増していき、あなたの中にある各部分も色々な気づきを得ることで、全体的な整合性を見つけることに興味を持ち、ますます向き合っていくようになります。

その結果として、各部分が急速に柔らかくなり、何度も何度も各部分の中に入っていかなくても、各部分がひとつに融合し始めます。


ここで覚えておくべき重要なことがあります。

各部分がどれほど憎悪的で、暴力的で、気難しく、回避的で、自己愛的で、無自覚であろうと、何であろうと関係ありません。

これはかえって分裂を助長し、パート間の対立を悪化させます。


ここで持つべき正しい態度は好奇心であり、それを変えるためではなくて、それを助ける気づきを与えようとする姿勢です。


私は今までに何度、自分の中の部分を変えるべきだと考えている人に出会ったかわかりません。


このことを理解する例を挙げます。

あなたが依存症患者で、私があなたに向かって、こう言ったとしましょう。

「あなたはみんなの人生を台無しにしているのよ。わかっていながら、人を傷つけ続けるバカがどこにいるの?私にどこまで心を開いてくれるの?軟化するのか、私にもっと抵抗するのか?私に対して真実を開くのか、それとも閉じるのか?」


変化するためには、物事は柔らかくならなければなりません。

ですから、このプロセスに対して、意欲、開放性、柔らかさを鼓舞するような方法で行動してください。


また、私が「中心点の視点」に立つことが重要だと考える理由は、この統合プロセスにとって、自己の各部分と自分自身とを混同しない方が良いからです。

あなたの各部分はあくまでも各部分であり、自身全体ではありません。


これは自己認識の助けになるだけではありません。

ある部分に入り込み、その部分から一歩踏み出すと、とてもパワフルな真実に気づくことができます。


各部分はあなた自身であると同時に、その各部分はあなたの全てでは無いということに気づきます。


これによって、あなたの自己認識は、全体を見るという方向に成長します。

そして、その意識は、覚醒したエゴや悟りを開いたエゴとみなされるようになります。


エゴが覚醒したり、悟りを開いたりするなどと言うと、息が詰まるように感じるかもしれません。

でも心配しないでください。


この概念をよりよく理解するために、私のこちらの記事をご覧ください:

「ワンネスは、この宇宙の究極の真実ではありません」



自分がすべてであり、それゆえにこれらの部分のどれでもないということを理解すると、突然、あなたはそれらを選択できるようになります。


あなたはどの部分からも素晴らしい資産を引き出すことができるようになります。

各部分は、もはやあなたをコントロールしているのではなく、選択権はあなたにあるのです。


このようにして、パーツワークは悟りを実現するための方法のひとつとなるのです。


精神の中で分断が起こると、ほとんどの場合、極端な部分を扱うことになります。

これは2つの対立する部分を意味します。


例外もあります。

傷つきやすい部分が、互いに対立する2つの守護者の部分を持っている場合です。

これは稀なケースで、私はこれを三者分裂と呼んでいます。


しかし、ここで朗報です。

パーツワークを行うのに、両方のパーツを知る必要はありません。


例えば、「私の中の、私の人間関係にコミットしている部分」から始めて、もう一方の部分に入るときは、「この部分の反対側にある部分、あるいはこの部分の後ろにある部分」というような緩いものでいいのです。


この方法でパーツワークを行うことは、非常に効果的です。

なぜなら、その視点に入るとき、あなたはそれがあなたの関係にコミットしていない部分であると投影するのではなく、それが実際に何であるかに完全にオープンなままでいられるからです。


この例でいう対立部分とは、学習された無力感の状態にあり、あなたが何をしても関係が終わると確信している部分かもしれません。


もし誰かがパーツワークであなたを手伝うのであれば、この記事で紹介した自分一人でやる方法との違いは、彼らはプロセス全体のガイドとして仲介者のような役割を果たしているということです。

彼らはあなたの部分同士の関係を助けるセラピストとして存在します。


自分の中の部分に入るまで、あなたは自分自身について、隣人があなたについて持っているのと同じ程度の認識しか持っていません。

ある部分に深く潜ってみるまでは、真実や実際の視点がどのようなものであるかはわかりません。


それはあなたに衝撃を与え、あなたが期待しているものとは信じられないほど違っていることに驚かせるでしょう。

「他人の靴を履いて1マイル歩くまで」という言葉にまったく新しい意味をもたらすでしょう。

訳注:

「他人の靴を履いて1マイル歩くまで」

他人について判断を下す前に、その人の考え方や経験、動機について考えたり理解しようとしたりすることに時間をかけることの意味。


パーツワークをより効果的にするためのヒントやツール、提案はいくらでもあります。

パーツワークを行うことで、パーツワークや精神、意識そのもの、そして宇宙全体について、あなたが得られる気づきは山ほどあります。


しかし、これはあなたの短期集中コースだと思ってください。

どんなことでもそうですが、練習すればするほど、どんどん上手になります。


ただ、パーツワークをしているあなたの一部分の自己は、その自己自体が「全体のごく一部」なのかもしれないということだけは意識しておいてください!


(引用ここまで)


いかがでしたでしょうか?


色々と興味深い点がありますが、個人的には、自分の中の部分を変化させようという意図で行うと逆効果になってしまうという点です。

こういうのは、自分の中だけではなくて、対人関係にも当てはまると思いますが、自分の中にそのような要素を多く持っていると、他人に対してもそのように接してしまうのかも知れません。


この記事は過去に紹介した記事などで紹介したような、トラウマそのものに対する理解が合わさっていると、より一層効果が出てくると思います。


この情報は知識としてよりも、実践してこそ意味があると思うので、ちょっとした空き時間にでも試してみてください。

結構簡単にできて色々な氣づきがあるので面白いですよ。


今後もティール・スワンの記事を定期的に投稿していこうと思っています。

こちらのマガジンをフォローしてもらえると、投稿した時に通知がいくので、ぜひご利用ください。


実は音楽活動もやってます! ハンドパンというUFOみたいな楽器を演奏して、リミックスし、すごく気持ちの良い曲たちなので、ぜひ聴いてみてください! https://linkco.re/VrZqGGv5