見出し画像

よくわからない人材、私。in 文化祭

「何のための文化祭だったのか」

私はスローガン・目標を立てることなく、文化祭運営のリーダ格として引っ張り、結局終幕までたどり着いてしまった。

一般生徒のように「文化祭」を楽しめなかった、そんな虚無感に苛まれることは決まっていたんだろう。無意味に走り始め当初から。


「やりたいことをやる」

そう決めて文化祭の準備をしてきた。そうしたら、自分ひとりだけで走ってしまい、周りの事象なんて考えられなかった。

演劇の席の配置一つとっても、演劇自体に興味がないから、観覧場所に席をたくさんぶち込むことだけに集中してしまった。その手間とか、お客さんの満足度とかを考慮せずにね。

私のクラスは演劇を行ったのだよ。私自身は文化祭運営の仕事のために、出ることなく演劇を通してクラスで楽しむ可能性を潰してしまったよ。
そう、私はもっとクラスで準備ができた。一般生徒として「文化祭」を楽しめたはずなんだ。

運営に携わる周りの人は、うまく時間をやりくりしてクラス発表の準備時間を捻出していた。何なのだろう、この差は。

結局は、文化祭自体が「やりたいこと」ではなかったのかもしれない。
文化祭準備で てんやわんや したかっただけなのかもしれない。


「忙しそう」

そう声を掛けられたことが、この一週間以内に何度あっただろうか。

文化祭運営の種々の仕事に手を出していたから、そう忙しく見えているだけで、実情私より"忙しそう"な人はたくさんいるのに……と。

文化祭運営・クラス・部活*2の人とか
クラス演劇・演劇部・応援団練習・勉強を並行していた人とか

文化祭運営の仕事自体、私自身が取り組みやすいもの・やる気のあるものしか自分で処理してこなかったから、「忙しそう」と声を掛けられること自体が申し訳なく思えてくる。

実際、睡眠時間を削って運営作業に専念していたことは確かだし、去年の運営の長だったOGから「いろいろな人から君が仕事をしている」という話をされたし、ちょっとは誇らしく思うけど


唯一関わらなかった本部の仕事がある。

「中夜祭」だ。

私自身が「イベント」に興味がほとんどないから、関わらなかった。

でも、関わった人が羨ましい。

中夜祭の企画なんてフロントエンドの、仕事が直接当日の観客の顔に現れる、そんな仕事じゃないか。

私がやったこと、書類を取りまとめて整形して、運営メンバーの前で話して資料印刷に駆け回って、質問メッセに返答して。

バックエンドじゃん。人目に触れない裏の仕事じゃん。

私自身がそういう仕事を自ら選んだのは事実なのだよ。
でも、「副本部長」という微妙な肩書き、自分の志向、中途半端な知名度。

私は文化祭運営で何がしたかったのだろう?

周りに称賛されたかったから?
自分の実力を試したかったから?
単なる暇つぶし?
運営にハマった末路?
特定の人への見せかけのため?


そんな中夜祭だが、それは私を非常に楽しませた。

私自身の感情って、周りによって生成されているだけのような気がしている。

周りが泣き出せば「うっ」と、周りが盛り上がれば「うぇい」となる

私が私自身を真なる人間と認めていない点の一つはそこにある。
感情に乏しいと思うのよね。

でも、楽しい時は楽しいと思えるだけマシか。


私、「悔」とか「悩」とかいう感情/思想を忘れ去っているから、人ひとりの出来事に深く思慮を向けることができないかもしれない。


文化祭1日目の夜。明日の2日目に向けてちょっと話をしたあと、ちょうど7時ころか?

一人の子が急にぶっ倒れた。熱中症と過呼吸のようだから、とりあえず冷やして安静にさせ担架で運んだ。

その子が救急車で搬送されるまで、何とも言えない緊張した空気が残っていた。
部活が同じ子、幹部クラスの私たち。
その子の身体的危険性、教師の対応への不満。色々を詰め込んだぼやきあいが終わって幹部クラスだけが残ったとき、

私以外の2人は泣き出した。どうも、リハーサルの時から「つらい」などとシグナルが出ていたようだ。しかしよく聞くと、その人員を減らすように報告してきたのも当人らしい。


さて、上にも書いたように私には「悔」が薄い。ポジティブ思考を習得しているからだ。

だから、私がその情に合わせに行くことはできなかったよ。
早く帰ろうと、なだめようとすることで精いっぱいだった。


でも、泣き出した彼が直前に言っていた言葉。

「一歩引いたところで見ている人も重要。僕は一つのことに目を向けると他が見えなくなるから。」

一歩引いて、私は泣き出しの件に対処できたのかもしれない。

時間は9時半。交通量の少ないさわやかな夜風と共に私は帰宅した。


私は明らかに、高校生基準では過労なのだろうけれど、ぶっ倒れはしていない。死んだように寝て暴食していたけれど。

今年度母校に帰ってきたイケおじ先生に「実はアルバイトしているんですよ」というと、「確かにあれはアルバイトしている人の動きだった」と返してきた。

どうにも、私は無茶をしても倒れるような人ではないようだ。件の人を虐げたい訳ではなく、むしろ身体のリミッターが抜けているのだろう。


「社会に出て働けそう」

なんて言われることが多かった。

仕事自体に熱量をもって取り組むことが少なくなってきて、淡々と目の前にあることを片付けることにフォーカスするようになってきたから、より言われるようになってきたのだろうか。


私の知人で同様に行事運営を行っていた人がいるのだが、その人はよく、仕事のことを「アーティスト的行為」と言っていた。

自分自身の信念を、行事本体やマニュアルなどに反映させることが自分のやりたいことだ。と。

私はそれとは逆で、一つ一つの「タスク」をこなすことでいっぱいだった。「よりよくしよう」と変更を重ねることはあっても、そこに自分の信条(そもそも信条などない)を重ねはしない。

その無関心さと、Officeいじり技能が、言わせているのだろうか。


果たして私はこの高校の、文化祭運営に必要な人員だったのだろうか?

多分私以外の人に言わせれば、おそらくYesなのだろうけれど。

PCポチポチは代替可能な人材だから。それを早くできる人材なだけだと思うんだ、私は。

Excelで関数いじってチケット抽選をしたあの夜、それを見て「よくわからん」と言った皆さん。ブラックボックスな私を働かせてくれてありがとう。

でも、当日は私がいなくても9割のことは回っていました。私は残りの1割を処理するだけで良かったのです。まあ何と気楽なことか。

そう考えると、私はコマではない。
スイスチーズモデルにおいて、チーズを何層も作ったうえで(マニュアルを作る)、自分という名のチーズを提供する人材だったのだ、と。

そう思うことにします。


次に運営を執るときには、優先事項・スローガンを掲げることにしよう。

そうすれば、より分かりやすい人になるだろう。

そして、より自分の存在意義が見えやすくなる人になるだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?