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さびしさに背中を押されている

無意識で諦めていたことに、急に気付かされ、チャレンジする流れがくる。
その時、”さびしさ”があがってくる。

今回も、そうだった。
自分がやるからこそ価値を生み出せる、と思えるようなことがやっと見つかった。
と同時に、とてもさびしくなり、やっぱりひとりなんだな..と思った。


小さい頃から持ち続けてきたモヤモヤの中にある不安・緊張が取り除かれたら、
「さびしさ・ひとり」が浮き彫りになったのかもしれない。
あの頃は、一人で居ると、
遠くに持っていかれるような、自分が消えて誰だか分からなくなりそうな感覚になり、
「わたしはわたし。ここにいる。」って唱えて、抜け殻にならないようにしていた。

今は、その抜け殻になりそうな感覚は、ほぼない。
イマジネーションのようなものだと客観視できるようになり、
日常的に自他とのコミュニケーションの中で役立てている。
そう考えると、この寂しさも使いこなせるようになるのだと思う。

少なくとも、さびしさ・ひとりの感覚は悪くない。
静かに、背中を押してくれているような気がしている。

「私は私。ここに居る。そしてここを歩いていく」
そんな時、さびしさ・ひとりを感じるのかもしれない。



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