ドクショカンソーブン:極夜行

※注意※ ネタバレがあります

先輩に勧められて読んだ。

白夜の逆、一日中太陽が昇らない極夜の、中でも一番暗い期間に氷河やら何やらを行って帰ってきた記録。


犬!!!

一番大きい感想としては「犬、無事に帰ってきてよかった」かな。最近本当に動物が悲しい目に遭うのが悲しいので、過酷な環境を乗り越えて犬が帰ってきてほんとうによかった。ウヤミリーーーック!!

文体の熱量と想像できなさ

あとがきあたりで著者本人も言っていたけれど、とにかく文章全体の熱量というか、全力で書きつけたぞ、みたいな感じがものすごい。ちょっと執着というかねちっこさすら感じる。
筆舌に尽くしがたいのだということはわかるけれど、同じような繰り返し描写が続くので若干食傷気味になったのが正直なところ。
あとこれは本ではなく自分の得手不得手の問題で、文章それ自体から景色を思い浮かべる、みたいなことが苦手でもある。かなり頑張って意識するとかしないとなんとな〜くぼんや〜りしか景色が浮かばいというか…解像度が低い。
で、舞台はずっと暗く雪と氷に包まれた大地…もちろん地形や起伏や氷の性質の違いとか細かく記述されているのだけど、「だいたい全部ひとしくヤバそう」みたいな感覚に収束されてしまったりする。暗くて寒い絶望的な場所でとにかく頑張ってるんだな…という…。六分儀が壊れて否応なく星々に依存し物語を読み込むとか、星座に関する知識がもっとあればもっと楽しめたのかもしれない。
ただ、周到な準備があっけなく壊れたり奪われたり、という「うまくいかなさ」「予定不調和」はやっぱりノンフィクションの醍醐味だなーと思った。その予想外にも意味を見出すタフさもすごい。冒険というものの醍醐味でもあるんだろうな。

原始の記憶ってなんだよ

太陽のない一番暗い時期に冒険して苦難を超え、昇ってきた太陽を見たときにはどんな感覚があるだろうか。という冒険のテーマに対して、筆者はこれは産道を通るときの原始の記憶と通じていると直感するシーンがある。
原始の記憶ってやつはどんなものなんだろう。そんなものあるのか?と思うことがある。思い出せないくらい深くにある記憶だからそれでいいのか、知覚できる範囲の記憶を指すのか…フロイトの「全部性欲」(強引な要約になってるのはわかっている)もそうだと思うけど、出生〜幼少にすべてをつなげるのって、いや、必ず影響はあると思うけど、人に提示されるとなんかいやな気持になる。ならない?
なんせ覚えてないとか自覚がないとか、そういう領域のことだから「言われてみればそうかも……」って気分にさせられるのがいやだな…って時がある。自分で推測していく分にはいいというかむしろ有用だと思うこともあるにも関わらず。
はあ、そっすか、よかったすね…と引いてしまう気持ちがあったのは確か。
でも自分が体験するのと人に語られるのじゃ絶対に違う。極夜明けでもなんでもない時期に普通に歩いてて「太陽に祝福されているな、自然が…」って感動すること全然あるもんな。
それまでに差し込まれていた下ネタ話(これは筆者が冒険中に得た感覚を宗教的にしすぎないようにと意図したらしくて、成功していたかなと思う)とか繰り返す描写なんかに疲れていたのかもしれない。

冒険=脱システムへ繰り出すか

便利な家電やネットのない、何者にも監視されない、システムの外側へ行くことが冒険なのだと書かれていた。
日頃資本主義を憎みながら恩恵を受けまくっている自分が、では果たして、冒険するのだろうか、できるのだろうか。

たぶんできない。不安と恐怖を乗り越えられないと思う。色々書いても理屈をこねるだけになるからやめる。「できない」。

それはそれとして、筆者は読者を冒険へと誘っているのだろうか?ということもいまいちわからない。そうでもないように感じる。「ただ俺はやる」という感触。
単独でそれぞれの方向へ冒険する、それも良いけれど、少なくとも自分がなんとなく「世の中こうであれ」と薄ぼんやり夢想するイメージ的には、いくらかのコミュニティ、連帯が必要に思う。孤独のシステムではいけないはずだ。
そう、今のシステムから外へ出たとしても、そこには別のシステムがあるんじゃないのか。ある、というか、「そうなってしまう」摂理があると思う。狩猟採集生活するにしたって、それら動植物の特性があるわけだから、それに合わせて生活するわけだから、「そうなってしまう」サイクルが出来上がってくるはず。そしてそれはシステムだ……と思う。
実際、筆者も出発地点近くの村で、海象狩りを手伝うことでおこぼれをもらう、的なシステムに参加していたりした。

だから、脱システムというよりは、普段の所属しているシステムから別のシステムへ行きますみたいな…そういうことなんじゃないだろうか。人がいるいないに関わらず。
だからといって冒険じゃないとかそういう意味ではない。冒険は冒険だけど、「脱システム!!!!!」というカタルシスがあるのだとしたら、いやいやそうかもしれないけれど脱出した先の別のシステムでうまくやってけるような感触ってのも大事じゃないですかね、と言いたいかもしれない。単発じゃなくて持続できるような。他の人々とも極夜明けの太陽を共有できるような。

犬の名前合ってたかなと思って検索したら実際の写真が出てきて、かわいくて嬉しい気持ちになった。ありがとうウヤミリック、安らかに。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?