きょうは女性デーなんだな

1975年に国連で制定された女性デー。
60年代後半、スチューデントパワーなどと言われ、世界のあちこちの国で学生の運動が盛んだったとき、その運動の内部で、女性であるために軽視され、男たちの性欲の対象として弄ばれた女子学生の間から湧き起こったウーマンリブの運動こそが、女性デー制定の発端だった。
その後80年代になって、フェミニズムなどと、柔らかそうな言葉で呼ばれるようになったので、何かウーマンリブの改良版がフェミニズムだ、みたいに思ってるひとも多いが、ほんとうは、フェミニズムというのこそ、はるか先、18世紀後半に英国でメアリ・ウォルストンクラフトが始めて、19世紀を通じて社会主義者のあいだで発展してきた、ウーマンリブの先駆なのだ。ちなみに『フランケンシュタイン』を書いたシェリーはウォルストンクラフトの娘だが、フェミニズムのほうがよっぽど怪物、いや大事なウォルストンクラフトの生んだ娘たちだったわけだ。
社会主義はフェミニズムと切っても切れない。マルクス主義者という、マルクスも呆れるようなイデオロギーに凝り固まった連中が、それを卑しめ「階級社会が止揚されるとき性差別も解消される」という、一見もっともらしげなご託宣で、フェミニズムを脇にのけてしまい、学生運動に参加した女性は性差別なんて第二義的、自分は階級闘争に邁進するんだ、と、それこそ女性にありがちなマジメでいい子ぶった観念に自縄自縛されていたものだ。
私有財産の蓄積、それによる争奪戦を通じて国家ができたとき性差別が始まったのは確かだろうし、それ以前には女性は男と対等と言ってよかったはずだ。「生むのはあたしたちなんだからね」というわけで。だからといって、階級社会が止揚されれば性差別はなくなるなどというのは、火山の火砕流で町が焼かれ崩壊したときに、原因は火山だから噴火が止まるまで人命救助や大事な財産の持ち出しはやらずに待ちましょうというに等しい。性差別をなくしていく方向に世の中が進むことこそが社会主義だということは、北欧の例を見たってわかるじゃないか。

60年代後半、まだ少年だったぼくは、なんの気なしに近所の本屋で見かけたバートランド・ラッセルの『懐疑論集』が気に入って、彼の著作も伝記も読んだ(今から思うと、あんなに含蓄の多い文章をわかった気で読んで、わかった気でいた自分が信じられない)。彼の伝記のなかにフェミニズムという言葉が出て来たから、ぼくはウーマンリブより先に、その本来の名称を知ることになったわけだ。
これもちなみに、ラッセルは数学とベトナム反戦運動の大御所として知られるが、貴族でありながら、社会主義者で(19世紀にはそういうのがいまして、共和主義者ベートーヴェンに年金を払って生活を保障してやった貴族なども、そんなもんでしょう)、子どもを自由に育てるために自分でビーコンヒル小学校という学校を設立したりした(当時は米国のサマーヒル、デンマークのフォルケホイスコレ、フランスのエコル・フレネなど、自由教育の学校がいろいろできた)。「ある日、教区の牧師がラッセルのを訪ねると玄関に一糸まとわぬ少女が出迎えたので、牧師は Oh God! と叫んだら、少女は There is no God. と言った」なんていうふざけたデマをばら撒かれながら。

哲学史上は論理実証主義と呼ばれる一派の創始者と位置づけられるラッセルだが、論理実証主義は普通のひとが哲学に求める人生如何に生くべきか、だの、宇宙の究極はなんぞやだのといったことは哲学の課題としない、まったく面白くない代物なのだけれども、彼はそういう我々にとって重要な問題には、哲学者ではなく、第一級の評論家かつ運動家として大きな影響力を持つ優れた著作と活動を行っていて、『結婚と道徳』でヴィクトリア朝時代の英国の性的偽善に真っ向から挑戦し、英国社会の猛烈な反発に立派に立ち向かった。なんてことを話し始めるといくらでも書けそうだけど、他日に譲る。

とにかく、ウーマンリブは60年代末から70年代前半にかけて、重要なトピックだった。新宿に「ホーキ星」というリブの女性ばかりでやるスペースがあったり、四谷の中島通子弁護士の事務所がリブの運動家の共同事務所だったりして、ぼくは当時つきあっていた女性にそんなところに連れて行かれるなどして、お姉さんたちに大いにいじめられた。
中島さんたちにくっついて国会議員に陳情に行ったら、代議士のジジイは中島さんに「あんたはこの法案が通ったら貞操を奪われるように思っているが・・」なんて、今ならコンプライアンス抵触もいいところ。そんな時代だった。
当時のリブの女性は意気盛んで、何か性差別の事例を見つけると、果敢に政府にでも大企業にでも抗議に行ったし、房総半島の山中で全員素っ裸で練り歩いてみたり。そんな流れのなかで、評論家の吉武輝子さんが参議院に立候補したりした。中ピ連というマスコミ受けを狙った偏ったセンセーショナリズムに走ったグループは、最後は内部の離反により、リーダーはメンバーの総スカンを食って解体しているが、ほかのリブはあんなものじゃない。

そんなリブに、保守的な女性たちは見下す態度をとって、男社会に媚びたものだ。その最たるものが『誰のために愛するか』なんて本を書いた曾野綾子で、自民党の覚えめでたく、産経新聞に「明け方の新聞のにおい」というコラムを連載するようになり、当時まだ中進国になりかけだった朴正熙政権の韓国が首都ソウルにつくる初の地下鉄の建設を日本企業に発注したとき、リベートをよこしたという「ソウル地下鉄問題」というスキャンダルを野党が国会で追及すると、国益になることを批判するとは言語道断と、「野党議員は人間か」という題名の文を書いて、さすがの産経もこれにはびびって、題名を書き換えさせたくらい。こんな女の本が、彼女の属するカトリックの教会ならともかく、プロテスタントの教会でも図書室に三浦綾子とならんでたくさん置いてあるとは何事か(曾野の本名は三浦知壽子ですがねw。亭主は「若者はガールフレンドを犯す気概をもて」などと言った野郎で、その名前の朱門というのも女性器を意味する俗語)。日本基督教団事務局のひとも問題を感じていて・・なんてことも、書くと長くなる。
とにかく、当時のリブは世間からさんざん誹謗中傷罵詈雑言を浴びせられても、ものともせずに闘っていた。
その影響で、国連で国際女性デー。考えてみれば10年もたたずにそこまでの成果をあげたんだよなあ。これはすごいことですよ。
80年代になって、ウーマンリブじゃあ受けが悪いから、さもソフトそうに、おしとやかそうに、フェミニズムというようになったが、それもウーマンリブの成果が土台にあったからだ。

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