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【#2000字のドラマ】クレオパトラの夢

 妙な再開もあるものだな。そう思いながら、僕は一缶目のハイボールを飲み干した。

 1LDKの部屋にジャズが流れる。キーボードのメロディは甘くエキゾチックで、どこか切ない。『クレオパトラの夢』というらしい。チサトがリクエストした曲だ。

「あー、ここからまだ覚えてないや」

 ワタルさんが手を止めて言うと椅子から立ち上がり、ベランダに向かう。ちょうど二つ目のハイボール缶を開けた時だった。

「ちょっと一服してくるわ。カズマは?」
「僕も行きます」

 僕は開けた缶を持ったまま、ワタルさんの後に続いてベランダに出た。エアコンが効いた部屋の中と違い、外は陽が落ちても熱を残している。生ぬるい風が肌を撫でる。

「びっくりしたよ。お前らが知り合いなんて」

 一服して、ワタルさんは笑う。

「僕も、学校が同じなんて知らなかったです」
「俺たち学部バラバラだし、会うことないよな」

 チサトとは同じ高校だったが、二年生の時に彼女の親の都合で転校してしまって以来、連絡を取ってない。そんなものだから、春にワタルさんと一緒に歩いているところをすれ違うまで、つまり入学して一年経っているにも関わらず同じ学校にいるなんて知らなかった。

「馴れ初め、聞いてもいいですか」

 ニヤっとして聞くと、ワタルさんははにかんでセッターに口を付けた。

「恥ずかしいなあ、いいけどさ」

 二人は同じジャズ研で、サークルでの食事会を何度か重ねるうちにチサトから好意を持ったらしい。

「前に好きだった人に似てるって言われた」

 煙草を吹かして、不意にこちらを向く。

「もしかすると、お前のことなのかなあ」

 神妙な顔をするワタルさんに戸惑い、とっさにおどけて見せた。

「変なこと言わないでくださいよ。ほら、居づらくなるじゃないですかー!」
「悪い、そうだよな」

 ワタルさんは笑いながら煙を吐くと、短くなった煙草を携帯灰皿に入れた。ポケットから箱を取り出し、開けて中を覗き込むと一本も無かったらしく、再びそれをしまった。

「ちょっとコンビニ行ってくるわ。煙草、無くなった」
「僕の吸いますか?」

 箱を差し出したがワタルさんは軽く手を挙げて断る。

「いいよ。すぐそこだし」

 そう言ってベランダのドアを開けると、部屋から食器が重なる音や水が流れる音が聞こえてきた。僕はセッターを指に挟んだまま数秒後、はっとして振り向いた。ワタルさんがキッチンの方へ声をかける。

「悪い、チサト。置いといていいよー」
「もうすぐ終わるから洗っちゃうよ」
「ありがと。コンビニ行ってくるわ」
「はーい」

 ワタルさんがそのままドアを閉めてしまったので、煙草を携帯灰皿に入れ、新しい煙草に火を付けた。さっき部屋から聞こえた二人の何気ない会話を頭の中でリピートする。幸せな夫婦生活とは、きっとあんな風なのだろう。

 気の抜けてきたハイボールを飲みながら煙草を吹かしていると、ベランダにチサトがやって来た。

「ごめん、洗い物」
「いいよカズマ君は。それより煙草、吸うんだね」
「ワタルさんの影響で。銘柄も一緒なんだ。ああ、吸ってて大丈夫?」
「気にしないよ。もー、ワタル先輩はよくないこと教える」

 むっと頬を膨らませるチサトにあははっと笑って返す。少しだけ、胸にひっかき傷みたいな痛みが走った。

「ワタルさんのどういうとこ、好きになったの」

 問いかけるとチサトはうーん、と唸って夜空を見上げた。頼りなげな細い三日月が浮かんでいる。

「真面目なところかなあ。周りのこと考えてくれるし」

 同じく月を見上げて、バイト先のワタルさんを思い出す。僕や他の人が休憩に入りやすいように自分の休憩時間を調整したり、朝に出勤する人を気遣って片付けをしている。だからワタルさんを慕う人も多い。

「確かにねえ」
「カズマ君もそういうとこあるよね。ワタル先輩に似てるっていうか」

 チサトがこちらを向いて微笑む。目と目が合って一瞬、時間が止まった。が、すぐに我に返った。

「いや、そんなことないよ。全然」

 反論するが、チサトは首を横に振る。

「そんなことあるよ。ほら、学校祭のとき、覚えてる?」

 思えばチサトと話すようになったのは学校祭がきっかけだった。お化け屋敷の準備中、クラスのみんなが工具やらゴミやらを片付けないまま帰ってしまい、仕方なく一人で掃除をしていた。そんな時に彼女と出会ったのだ。違うクラスなのに片付けを手伝ってくれて、それがきっかけで話すようになった。

「あ、帰ってきたみたい」

 チサトはそう言うとドアを開けて部屋に戻る。確かに部屋の中から物音とワタルさんの声が聞こえた。僕はそっとベランダのドアを閉める。煙をいつもより大きく吸って、吐いた。

「似てる、か」

 似てなんかいない。でも同じところはある。煙草の銘柄と、あと、チサトのことが——。

 生ぬるい風に煙がたなびくのを、目でなぞる。クレオパトラの夢が部屋の中から、かすかに聞こえてきた。

お金が入っていないうちに前言撤回!! ごめん!! 考え中!!