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「サウダージ」を読む。

ポルノグラフティが2000年に発表した名曲「サウダージ」の歌詞を読んで考察していく。

・歌詞

この見出しは歌詞を置いてるだけなので、知ってる人は飛ばして構わない。

「サウダージ」
作詞: ハルイチ
作曲: ak.homma


私は私と はぐれる訳にはいかないから
いつかまた逢いましょう その日までサヨナラ恋心よ

嘘をつくぐらいなら 何も話してくれなくていい
あなたは去っていくの それだけはわかっているから
見つめあった私は 可愛い女じゃなかったね
せめて最後は笑顔で飾らせて

涙が悲しみを溶かして 溢れるものだとしたら
その滴も もう一度飲みほしてしまいたい
凛とした痛み胸に 留まり続ける限り
あなたを忘れずにいられるでしょう

許してね恋心よ 甘い夢は波にさらわれたの
いつかまた逢いましょう その日までサヨナラ恋心よ

時を重ねるごとに ひとつずつあなたを知っていって
さらに時を重ねて ひとつずつわからなくなって
愛が消えていくのを 夕日に例えてみたりして
そこに確かに残るサウダージ

想いを紡いだ言葉まで 影を背負わすのならば
海の底で物言わぬ貝になりたい
誰にも邪魔をされずに 海に帰れたらいいのに
あなたをひっそりと思い出させて

諦めて恋心よ 青い期待は私を切り裂くだけ
あの人に伝えて…寂しい…大丈夫…寂しい

繰り返される よくある話
出逢いと別れ 泣くも笑うも好きも嫌いも ah…

許してね恋心よ 甘い夢は波にさらわれたの
いつかまた逢いましょう その日までサヨナラ恋心よ

あなたのそばでは 永遠を確かに感じたから
夜空を焦がして 私は生きたわ恋心と

・情景

この歌の情景は「男にフラれた語り手が、浜辺でたそがれている」というシンプルなものある。
女性自身はほとんど動いていない。ただその心の中は大暴れだ。

では順番に歌詞を読んでいく。

一番

・私は私と はぐれる訳にはいかないから
いつかまた逢いましょう その日までサヨナラ恋心よ

初手サビ。恋心にサヨナラしているので、失恋したことがわかる。おそらく浜辺で号泣しながら思い耽っているのだろう。体育座りで。
「私は私とはぐれる訳にはいかないから」で、これ以上恋心といたら自失してしまう惧れを表現したのはスゴイ。

・嘘をつくぐらいなら 何も話してくれなくていい
あなたは去っていくの それだけはわかっているから
見つめあった私は 可愛い女じゃなかったね
せめて最後は笑顔で飾らせて

Aメロ。ここは読んだまんま「あなた」にフラれた回想シーンだろう。
もう別れることを心に決めたのに、別れ際までイイ女でいようとする語り手。まだ未練があるのだろう、切ない・・・

・涙が悲しみを溶かして 溢れるものだとしたら
その滴も もう一度飲みほしてしまいたい
凛とした痛み胸に 留まり続ける限り
あなたを忘れずにいられるでしょう

Bメロ。Aメロが具体的な回想だったのに対して、Bメロは語り手の心境という抽象的なシーンである。この気持ちいい対比。

「涙が悲しみを溶かして 溢れるものだとしたら その滴も もう一度飲みほしてしまいたい」ここスゴイ。
女性は泣くことで悲しい気持ちを発散するものだが、あなたを忘れないために、悲しい気持ちを体外に出したくないのだ。
でも泣くのは止められないから、出ちゃったやつをもう一回体内に戻すというパワフルプレーをしようとしている。反芻。

やっぱりそれほど、この恋の思い出を大事にしているということなんだろうことがわかる。

・許してね恋心よ 甘い夢は波にさらわれたの
いつかまた逢いましょう その日までサヨナラ恋心よ

サビ。再び現れた恋心。怪我を治して野生に返そうとしても戻ってきてしまう小鳥みたいで、心に来るものがある。

ここまでが一番だ。「あなた」と別れた悲しい気持ちを、これでもかと情熱的に歌っている。しかし、ここからどんどん様子が変わってくる・・・

二番

・時を重ねるごとに ひとつずつあなたを知っていって
さらに時を重ねて ひとつずつわからなくなって
愛が消えていくのを 夕日に例えてみたりして
そこに確かに残るサウダージ

