見出し画像

春愁の処方箋

春愁の目地に逆らひ床を拭く

20年近く前にこんな俳句を詠んだ。
季語は「春愁」。「春になると木々が芽吹き、うきうきと華やいだ気分になる反面、何となくもの憂い感じにもなるのをいう」。久しぶりに開いた歳時記に、そう書いてある。

当時俳句のグループに参加しており、毎月のノルマで句を作っていた。
いわゆる「当季雑詠」の「当季」から外れぬよう、いつも季語を調べて選ぶことから句作に取りかかった。
そうして出会った「春愁」。俳句をしていなければ見かけることのないだろう言葉。
「春」と「愁い」である。明るくさわやかなのに、けだるい。満たされていながら、不穏。そんな相反するイメージを同時に取り込むこと、それ自体が俳句的で、しかもそれが一語で完結している。なかなか手強い季語ではないか。
当時は何も深く考えず、歳時記をめくって見つけたままに飛びついた。それでも季語の本質は理解できていた気もする。
目地に逆らって拭くという非合理な行動。そこに何か気持ちの乱れがあるとして、結果的に床拭きという家事ルーティンを怠ってはいない、自分の日常を肯定する句……と、解説するとしょうもない感じになってつらいな。

そもそも、春は気の重い季節だ。
新年度、新生活、新体制…… 「新」だらけでピカピカしまくりの毎日に、心と体が追いつかないのはふつうだろう。五月病を待たずして、4月は要注意月間。

今では組織や人のしがらみから出来るかぎり距離を置いているわたしでさえ、この時期は無駄にモヤモヤしてしんどい。
それを代弁してくれる「春愁」という言葉があることを、ひとまず思い出す。庭に出て、急成長中の植物たちを横目に、深いため息などつきながら「これぞ春愁」とつぶやく。
そうやって、今月を乗り切りたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?