福島を題材にした作品作りpart 3
本日は福島を題材にした作品作りpart3を書いていこうと思います。時期的には2019年の10月〜2020年の3月くらいまでを書いていきます。
まだpart1、part2を読んでない方はリンクから飛べますので、そちらも合わせてよろしくお願いします!
では行きましょう!
被災者じゃない自分
前回は福島から外へ向けて何か伝える作品をではなく、自分達がみた福島という視点で作品を作ることにしたところまで来ました。
そこで、福島に対して自分達はなにを語ることができるのかを考えました。
ここで、少し過去の自分について話します。
僕は福岡県の北九州市というところで生まれ育ちました。
震災が起きた当時は大学入試の2次試験を受けた2日後で福岡に帰ってきたばかりでした。
友達からのメールでパソコンをつけてみると震度7と書いていました。阪神淡路大震災の時はまだ幼く記憶もほぼない僕にとっては、初めて見るに近い表示で、にわかに信じられなかったのを覚えています。
九州は全く揺れもせず、ただただテレビの映像が流れてくるだけで、僕だけじゃなく僕の周りにいた大人たちも
「なんか東北が大変なことになっとるらしいよ! 知り合いに連絡つながる?」
と、ほんとに同じ日本で起きているのか?
というような状況だったと思います。そこから花見などの自粛期間が続き、かと言って直接ボランティアとかも行ってあげられずに、現地の様子もテレビの情報でしかわからない状況が続きました。
僕だけが感じていたことなのかもしれませんが、九州で生活していた人は現地の痛みを直接わかってあげられない辛さみたいなものが当時あった気がします。
しかし、被災した方々からすれば、「被災もしてないのになにが辛さだ!」と思うかもしれません。
後ろめたさを抱えて
この辛さは上京してもそうでした。僕は二浪して大学に入ったのですが、震災から2年経った時でも大学の同期と震災の話になった時に、なぜか後ろめたくなり口をつぐむ経験が幾度となくありました。東北出身の子や関東の子達は当時【どれだけ揺れた】や【どこへ避難した】【あの日は電車が止まって帰れなかった】など、当時のことを思い出すように話してくれるのですが、そんな大変な経験をしていない僕にとって、なんと声をかけていいか分からないものでした。
震災に対して勝手に後ろめたさをを感じていたのかもしれません。
しかし、福島の取材に行くにつれその後ろめたさのようなものは無くなって行きました。
死人だけしか語れないのか?
僕たちは現地でとても悲惨な場所を見てきました。そして多くの人と出会ってきました。その中で被災者となった方々から聞く言葉で印象に残った話があります。
津波と原発の被害で避難せざるを得なくなり、時間が経ちようやく被災地へ戻ってきた方のお話では、
「俺らはもちろん辛い思いをしたけど、まだ戻ってこれただけでもありがたい。家が流されたり、帰還困難区域になって2度と戻れなくなった人もいるから。家族を亡くした人もいる。もっと大変な目にあった人もいるから」
僕たちから見たらすごく大変な目にあってる現地の方が、自分達より大変な目にあってる人を思って言葉を出しづらそうに語ってくれたのが印象的でした。
僕はその時に自分と同じだと思いました。また、人は自分より辛い目にあった人がいると、自分の経験を語りづらくなると思いました。
しかし同時に本当にそれは健全なことなのか? という疑問も湧いたのです。
その時に感じた思いや辛さ経験は紛れもなく本物なのではないか? 自分より辛い体験をした人がいるからといって、自分の感情を殺す必要はないのではないか? もしそうでなければ、最終的に語れるのは死んだ人だけになり、死人は語れないという矛盾が生まれてしまいます。
あなたはこの世界の当事者です
僕らはこのことに気づき、2019年10月末から作品のテーマを「当事者性」というテーマに絞って制作できるようになりました。
被災者であれ、そうでないであれ違うのは直接的な被害の大きさだけで、たまたま違う場所で同じ時代に千年に一度といわれる東日本大震災という痛みを経験したではないか! と思うのです。
なので日本国民全員があの震災を忘れることはあってはいけないし、まだ完全に回復していない被災地を忘れてはいけないと思うのです。
僕は被災者でも震災で被害を受けた当事者でもないけど、同じ日本で同じ時代に生きていたこの世界の当事者として、福島のこれからを見ていこうと思いました。
そういった思いで制作を続け、2020年3月にできたのが映像作品『それぞれ』となります。
https://youtu.be/E4iqyLbZ_Uw
ここまでpart1からpart3までざっくりと駆け足で、僕たちが福島とどう関わってきたかを説明してきました。
今後は2021年春に舞台作品を作るようになった経緯や、今まで書いてきた内容のより細かい部分や、取材した内容をもっと具体的に少しずつ説明していこうと思いますので、応援の程よろしくお願いします。
QoiQoi 吉次匠生
QoiQoiプロフィール
2018年2月9日に大橋悠太と吉次匠生によって結成されたアートユニット。 当初はano(アノ)として活動していたが、2020年10月1日より団体名を改めQoiQoi(コイコイ)として新たな活動を始めている。
また、「想像力を創造する」を信念に演劇、映像、インスタレーションなどさざまな分野を飛び越え作品制作を行う。団体名のQoiQoiもquality of imaginationが由来である。 また、社会問題から個人の体験まで幅広い事象を可視化し、常に観客に「当事者性」を提示する作品作りが特徴である。
このnoteでは作品制作のことを中心に、被災地のことや原発のこと、その他考えたことなど、読んでくれている方へなるべく為になるような記事や僕らをより知っていただける記事を書いていくことを目指しています。
もしも気に入った記事や活動の参考にして頂けたら、スキやQoiQoiをフォローをしてもらえたら嬉しいです。
また、僕たちの活動を応援・サポートしてくれる方を募集しています。
サポートして頂いた資金は現地取材や稽古など全て作品作りに使用させていただきます。
今後とも我々QoiQoi(コイコイ)をよろしくお願いいたします。