無駄な努力と言われても【思索】
どんなに頑張っても給料は変わらず、サボりまくりの同僚と同じ給料だとして、あなたはそれでも努力を怠らないだろうか?
頑張っても頑張らなくても報酬は同じなんだ。
じゃあ頑張っても無駄じゃないか?
こんなのは無駄な努力だと嗤われるだろう。
それでもなぜ頑張るのだろうか?
無駄だと分かっているのに何故?
それは一生懸命することに無駄はないからだ。
直接的な報酬に影響はないが、確実に自分の人生の中では無駄になっていない。
どんなことでも一生懸命努力できる人は、どんな困難でも立ち向かう度量が身につく。
本当に自分が大変な目に遭った時、必ず助けてくれるのはどんな時でも頑張っていた自分だ。
どんな結果になったとしても、その答えを受け止められるから。
そのために今を全力で一生懸命生きている。
無駄な努力だと嗤う人は、そのまま嗤わせてあげればいい。
非効率だとか、無意味だとか言われても特に問題はない。
人生はどんな因果でどんな結果が出るか理解できるものは存在しないのだから。
回り道だとしてもその道には意味がある。
大切なのは、それこそ無駄にしないことだ。
自分で培った努力を信じてあげることだ。
もしも同じ様な一生懸命な人を見かけたら、一緒に全力で頑張ろうと励まし合えばいいだけの話だ。
無駄だと嗤う人に時間をかける方が無駄だ。
優しさをどぶに捨てる人にわざわざ優しさを分け与える必要はない。
どんな人にも優しくしてしまうのは、わが身可愛さで自分の身を守っているに過ぎない。
それはもはや優しさとは呼ばない。
本当の優しさは、一生懸命生きる人に宿るものだから。
努力を嗤わない人は、努力してきた人だ。
だから、自分を信じて今まで通り互いに頑張って生きよう。
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