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好きなものをなんでも「推し」と呼ぶな

好きなものをなんでも「推し」と呼ぶな

①語義が人によってバラバラだし、下手に「推し」という言葉が広まったせいでモヤモヤする


私は自分の中で細かく概念を分けるタイプなので、
好きなアーティストは「好きなアーティスト」というし
好きなアイドルは「推し」と呼ぶ。

分けている。自分の中で明確な違いがある。

本人たち自身がが受け取り手に消費されることに合意しているか、だ。

(ここでアイドルを消費していることについては省く。オタクのアイドルの消費の仕方には色々あるし、それに対してグレーゾーンなところ、未成年のアイドルの在り方など、それの問題点を語り出したらキリがない。)

②郷に行って、てめえのやり方突き通すな

そもそも、「推し活」という言葉が出てきて
色んな人が色んなものを好きになって、
オタクであることや「推し」がいる/あることについてかなり寛容になっている気がする。

しかし、従来のタイプの
【お金や労力、執着が異常なほど掛けており】
「そこまでするの?、おかしい、行き過ぎ」
みたいなレッテルを貼られるオタクと

コロナ禍以降の
「趣味の充実、生活の彩り」みたいな
タイプのオタクが

そもそも同じオタクという言葉で括られているのはおかしいと思う。

(どちらかのスタイルが良い/悪いという話ではなく、分かり合えないし、同じとするとさまざまなところに差異が生じる)

(面倒なのは
「趣味の充実、生活の彩り」みたいな方の
意味の「オタク」が広く浸透したせいで
前者のオタクは酷く生きづらい。)

コロナ禍で、配信や通販などが
盛んに行われるようになり
それまで以上に簡単にいろんなコンテンツに触れやすくなった。

また、人とのつながりが
途絶えがちになったことで
特定の好きなもの(推し)を通しての
人とのつながりが
新たな「人とつながる手段の一つ」になった気がする。

それまでに触れたことのなかった
アイドルを応援する文化や
音楽バンドやアーティストを聴くスタイルに触れた人が、
それまでに経験したことのある応援や各界隈の当たり前を突き通そうとすることがある。

実際に
禁止とはなっているものの暗黙の了解的にOKになっているものがいくつか思い浮かぶ。

それらに関して、
一時的にコロナ禍無くなったり、
コロナで場がなくなっていたことで表立って見えていなかったものを
コロナ禍以前の状態に戻りつつある現在
コロナ禍での新規の人が批判的になっているのを見る。

確かに安全や法的な面など
吟味されなければならないものはあるものの、ただそれはそこの文化であって、
一概にどうこう、それまでを知らない人が声高にいうのはどうかと思う。

また、
それまではその界隈では実行されて当然だったものを受け入れないという場面もある。

例えばコンサート、ライブ等がオンラインになっていた弊害で
対面ライブの流れが分からなかったり、
当然のマナーを知らない人がいるのは仕方のないことではある。
しかし、それまでのあたりまえに
何も知りもしない人がケチを付ける、批判するのはどうしてなのか。

禁止になっていて暗黙の了解としてOKであったものが議論され、淘汰されることは仕方がないと思う。
しかし、肯定的なマナーや文化に対して
ケチを付ける/批判するのは
以前から好きな人の立場に立てば、
どうして理解してくれないのか、これに参加してくれないのか?と疑問を持つばかりだ。

新たなものを好きになるということはそういう新しい文化に触れることでもあると思う。

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