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予期せぬターニングポイントから生まれたひつじのショー

友人の書家:東鶴さんに「心の一字」書いていただいた。


数年前、カウンセラーとして関わっていた企業のインターン生だった彼女とは、女子トイレで会うと必ず語り合う仲。

若さの割に(笑)、軸と風情があり「うちの娘もこんな風に育ったらいいなぁ..」って思ってた。

それから時々連絡を取り合い…
最近、「お話を伺って一字を書いている」と知り。

グラデーションのように日々刻々と変化する時、判りやすく「節目」を持ちたくなる。今はちょうどそんな時期。

公園からビデオ通話で1時間。
浮かぶままに話した数時間後に、届いた一文字がこれ。

東鶴さんからのメッセージ

「本日はお時間いただきありがとうございました!
一字はその方の、その時々で変わってくるものですが、今日のお話の中で浮かんだイメージの一字をお送りします。

「翔」です。


本日は、遡っては子供の頃から、今のいまに至るまで、色々お話しいただきました。

(中略)

で、ちょいと話が脱線しましたが、嫉妬との付き合い方はゆきこさんをもっともっと自由にしてくれると思いました。そしてその付き合い方を、今日話す中で、少し見え始めたところもあるのかなと。

お父さんが亡くなられて以降、緊張感を感じながら、人の嫉妬はかわしながら、どうにか目の前の現実を生きないといけないから。求められるものはやらないといけない。次から次に来るものをさばいていかないといけなかったのかなと感じました。

でも、目の前を一生懸命生きても、一瞬にして無になってしまうこともあった。避けられない。

そこで、一旦手放してみた。感情に蓋して、やらねばいかんということを手放してみた。そしたら、意外と生きれた。好きな人、居心地の良い人たちと一緒にいたら、そこから信頼できるつながりで仕事も生まれてきた、なんか出来ている、あ、これでいいんだ、と思えた、それが今のタイミングなのかなと。おばあさんが亡くなられたタイミング、お子さんが手離れして来たタイミング、たくさんのほかの要因も重なって、ゆきこさんの中で、ようやく、ちゃんと19歳の前の、のびのびと生きられる環境に戻って来た。

でも、これまでの時間は決して無駄じゃなくて、その中で生きて来たからこそ、今やりたいこと・好きなことがはっきりとわかるようになっているんじゃないかなと。

つらつらと書きましたが、そんな中で思い浮かんで来たイメージは、鳥、風、航海のようなものでした。場所にとらわれず、人にとらわれず、今までの自分にとらわれず、飛ぼうとしている、まさに羽が広がる瞬間のようなイメージで、飛翔の「翔」を選びました。福岡、島根と、動きながら、どんどん好きなことをしまくるゆきこさんの姿が見えますw めちゃめちゃ応援してます!ご査収くださいまし!!!」

(中略)部分の「嫉妬」に関して


考えすぎだと分かっていても、べらぼうに「嫉妬」に弱かった。
今、あえて「弱かった」と書いてみた。

もはや、それは嫉妬なのか? する・しないの話ではない、なぜそんなにビビる・・もう、本気で紐解くべし...と決意。

キュルキュルキュル...(カセットテープ巻き戻し。昭和に戻る)


・元々は「自分が褒められる = 周囲の姉妹や友人らが凹む・傷ついてるように見える = 居心地が悪い」からかも
・実際には定かではない

では、何が、意識の中で膨張してしまったのか・・・

お!?
今日の東鶴さんと話したこと、関係ある!?


・相手の意識・話の中で、なんらかの抜け・辻褄が合わないところ・違和感を感じ取る機能が高い
・幼稚園頃は不思議なだけだったが、段々怖くなった
・仕事で活かせるようになってから、また楽しくなってきた
・が、仕事でこの能力を使うことに戸惑いがある

もしかして、
傷ついたように見える人をスルーする自分が嫌なのか??

