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物理とクオリア

先日、物理の論文を読んでいると、哲学でいうクオリアに近い概念が登場したので、備忘録として記事を書くことにした。

この論文では「情報」を2種類に分類している。"speakable"な情報と"unspeakable"な情報だ。

前者の"speakable"な情報とは、文章として伝えたり、0と1の電気信号として伝達可能な物理情報を指す。例えば、リンゴが何個あるかなどがこれに相当する。

後者の"unspeakable"な情報は、文字として伝達することができない物理情報だ。例えば、私の目の前にあるペンが向いている方向の情報がこれに該当する。

地球から遠く離れた場所にいる宇宙人にペンの向きを伝えようとしても、私と宇宙人の相対的な方向関係が分からない限りは伝達することはできない。つまり、ペンの向きという情報は、"speakable"な情報と違い、文章や電気信号で伝達することができないのだ。時間基準点の情報も同様である。人類が使っているカレンダーが示す2020年10月22日という日がいつを示すのか、メッセージの送受信の時間差が不明な状況では、遠く離れた宇宙人に伝える術はない。

さて、ここからは論文の内容から外れ、私の独自見解となる。この"unspeakable"な情報は、哲学でいうところのクオリアなのではないだろうか。

「赤いという感覚」は他人に言語的に説明しようがなく、その感覚を担うものとしてクオリアが定義される。同様に、"unspeakable"な情報も言語情報だけでは他者に伝えることはできない。"unspeakable"な情報を伝えるためには、方向の場合はジャイロスコープ、時間の基準点の場合は時計そのものを相手に渡す必要がある。

クオリアはその性質上、言語を使って論じることが難しい一方、"unspeakable"な情報は完全に言語と数学を使って論じることができる。クオリアのトイモデルとして、"unspeakable"な情報が注目されても良いのではないだろうか。


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