Aメロ。タイトルの「サウダージ」が出てきたが、ポルトガル語で「郷愁(懐かしむ気持ち)」という意味である。

ここで考察。「愛が消えていくのを夕日に例えてみたりして」とあるが、「愛が消えていく」が掛かっているのは、前の「ひとつずつわからなくなって」の時ではなく、浜辺でたそがれている今この時間なのではないかと思う。

理由としては、一番であれだけ情熱的に恋を語っていたのに、二番は全体的に冷めていると感じたからだ。恋してるときに愛が消えていく時間はなかったと思う。

語り手の視点も、フラれる以前の辛い思い出を回想しながら、少しずつ現実世界に動いている。
「夕日に例えてみたりして」と言ってるのは目の前に夕日が見えたからだし、サウダージを感じているのも今現在の私である。

つまり、二番のAメロの段階で語り手の気持ちは、「二度と忘れられない激しい恋の思い出」から「現実」に移ってきたのである。

・想いを紡いだ言葉まで 影を背負わすのならば
海の底で物言わぬ貝になりたい
誰にも邪魔をされずに 海に帰れたらいいのに
あなたをひっそりと思い出させて

Bメロ。ここも一番のBメロと同じく語り手の抽象的な心境だ。

しかし、涙と共に溢れ出る悲しい気持ちをモチーフにした一番に対し、二番は目の前の海をモチーフにした詩だ。
Aメロを踏まえると、やはり語り手の気持ちが少し冷静になっているのではないかと思ってしまう。

それに、一番の「あなたを思い出すために、悲しい思い出も消したくない!!」という詩の内容に比べると、二番の詩は「あの人になに伝ようとしても辛いんで、ちょっと距離置きたいス」といった、少し心が離れたようなニュアンスだ。

・諦めて恋心よ 青い期待は私を切り裂くだけ
あの人に伝えて…寂しい…大丈夫…寂しい

サビ。また来たよ恋心ちゃん。語り手も優しくシッシしている。

ここで考察。この時点で、語り手の男性への想いはかなり冷めてると思っている。

なぜなら「あなた」が「あの人」に変わっているからだ。

恋心ちゃんに伝言を頼んでいるが、これはもう男性には会う気はないということなのだろう。
ただ、「寂しい…大丈夫…寂しい」という言葉から、まだ未練がすこしあるのだろうか。まぁでもだいたいの失ったものってもったいないと思っちゃうし。

ここまでが二番だ。ほぼ心境の描写だった一番と比べると、全体的に「海」や「夕日」を想起させる言葉が多く、それだけ現実の景色が見えてしまっているということなんだと思う。
一番のサビでも「甘い夢は波にさらわれたの」と、海を想起させる描写があるので、恋心ちゃんがきたことで、感情渦巻く心の中からやや現実に戻されたのかもしれない。

三番

・繰り返される よくある話
出逢いと別れ 泣くも笑うも好きも嫌いも Ah…

Cメロ。もう一般論を語りだしてしまっている。
語り手は、男性との恋の思い出を「よくある話」と、俯瞰して見れるくらいの心境になってしまったのだ。Ah…

・許してね恋心よ 甘い夢は波にさらわれたの
いつかまた逢いましょう その日までサヨナラ恋心よ

サビ。これは一番のサビと同じだが、一番がグッチャグチャの感情で恋心という幻覚に語りかけていたのに対し、今は冷静な視点で「恋心」というものに向き合っている。

そして、語り手は気づくのだ。

・あなたのそばでは 永遠を確かに感じたから
夜空を焦がして 私は生きたわ恋心と

ラスサビ。転調し、曲も歌詞もラストパートに入る。

最後の考察。ここの「あなた」は、別れた男性のことではなく「恋心」のことを指していると思う。

理由は、二番でも書いたが別れた男性は「あなた」から「あの人」に変わっているのと、三番の歌詞には、別れた男性を想起させる描写が一切ない。もうアウトオブ眼中なのだろう。

語り手は、自分を燃えるような恋愛の渦中に誘ったものは男性ではなく、ちょこちょこ語り手の下に現れた「恋心ちゃん」だと気づいたのだ。

「夜空を焦がして」と、夕日の時間帯から夜になっている。それほどの時間を思想に費やした語り手は「私は恋に恋してる」という境地に到達したのである。
夜空を見て視点が持ち上がる、美しいエンドである。

・つまり

この「サウダージ」という歌は、

身を焦がすような感情に振り回されていた女性が、ひとつの失恋からその正体を見抜き、ひとつ大人になる

という成長を描いた歌だったのではないだろうか。

・最後に

以上を踏まえたうえでこの動画を見てみよう。




なんでわろたんや


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