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「とりあえずn案出してみて」 ──それはオーダーでもディレクションでもない

さいわい今の所属になってからあまり聞かなくなりましたが、周囲も含めてデザインを生業としていると年に1〜2回遭遇するフレーズがあります。

「とりあえずさ、3〜5案くらい出してみてくれない?」

無邪気な「他の案も見てみたいな〜」も同様です。

とりあえず、ってなんでしょう? 3〜5って? 他の案とは?

このフレーズに苦しめられているデザイナー諸氏は世に多くいると思うのですが、なぜこれがいけないか、という議論はあまり聞いたことがない気がしています。もちろん悪意がないであろうことは百も承知ですが、かなり個人的な感情に寄った観点としてこのフレーズが何を意味しているか、どうして使うべきでないと考えるのかを一通り綴っておきます。半ば愚痴のようなものだと思ってください(なのでSNS等では喧伝せず、ひっそりマガジン内に置いておきます)。

誰に向けた記事か

ひとまずは、下記のような方に向けて書いています。

・「とりあえずn案」というフレーズに苦しめられている現場メンバー
・「とりあえずn案」と言ってしまいがちなPMないしクライアントサイド

本音を言えば後者の方に読んでいただきたいのですが、本投稿に関しては前者を救う観点で書きます。逆に言えば、別にこのフレーズに苦しめられていない、逆に燃える、あるいは後者でもこの振り方の欠点を理解していてあえて使っているという方は対象とはしていません(そんな方が実際にいるのか分かりませんが……)。
どこかの誰かのガス抜きになれば幸いです。

なぜこのフレーズがNGだと考えるのか

シンプルな結論は以下です。

案の根拠を示していない

順を追って説明しましょう。本主張はデザインに限った話ではありませんが、書きやすさの観点からグラフィックデザインを中心に例を取ります。

例えばロゴデザイン。ロゴとは何かという本質的な話はここでは割愛しますが、これは単に名称を図案化したもの……ではありません。以下のような様々な要素を勘案し決定される、戦略を煮詰めて絞って出てくる一滴です。

・ターゲット(顧客など)
・ブランドメッセージ(対内 / 対外)
・競合との差別化要素(スタンスの違いなど)
・ロゴが利用される / 目に触れる文脈
・展開性(利用先 / バリエーションなど)
・etc

決して、プロジェクトオーナーやデザイナーの好みで決まって良いものではありません。積み上げられたブランディング・マーケティングの確固たる戦略の上に成り立つものです。この場合の「案」とは、上記のような要素の振れ幅や組み合わせを勘案したときに考え得る組み合わせに対して、取り得る方策のことを言います。これらの戦略は都合よくいいとこ取りできるものではなく、大方の場合は何かしらのトレードオフです。老若男女すべての人にあらゆる文脈であらゆるメッセージが届けられる……などというのは、幻想ですらありません。そこにはプロジェクトオーナー側の決める・捨てる判断とその基準が必要です。

したがって根拠なく「ロゴ案100個くらい出してみて」というのは、この戦略の検討を投げているということでもあります。

・100の根拠とは何なのか?
・無根拠に100案出されて、一体何を基準に良し悪しを断ずるのか?
・残りの99案ではなぜダメなのか?

という質問に、言い放った側は答える義務があります。好みで決めます、ということならまぁ……戦略的検討を放棄するということなので、それでいいなら別に構いません。「その根拠も現場が考えてくれると思っていた」というならば、現場に払う金額が恐らくは桁単位で足りていないことでしょう。

副題のとおりです。ここに自覚的でないならば、それはオーダーでもディレクションでもありません

なお、ここではロゴを例に取ったので n に入る数が少々大きくなりましたが別に3やら10やらでも同じことです。その数字に根拠がなければ、やはり意味がありません。

逆に 「100案考えてみました!」 もあまり意味がない

これは案を提示する側によくありがちなことですが、「100案考えてみました」というからには、その100案すべてに異なるコンセプトがあり、他の99案すべてを捨てることができる判断基準が設けられているべきです。

よく他所様のロゴデザインなどの提案書に「この予算で100案お出しします。その中から選んでいただけます」というような文句が踊っているのを見かけますが、これを書いた営業だかPMだかに100の戦略的根拠なんてないはずです。もっというと提案自体も、1〜2の本命とその他大多数の捨て案というような場合がほとんどあなたがオーダーする側であれば、その無意味さを指摘するべきです。どちらかといえば、その根拠まで含めて膝詰めで検討に付き合ってくれるパートナーを選ぶべきでしょう。

山のように出すから自由に選んでください、というのは提示側が考えるということを半ば放棄しているのと一緒です。野放図で散漫な提案にどこまで意味があるのでしょう。オーダーする側が明確に基準を示さない限り、その提案は「ガチャ」でしかありません。オーダー側が潜在的に持っていた根拠(持っていればまだよい)にぴったりフィットする案が100連ガチャの中に含まれているかどうかに賭けているだけです。フィットした案が偶然にも提示側の捨て案でないことも祈っておいてください。

一般的に「自分のためにたくさんあるものを眺めて選り好みする」というのは(男女関係なども含めて)娯楽化しやすいそうですが、ビジネスの場においては不適切だと考えます。よくあるコンペ形式も、その点では功罪あると考えています(これについては別途機会があれば)。

不毛な苦しみを生まないために

こうした苦しみ・不毛なやり取りを避けるための前提として、オーダーする側と請ける側、双方がこの問題を自覚する必要があります。

・案の方向性は示されているか?
・誰が何を基準に決定するのか?
・案の根拠は誰が考えるのか?
・それは報酬や責任の観点で適切か?
・上記を前提としたスケジュール / タスクが組まれているか?

というようなことは、最低限取り決めておくべきでしょう。

根拠を含めた方向性が決まり、その結果が本命1案ならばそれでいいのです。複数に分かれ、これ以上の取捨選択が難しいとなってから、それぞれにフィットさせるために複数のアイデアを擦り合わせること自体は重要なプロセスです。

ですがこうした自覚なしに無根拠に案を提示してくれという話があった場合、提示する側にはそれなりの努力が必要です。そうでなければ単なる「好みが合うかどうかの運試し」になり、それは往々にして良い結果を生まない、ということをぜひ心に留め置いてください。

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