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スルーして,結婚・離婚して,やっと幽体離脱から戻ったような気分

無意識ではなく、意識の無視


過去を「あっ」て気づいて解き明かすのが好きだ。

当時、気づいていなかった無意識の選択に、今気づく(意識化される)のではない。

当時、「気づいていたのにスルーしてた」自分の気持ち
無意識ではなく、意識の無視をしていたことに後から気づく。

気づけば気づくほど、自分が愛おしくなる。
わかってたのに、無視してごめんね、ってなる。
今日はとっても良い日だ。

願望・希望がない器用貧乏には、限界がくる


結婚は、正直「うまくいかないかも」と最初から思ってた。でもその理由をスルーしてた。多分お互いに。

大したことではないと思っていた。自分自身も結婚も、たぶん人生も。
たぶん、自分を生きさせようとか、楽しませようとか、1ミリも思っていなかった。

でも、結婚したからには幸せにならなければ、貫かなければならないと信じていた
だから、子どもが必要だった。

誤解を覚悟で言う。幸せになるために、子どもが必要だった。
誤解されたくないので言う。子どもの存在は、こんな浅はかな考えなど一瞬で吹き飛ばすくらい、奇跡の存在である。
だからこそ、離婚までに時間がかかっている。


稼がなきゃならなかったし、ほぼワンオペ育児だったので超多忙だった。
本当の自分の現状など、恥ずかし過ぎて誰にも言えなかった。
こんなに苦労してるのは自分の責任だし、自分が嫌いな自分のことを、一体誰に、素直に話せるだろう。。

そんな訳で、10年以上考えて離婚した。
手続きはあっさり済んだ。

ヴィジョンも願望も希望も全くなかった。こうあるべき、は沢山あった。
まるで教科書みたいな苦しみかた。でも真剣だった。
子どもが欲しい願望は叶った。それだけでも元夫には感謝。

どんなに歩み寄ろうとしても、関係性が積み重なっていくことはなかった。
カサンドラ症候群っぽかったかもしれないけれど、今はもうどちらでもいい。

離婚原因は結婚原因にあっただけなのに..


自分を生きさせるための結婚ではなかった、それだけ。

なのに、離婚経験者のほとんどが、結婚したことそのもの・年月を否定しなければならない葛藤と向き合うだろう。
これまでの全時間を全否定するそれはもう、非常にキツイ。

子どもの存在自体を否定するような選択をした気持ちに折り合いをつけることが本当に大変だった。

でもそれも、時とともに折り合いがついてきた。
白黒決着がつかない気持ちがあっても、大切なこと、大切に思う気持ちは、結局変わらない。
結局、何も、変わらない。
大切なことはずっと変わらず、静かに続いていくのである。

生きることをやめたから、いま、本当に生きられる


苦しくても諦めなかったのは、ヴィジョンをもう一度、追いかけたかったからかもしれない。

夢を抱いて上京、大学に入学してすぐ、父が医療事故で亡くなった。入学した意味も夢も、全部凍らせたような感覚がある。

多分この時、私の中の何かが、生きることを完全にやめた。
でも死ぬことはできないので「生きなきゃ..生きなきゃ」ってずっと緊張して生きてきた。
父は、私がのんびり笑っていられば幸せだっただろうに。。

強迫観念に気づいてないから、離婚してからも「生きなきゃっ」て頑張ってた。

いつか書ける時がくると思うけど、本当に色々あった。
離婚する前の「なんとなく自分を生きれていない苦しみ」が「生きられない苦しみ」になった。

でも結果、トラウマにはなってないし、不安感はどんどんコントロール可能になっている。
アップダウンはあるけれど、生きている感覚は、かつてないほどに強い。

誰のせいにもできなかったから、自力でなんとか超えてこられた。
何よりも、それを見守り、応援してくれた友人や家族、ファン(笑)のおかげ。感謝しかない。これからも一緒に生きていきたい。

”人生に大変なことが起きてしまう”緊張感からやっと抜け出した


魂の抜け殻状態だったところに、やっと魂が戻ってきたよ、
幽体離脱から戻ってきたよ、そんな感じ。

自分を生きるとは、心地よさを生きることと思う。

一度捨てた夢は、形を変えて復活させる。
一度捨てた自分は、そのまんま、今の自分の復活してる。

海が好きだと言い聞かせていたが、本当は山の方が心地よい。
ずっと東京に住むと決めていたが、流れに乗る方が心地よい。

今まで支えてくれた方々、これから出会う方々、
一緒に人生100年、ゆるっと生きましょう。

未来の私のまるごとパートナー、手を取り合って一緒に生きて、手を取り合って一緒のお布団で天国に行きましょう。

そんな気分^^

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