人間の真実とは? 第834幕
本日は、人気YouTuberのミルクティー飲みたいさんの動画、前編『未来人塚本が語る現実とは?』と後編『未来人塚本が語る人間の真実』をみなさんにご紹介したいと思います。
未来人”塚本”から聞いた話で、2chでスレを立てた人の話を、ミルクティー飲みたいさんが解説した動画です。
この動画、その内容を頭で理解が追いつかないうちに次の話になって行きます。
理解できないのに、何故か見終わってみれば、妙に納得している自分がいる。
「ああ、これ本当のことなんだろうなあ」って思ってる。
普通は、理解したからこそ、納得すると思うんですが?
「理解してないのに納得する」、そんな不思議な話です。🤣
私は、3回繰り返して見ましたが、結局理解しきれませんでした。🤣
『時間』とは何か?『人間』の真実とは?
引き寄せ、願いの実現、予知とは?
今まで、疑問に思っていたことの答えに繋がる、1つのピースが埋まった感覚になりました。
動画は、前編35分、後編1時間と長いのですが、通常の1倍のスピードで見てください。
尚、自我が崩壊する恐れがあるそうです。違和感、見るのに飽きたら途中でも視聴を中止してください。
最後まで見れたら大丈夫だと思ってください。🤣
では、動画をご覧ください。
1. 選択
面白い話は、多いのですが、その中で元プロ野球選手の『落合博満』さんのお話を!
落合さんは、ボーリングのプロを志すが、プロテスト受験の際に、スピード違反で捕まって罰金を支払ったことで受験料が払えなくなり受験できず、プロを諦めることとなる。
野球の天才が、プロボウラーを目指していたのも、興味深いが、それを『選択』という観点で丁寧に分解して説明すると、
「なぜスピード違反をしたのか?」
「なぜ警察は落合博満を捕まえたのか?」
「なぜ受験料も払えないほど金がなかったのか?」
「そして、なぜ挫折したのか?」という疑問が残る。
落合博満が体験したこの流れって偶然ですかね?
偶然にしては話が出来すぎてると、ちょっと思わないですか?
間違った道に進もうとしている若者を、見えざる神の手が邪魔をしているのではないかとすら思えてくる。
こんな話もなんだが、誰でも多少はスピード違反で街を転がしてる。
だから、「なぜスピード違反をしたか?」はあまりインパクトのない疑問だ。
でも、白バイに捕まると「今日は運が悪いな」と思うだろう。
つまり、スピード違反で捕まる確率はオレらの経験上、まあまあ低い。
次に、「その罰金を払ってしまうと受験料が無くなってプロボウラーの試験が受けられなくなるほどに金がない」
これは確率としては相当低い。
言葉で言えば「よりによって」というところだ。
なんだか「野球の天才をプロボウラーになんかしてたまるか!」と周囲の人間が全力で妨害しているようにすら思えてくる。
このスレ風に言い方を変えると、「プロボウラー落合博満という未来(可能性)を誰かが全力で潰した」んじゃないのか?
同じような経験がみなさんにもないだろうか?
「なんでオレの未来を妨害するんだコイツら」
「よりによってなんでこんな目に」みたいな経験。
でも、もし妨害されなければ落合博満は天才バッターではなく、しがないプロボウラーとしての人生を生きていたかもしれない。
未来は不確定だから、可能性はあった。
でも、どういうわけか、周囲に全力で妨害された。
いや、逆かもしれない。
落合は全力で周囲に妨害して欲しかった?そして周囲が協力した?
でも、そんなことが偶然で運ぶだろうか?
みなさんも自分の人生を振り返って見たときに、偶然とは思えない形で、本来進もうとしていた道が閉ざされてしまったり、偶然とは思えない出来事が諦めるきっかけになってしまったことはありませんか?
きっとあるんじゃないかなと思います。
だけど、それがあったから今の自分があるとも言えます。
一人の人の人生が多くの人の人生に影響を与えることがある。
そういう意味では落合さんは『プロ野球選手にならなければいけない人生だった』ということではないでしょうか?
だから、偶然に偶然が重なってプロボウラーの道を諦めざるを得なくなった。
2. 宿命
未来人の塚本が言っていた『選択』の話に戻ろう。
塚本は未来が不確定であることを教えてくれた。
現在の行動によって未来はどのようにも変わると言っていた。
ただし、現在には因果律があるから可能性は無限ではない。
そして、もう一つ、現在に影響を与える要素がある。
それが『宿命』だ。
各個人には全人生を賭して果たさなければならない目的がある。
しかし、この目的には別に生まれた時から決まっているわけではない。
あなたがやらないなら別の誰かがやる。
そういう柔軟性はある。
だがそれは、いずれにしても「誰かがやらねばならない」
各個人にはいろいろな才能があり、場所や資産や時間など様々な条件があるが、人間がこの空間で歴史を刻む上で必ず果たさねばならない役割を消化するために、無意識的に各個人同士が最適な人材を推薦しあっている。
それはもちろん自薦の場合もある。
ただし、人類に強い影響を与える人物は替えが効かないために、どんなワガママに暴れても「宿命」によって本来の時空に引き戻される。
ゾッとするような話をすれば、空間を共有している全人類がその「宿命」を達成させるために、無意識的に協力し合い、もしその人物が誤った道に進もうとしているのであれば、一致団結してその行動を妨害し、本来の進むべき道に連れ戻している。
この話は、俄には受け入れ難いと思う。
だが、これが人間の真実だ。
3. 自由意志は存在するのか?