でも、
助けたい訳でも、勝ちたい訳でもない。
比較して褒める大人の目的も、反応の仕方もわからなかった。
今考えても、全くわからない。

もしかして、、、
ただ「どうしていいかわからないから怖い」それだけなのかもしれない。
今も、書いててよくわからない・・・思考休止。

ただ分かるのは、
わからないことって、子どもにはとても大きな恐怖だということ。

状況がわからないけど気持ちがグラグラする


例えば仕事において、新規契約初日とか初回カウンセリングとか、ドキドキはするけれどやるべきことが明確なので、やり始めれば落ち着いていく。

でも、自分の努力では解決できないことや、状況や相手の気持ちがわからないけれど自分がめっちゃグラグラする時、
わからなくて怖すぎて、嫉妬されるのが怖いに帰結させるクセがあるんだと思う。

ある意味、安定のネガティブ帰結。
嫉妬されるのが怖いって思ったら、一旦他責して動かなくて済むから。

ただもう、これが面倒になってきていた。
一旦動かない選択にエネルギー注ぐの面倒。

もう散々キツかったからこれ以上はいやだし、好きな事・人を受け取るときにも「嫉妬が怖い」にすり替わるとか、本当にいやだ。勿体無い。

「嫉妬が怖いにすり替える自動思考」をやめるために


ベーシックなトレーニング法。反復してがんばろう、わたし。

・「嫉妬が怖い」って浮かぶ
・「いやいや嫉妬じゃない、わからないことが怖いんだよね」って問う
・「じゃー、落ち着こうか」って深呼吸
・「わからないことはなに?」って問う
・実際に相手に尋ねてみるか、尋ねることを決める
・「聞いてみてよかったね」ってリマインドか
 「尋ねたらこう答えられそうだね」ってパターン予測する
・実際に起きたことで「よかったね」って、怖くなかったことをリマインドする


何だかわからないけど苦手なことは、魅力的


いろーーんなことが重なって、人それぞれ、どうしても苦手なことを持っていると思う。

私は、そこに魅力を感じる。
想いが強くて大きいから複雑になっているから。

とてもとても、愛おしい部分だといつも思う。
この嫉妬にすり替える自動思考が改善されたら、こういう愛おしい部分がもっともっと感じられるようになるのかな??

私は公私ともに、毎日そういう内面の話ばっかりしてる。
それが日常。

だけど、そうではない方もいるらしい。ちょと想像がつかないのだけど。

自分に・人に、ウキウキしたいなら、内面のモヤモヤ・葛藤を話題にすることをオススメする。
脳科学的にも良いらしい。


目に見えない心の交流が出来るホモ・サピエンス


この2年ほど、オンラインカウンセリングの機会が増えて、全国の方々と話し合えるようになった。

私の英語力は拙いので、ビジネス交渉は出来ないけれどカウンセリングは出来る。
目に見えない部分の交流だから。
語彙力は眼力で補えていると思っている。

我々ホモ・サピエンスは、不確かなもの・虚構を信じることが出来た為、生き延びたらしい(byホモサピエンス全史)。
ウソを信じちゃうとかね。

でも、不確かで曖昧な存在を寛大に受けとめたり、希望をもったり、時間をかけて待ったりしてくれるのもホモ・サピエンス。
ホモ・サピエンス、素敵じゃないかっ!


予期せぬターニングポイントから得られたこと


増大したのは、生きる緊張感・恐怖心・不安感だったけど、
1度目に得られたのは、自己信頼のつくりかた。
2度目の今、得ようとしているのは、人への頼りかた。

なんか上手く出来なくて申し訳ないなぁ..と思うことが、緊張ではなくて安心感に繋がっていく回路が芽生えてきた。

「翔」という字。
飛んだら雲みたいになるのかなぁ..ヒツジなだけに。
とか思えるユルユル感。

お天気雨が上がったら


一文字もらった後、空はこんな風でした。
心の一字、かぁ...

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東鶴さん、ありがとう!
来春、新天地に羽ばたく娘への一文字、お願いしますっ


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