見出し画像

キツツキ座標

 転勤が決まり学年末テスト採点や生徒の素行やメンタルのスコアリングデータ作成など、引継ぎ業務に追われているせいか頭がぼんやりしている。メガネ型デバイス「iGlasses(若者はアグラと略すらしい)」が登場してから教師の仕事が増えたと思う。こんな"イロメガネ"なんか使わないで、もっと真っ直ぐ生徒を見ればいいのに、と思ってしまうのは古い考えだろうか。とは言いつつもその反面、記憶を再現して遊ぶのは楽しい。森や鳥を思い浮かべれば、立体映像で疑似バードウォッチができる。

「平沢せんせー、アグラに出てますよ」

 声の方に振り向くと香取が立っていた。陽光が射している廊下。目をこすりながら小さなあくびをしている。悪い生徒ではないがおっとりしていて、最近居眠りが多い。特に俺の授業で。

「ああ、悪い悪い」

 つるの部分を調節する。アグラは目と側頭から脳にアクセスするため、うっかりしていると考えていることがレンズに映ってしまうのだ。そういうのに気を遣うのも、面倒くさい。

「また鳥のエフェクトで遊んでたんですね」

「そうそう、キツツキ」

 香取はきょとんとしている。無理はない。森が減り、絶滅してしまったキツツキ。その中でも特にヤマゲラが好きだった。

「せんせー、それじゃあ」

 そう言うとペコっとお辞儀をして、図書室の方へ向かって行った。後ろ姿に声をかける。

「居眠りばかりするなよ? もう三年生になるんだから」

「ふぁあい」

 振り返り、憂いを帯びた笑みを浮かべる。その表情と泣きぼくろに、なぜか既視感があった。

※     ※     ※

 冷たく、濡れた感触で意識を取り戻したとき、成功したのだとわかった。うつ伏せに倒れた体を、ゆっくりと起こす。ナラの木が立つ森の中、ころろ、ころろという音がこだまする。

「ここが、三十年前の……」

 ガサッと地面を踏みしめる音で我に返った。近くに人がいる。立ち上がり、ひざについた泥を払う。誰が来るかというのは予想がついていた。足音はこちらに近づいてきている。

「誰か、いるの?」

 現れたのは同じ歳くらいの男の子だった。緊張しているのか、一眼レフを持つ手に力が入っている。あたしは思わず、目元のほくろに触れる。動揺したときの癖だよねと、前にクラスメートに言われた。

「えっと、野鳥を探してて……」

「そうなんだ! 実は僕もヤマゲラを探してて……あ、鳴き声!」

 少し緊張気味だった彼の表情が一気に緩む。頬に赤みが差し、眼は輝いている。あたしは聞こえたふりをして、彼の視線の方を見やる。

「小さくて凛々しいところが好きなんだ。真っ直ぐな嘴も。かわいいんだけど、カッコいいって言うか」

「ふっ、ふふ」

 思わず、吹き出してしまった。熱心に話すところは、変わらないみたいだ。好きなものを夢中で熱く語るところも、スコアを抜きに生徒を見るところも、あたしは好きだった。

「ごめん、つい熱くなっちゃって。俺は平沢」

「カト……加藤です、よろしく。ヤマゲラ、見つかると良いね」

 本名はあえて伏せた。またすぐに来られるよう、この座標を登録する。あたしはここを、キツツキ座標と名付けた。

※     ※     ※

 疲れのせいか最近変な夢を繰り返し見る。森の中に行き、ヤマゲラを探す。鳴き声やドラミングは聞こえるのに、なかなか見つからない。歳が同じくらいの女の子と一緒にいるが、顔は思い出せない。そんな違和感はしかし、午後には消えてしまっていた。今日が最後のホームルームだった。

「せんせえ、ほんとに転勤しちゃうのかよぉ」

「みんな本当に、ありがとう……」

 自分で思っていたよりもどうやら愛されていたらしい。むせび泣く声が聞こえる度、つられてしまう。目頭を押さえると、指先が濡れた。

「ほら、それよりも春休みだ! お前ら気を抜くなよー。なんせ受験生だからな!」

 下校のチャイムが鳴る。鼻声になりながらも一人一人生徒たちと言葉を交わし、握手を交わす。みんな教室から出て、香取だけになった。大きな花束を抱えて歩み寄る。クラスのみんなで用意してくれたらしい。

「香取、居眠りばかりするなよ」

 茶化したつもりだったが、鼻声でかっこが付かなかった。彼女は泣きぼくろに触れ、唇を噛む。静謐さを閉じ込めた瞳から、しずくが一粒こぼれる。

「先生」

 教室を冬がひんやりとつつむ。香取はこちらを見据え、目元から手を放す。

「ヤマゲラ、あたしも見たかった」

※     ※     ※

 教室の隅で眠りにつき、キツツキ座標にアクセスする。今日が最後の授業だと思うと、胸が痛い。着いたときにはすでに彼も来ていて、缶のココアをくれた。

「あのさ。加藤はその、付き合っている人とかいるの」

 先生……平沢君は一眼レフをいじりながら、何でもないふうに聞く。あたしは缶に目を落としている。

「いないよ」

「じゃあ、じゃあさ。俺と付き合うとか、どうかな」

 真っ直ぐ見つめる眼。その眼が大好きだった。沈黙がココアの温度を奪う。そのたび、冬を強く感じた。

「無理なんだよ」

 言ってから、涙があふれた。この場所に、ずっといたい。このまま雪と、解けてしまいたい。彼の「どうして」がくぐもって聞こえる。なんでこんなことをしたのか、もうわかんなくなてしまった。

「タイムマシンあったなら、未来を変えられたのに」

 記憶のハッキング。先生のアグラに向けて電波を飛ばし、記憶にアクセスする。なるべく多くの記憶を共有するために図書館で三十年前の森を調べたけど、ヤマゲラだけどうしても探せなかった。

「平沢君はね、いい奥さんを持って、幸せな家庭を築くの。それだけのスコアがある」

 教師との恋愛はお互いのスコアに多大な影響を与える。スコア至上主義の社会で、それは心中と同じ意味を持つ。わかってる。それでも、諦めきれなかった。缶は熱を失う。鼻が赤くなり、目頭が熱を帯びる。先生が好きだった。後悔するほどに。

「スコアって何だよ」

 不満そうな彼を見ようと顔を上げた。視界がぼやける。胸が苦しくて、もう言葉を絞り出すだけで精いっぱいだった。

「ごめん、何も訊かないで。今だけ……このまま、一緒にいて」

 そっと、抱き寄せられ、肩にもたれる。頬がコートに触れた時、匂いも記憶すればよかったなと、ぼんやり思った。ころろ、ころろとこだまする音が、もろい恋をなぞった。


板野かも様 企画

第5回 #匿名短編コンテスト・過去VS未来編  (未来サイド)収録作品

お金が入っていないうちに前言撤回!! ごめん!! 考え中!!