あなたが昼休みにお腹が空いて、ある食堂に入ったとする。
とりあえずメニューは無限ではない。
その中であなたはラーメンが食べたい。
「おばちゃん、ラーメンひとつ」。
でも、返答はこうだ。
「ごめんねえ、今カレーしかないの」
ラーメンを諦めて「じゃあカレーでもいいや」とするか。
「オレは絶対にラーメンを食べる」とその店を出るか。
そんなことはあなたの自由だ。
だが塚本は前者を「選択」する人が大半だと言っていた。
ただ問題になるのは、この場合、あなたはいったい”どこまで”自分で「選択」したと言えるのか?ということだ。
どこまで自分の意思が働いているのか?
こんな思考実験はどうだろう。
その食堂を選んだのは本当に自分なのだろうか?
どうでもいいことには乱暴になるのが現代人の悪い癖だ。
くだらないことでも考えよう。
まず昼休みの時間を利用して行ける範囲にある、自分好みの飲食店は無限ではない。候補は数店ってところだ。
この時点から他者の「誘導」が始まっているかもしれない。
食堂に入る。ランチメニューはせいぜい10数点ってところだ。
これも「誘導」?まさか?
いつものラーメンが品切れ?偶然にしては珍しいな。
面倒だカレーでいいよ。この流れ。
本当にあなたが「選択」しているのか?
誰かに「誘導」されてるんじゃないか?
あなたが会社を出てカレーを食べるまで、自分が「選択」したわけではなく、全部誰かに「誘導」されているとしたらどう思いますか?
クイズミリオネアの50 / 50のように。
本来ならたくさんあった選択肢を誰かが意図的に潰しているとしたら?
オレらの意思は自分が思っているよりも、自由なのか?自由じゃないのか?
とりあえず自分の実生活の体験を当てはめて考えてみてください。
これは非常に哲学の古典的な問題で、古くから人類は、我々には ”自由意志は存在するのか?” っていうことを考え続けてきているんですよね。
みなさんは、『自分の選択』が、『自分の人生』は、自分の意思によって決めてきたという自信はありますか?
ちなみに僕(ミルクティー飲みたいさん)にはないです。
僕は宗教に入っているわけではないんですが、全部自分がやっていること、自分に起きることは、天の赴くままに、それに従っていると思って生きている。
逆に言えば、神様がいるか、いないかはわからないけど、多分全部が「なるようになる」「なんとかなるでしょ」と思っている。
それは別に”努力しなくても良いよ”ということではなくて、”自分なりに”、”自分のできる範囲内で”、自分の能力と付き合っていけば、自分の人生だし、自分らしくなっていくんじゃないかなと思っていて、それ以上でも以下でもないかなと思って生きているわけです。
そういう意味で僕は、自分に自由意志があるかに関しては”自信がない”。
4. 私の実体験
ここに載せた話の他にも、たくさんの面白い話が語られていますので、長いですが、ぜひ全部の動画をご覧頂くことを、お勧めします。
きっと、あなたに刺さる、気づく、有用な話があるはずです。
『選択』の話を聞いていて、私が思い出した話を。
私が、カミさんと出会う前に、付き合っていた彼女がいました。
結構、話も合うしこのままいけば、結婚するのかも?と思っていたのですが、
喧嘩して売り言葉に買い言葉で、私から彼女に自分でも思ってもいなかった一言を発したために、それが引き金となり別れることになりました。
その後、カミさんと見合いをし、合いそうもないから断ろうと思いましたが、もう少し付き合ってみたらと、周りからのプッシュもあり、なぜか流れのままに結婚するという運びになりました。
まあ、二人には共通点もあり、真逆な部分もあり、自分の欠けた部分を補いあい、一つの家族になりなさいという神からの啓示だったんでしょう。
子供は、親を選んで生まれてくると、よく聞きます。
息子は、胎内記憶があるわけではありませんが、私(父親)を選んで生まれてきたと思うと言っていました。母親を選んで生まれてくるとは、よく聞きますが、父親を選んで生まれてくるとは珍しい事例だと思います。🤣
でも母親を選ばないと、生まれてこれないので、結局は両親を選んで生まれてきたことにはなります。
私とカミさんが結婚しなければ、息子は生まれていないことになるので、私とカミさんが結婚したことも、偶然ではなく必然だったのでしょう。
逆に考えれば、私とカミさんを引き合わせたのは、ひょっとすると、息子と娘だったのかもしれません。息子と娘が私達夫婦の愛のキューピットなのかも?🤣
結婚時に下した「選択」も、「誘導」されたものであり、その決断も自分の意思ではなく、見えざるもの、神の手のなせる技、「そうなるように私が生まれる前に決めてきたこと」なのかもしれません。
私とカミさんは、結婚し、息子と娘を残す。
きっと、次の世代に繋いで行く橋渡しのために生まれてきたのでしょう。
これからも、全ては天の赴くままに、「なんとかなるさ」と、自分らしく、ワクワクドキドキしながら生きていこうと思います。
いつもご覧頂きまして 有難う御座います。
スキ フォロー コメント等を頂きまして 有難う御座います。
では また次のnoteで お会いしましょう。
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