何かを背負い、何かを手放した。【流浪の月】

「社会が二人を殺した」とか「愛の形は人それぞれ」とか「自分らしくいることが全て」とか「それでも悪いことは悪い」とか
【流浪の月】を読んで、何か結論づけようと思えば、できるのかもしれない。
でも、モヤモヤする。すごく。
結論づけられないという結論にたどり着く。この矛盾が、この作品には丁度いいのかもしれない。
 
正しいとは何だろう。
 
幼い更紗に手を出した孝弘は悪者だ。
では、明確な殺意を持って、攻撃した更紗は?
事実を知りながらなかったことにした伯母は?
 
教育に厳しい文の母と、我慢のできない更紗の母、
どちらが正しいか誰が決められるのか。
 
更紗が洗脳されたのではないというなら、
物心つく前から虐待を受けて、「自分が悪いから仕方ない」と思う人にも同じことを言えるのか。
 
物事には多面性がある。
一人ひとりに正しいと思う向きがあって、受け取るときは、その面しか見ようとしない。
価値観であり個性だ。
だが、その偏りが、時に毒になり、牙になり、人に襲いかかる。
自分の理想を正としたがために、外の世界を殺してしまうことがある。
 
では、ありのままを受け入れられればいいのか。
人を殺したいと思ったら殺す世の中が健全なのか。
違う。
私たちは、秩序と引き換えに、その毒を許容するしかないのだ。
毒と共存するしかないのだ。
 
更紗と文は、毒に殺されかけた。
互いの存在でどうにか耐え凌いでいる。ように見える。
でも、もしかしたら、お互いが、お互いの毒であることに気がついていないだけかもしれない。
 
私たちは、自分が、社会が、誰かにとって毒であることを、一生背負わなければならない。
それでも、重いと感じたら捨ててみるのも良いのかもしれない。更紗の母のように。

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