ありがとうもまともに言えない【思索】
私達の言葉は人の個性によって七変化する。
例えば『おはよう』なら『おっす』『チィーッス』『やっほー』とか言い換えることができる。
その人の個性だし、それを奪ってしまうととても平凡でつまらないとも思う。
だから、人によって挨拶や言葉遣いが違うのはある意味人生の彩と言えるのかもしれない。
しかし感謝の『ありがとう』に関してはどうだろうか?
『あざっす』で済ませていいものだろうか? と疑問に思った。
『ありがとう』には一字一字意味が込められているらしい。
ちゃんと言わないと感謝にならないとかなるとか。
真偽のほどは置いておいて、感謝くらいはちゃんと伝えたいと思う。
なぜなら、挨拶は自分本位だが、感謝は相手本位だからだ。
自分本位であれば個性を発揮しても自由だと思う。
しかし、相手に感謝を述べるときは個性を爆発させていいものか?
そんな風に考えることがある。
面と向かってありがとうと言ったのはいつだろうか?
いつも適当に言葉を発しているだけな気がする。
そこに気持ちを込めて発言しているのだろうか?
心を込めて言葉を発していない気がする自分と向き合ってみる。
そういえば私は人の話も真面目に聞けているだろうか?
普段の言葉を丁寧に紡いでいるだろうか?
毎日を適当に生きていないだろうか?
ありがとうもまともに言えない私は、他の事がおろそかになっても当たり前だ。
自分だけでは生きていないのに、感謝さえまともにできない。
それに気づけたのなら、今から行おう。
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