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インタラクションの重要性と限界 with 恋愛

インタラクション(交流; 相互作用)は、新たに何かを得るときに必要となる条件だ。しかしインタラクションが不必要な場面もある。



最近の私は、思考の源になりそうな情報が蓄積してきた後に誰かに話して整理する、ということが多くなっている。
少し前までは自分の中で熟考して結論を出すことがあったが、なぜだかやらなくなった。話し相手が増えたからかもしれないが……

そんなわけで、私がこの事項から思ったのは、新しい見方・考え方を手に入れるときには人とのインタラクションが必要だということである。

もっと拡大して言った方が適切かもしれない。
新しいモノを手に入れるとき、以前からのモノとつなげる(Connecting The Dotsする)とき、何者かとのインタラクションが必要となるのだ。

他にも例を挙げれば、
・友人/恋人などと過ごすことによって新たな知見/感性を得る
・授業や講義を"真剣に"聞くことで知識を手に入れる
・本を"注意深く"読むことで知識を手に入れる
・日記を見返すことでより深く自分について知れる
など、人に限らず自分自身や物と「対話」することもインタラクションとすれば、新しい何かが手に入れられるのだ。

一部を切り取って有り体に言えば
「人生を豊かにするには人との交流が重要である」
という結論にもできる。



しかしながら、インタラクションが重要でない豊かさもある。
その一例が娯楽の範疇。
テレビ・ラジオやYouTubeなど、視聴というコンテンツにはインタラクションは関与していない。
勿論、批評や推し活などはインタラクティブな面もあるのだけれど、単にコンテンツとして消費するだけでは、インタラクションは存在しないのだ。

そういった意味で私からの教訓としては、「自分自身に還元したい/成長したいのならば、主体性を持ってインタラクティブな行動が必要になる」ということだ。





おまけという名の本編である。

ある人から、「恋愛する人に向けてのNoteを書いてくれ」と言われたので、いま、その需要を満たそうと思う。

前提として恋愛には二つの形態があるだろう。
・相手を想っている状態
・相手と過ごしている状態
(他にもあったら教えてください)

「相手を想っている状態」はインタラクティブではない。誤解を恐れずに言えば、娯楽の一種に過ぎない状態ということだ。
そのままの状態だけでは新しい何かを望むのは無理である。
だからこそ、多くの人は新しい何かを望んで、インタラクション=「相手と過ごしている状態」を欲しがるのだろう。


つまり、付き合うという状態には、新しい「何か」(自身への還元=欲求を満たすこと、自分の成長=経験など)を求めていると思われる。

もしもその「何か」を望むなら、本編のまとめである

「自分自身に還元したい/成長したいのならば、主体性を持ってインタラクティブな行動が必要になる」

が必要である。
反対に「何か」を望まないのなら、それ以上の行動は必須ではないのだ。

以上。需要を満たせただろうか。





一人書き

①様相を表すときには「インタラクティブ」(双方向)と形容詞を、総体として表すときは「インタラクション」と名詞を使用しました。コアイメージはほとんど同じなので気にしないでもらって構いません。自己満足なので。

②今回の記事を書いたきっかけ。from 雑談 #7 ゆる言語学ラジオという無料で聞けるPodcast。ゆる言語学ラジオというものを理解している人は聞いた方がいいだろう。少なくとも私には、いつもの雑談会のテンションから知識を抜いた形だと思えた。飛び交う語彙は高めだが。


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