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(2/4) 独りで歩く、誰かと走る。

それから俺たちはほぼ毎日顔を合わせる間柄になる。可奈さんが「白将」に来てくれたり、コインランドリーに行く時間を合わせてそこでたわいもない話や互いの愚痴を披露し合ったりした。

十二月も中盤がすぎ今年も残すところ十日と僅かという休日、目を覚ますと可奈さんから一通の連絡が来ている。クリスマスの日に現在公演中の舞台の千秋楽がある。そのタイミングで渡すクリスマスプレゼントを一緒に選んで欲しいとのことだった。

正直自分にそんな役が務まるとは思っていないし、もっと適した人選を行うべきだ、そう返信すると可奈さんから、

『つべこべ言わず錦糸町駅集合』

彼女の頭の中がよくわからなかったが、寒い自室でガタガタと震えているよりも可奈さんに会う方が何倍もマシであるため、早急に出かける準備をする。

半蔵門線で四十分弱かけて渋谷の街に繰り出すが、なんという人の多さ。年の瀬だというのに足を出した十代半ばと思しき学生や、外国からの観光客たち、女性に手当たり次第声をかけている若い男、誰かを永遠と待っているハチ公前。大きなヴィジョンには芸能人やアスリート、ミュージシャン、新作映画のティザー映像などなど順番に流れていく。その下を小さな文字列が横切る。関西方面で大きめの事故があったらしい。遠い場所の情報。

俺は渋谷が好きだ。猥雑な雰囲気は一見さんには高い壁に感じるかもしれないが、よく観察してみるとこの街は全てを許容してくれているのだと思い知る。どんな人間やカルチャーもまずは受け入れてみて仲間にする。それをこの街、ひいては日本に適した状態に整形して発信する。それの『最初』に適した街。

でもちゃんと冷たい面も持ち合わせていて古くなった(”時代”に取り残された)ものはすぐに排除する。開いたところに新たなものを整形して組み込む。ロケット鉛筆のように早い回転、早い代謝。

それが日本で一番有名な街の所以なのかもしれない。

「一回暖まりましょう」

渋谷駅前交差点の信号待ちで、『なぜ、渋谷に惹かれるのか』を考えていた俺を可奈さんの一声が現実に引っ張り戻してくれる。大きなコートと首にはマフラー、両手を擦りそこに白い息を吹きかける可奈さん。

「そうだね。腹減ってる?」

「空かせてきました」

「がめついやつだな」

一切の空腹感を覚えない笑顔が咲いている。可奈さんはバッグを持たず財布をコートのポケットに、スマホは二度と忘れぬようにストラップをつけて肩にかけている。なんとも身軽な装い。クリスマスが近づき渋谷を行き交う人々は美しいイルミネーションに浮き足だって見える。

ごった返した喧騒の中を二人並んで歩く。手が触れるかどうかの距離感、否応なしに意識してしまう。久方ぶりの感情が胸の中に渦を巻く。これをなんと言おうか、浮かんでくるものを振り払う。そんなやわなものじゃないと言い聞かせる。

俺らは道玄坂のファミリーレストランに入り、安く腹を満たした。食後のコーヒーを飲みながらどこにいくか話し合う。向かいに座る可奈さんが、

「スクスク行きましょう」

なんと言ったのかさっぱりわからなかったが、渋谷スクランブルスクエアのことを指していることをその後の会話で知る。その建物のことは開業時に若い従業員から数回聞いた程度だったのでよく認知はしていなかったのだが、実際に行ってみると渋谷駅直結でこの規模の商業施設があるとは。なかなかに便利そうだなと感じた。国道にかかる陸橋から入るとそこは二階で、近くのフロアマップを見る。二人ともこの建物には明るくなく、とりあえず一周してみる。ハイブランドや服屋、雑貨屋、俺には何に使うのか全くわからないものが売っている店などをウィンドウショッピングして周った。そして相変わらず尋常じゃない人の数に押される。隣にいる彼女の存在をハッキリと突きつけられる。

結局一階のお菓子屋さんでバタークリームの焼き菓子が八個入りのものを可奈さんは四箱買った。

「世話になった人を太らせるつもりか」

小言を挟む。

「美味しくって太っちゃうなんて最高に幸せじゃないですか」

店名の入った紙袋を預かると感謝の言葉を屈託のない笑顔を添えて俺にくれる。

渋谷から乗った半蔵門線はかなりの乗車率で俺たちは互いを支え合うようにして立つ。可奈さんはロングシートの端の柱に両手を置いてグッと体を支えている。俺は右手で紙袋を持ち、左手は可奈さんの手の上部に置き並びで立つ。列車が加減速するたび、同乗者が乗降するたび肩が触れて、離す、触れて、離す、これを繰り返す。車内の雑音に集中する。早く目的地につかないかと考える。

減速し、停車。扉が開き俺らは冬の風にさらされる。足を踏み出し見知った駅に降り立つ。振り返ると可奈さんは紫色の列車から降りてきて早々に俺の手元から差し入れの入った紙袋を取り上げると、

「今日はありがとうございました」

目を合わさず抑揚のない声でそう言い切ると一目散に改札に向かってしまう。何がなんだかわからずしばらくそこから動けない。眠りに帰ってきた人たちが俺の前を通る、邪魔なオブジェを避けるように。

どっと疲れが背中に乗っかる。


可奈さんの手の内を全く勘繰れなかった。あの日の可奈さんに俺はなんと声をかければよかったのだろう。
きっと彼女に期待させてしまったのかもしれない。クリスマス直前の渋谷でお買い物、勇気を出して俺を誘ってくれただろう。互いの気持ちに相違はない、それは可奈さんも気づいていたと思う。じゃあなぜ可奈さんの欲しい言葉を渡せなかったのか。
弱い男を嫌になる。

あれから五日が経った。この期間可奈さんとは全く顔を合わせなかった。勤めている居酒屋にも、コインランドリーも、LINEでの連絡も全く動きがなかった。
閉店まで一時間を切ったとき、可奈さんが『白将』にきてキッチンがよく見える席に着く。茶髪のボブをおくれ毛ひとつなく後ろで括っている。その小さな輪郭と小さな耳を初めて見た。お冷を持ってきた店員にメニューを見ず注文する。キッチンプリンターが作動する。出てきた用紙を千切って読み上げる。
「”ハイボール”ワン ”七種”ワン 二十三番卓です」
「はいよ」
キッチンのメンバーが返事をする。キッチン下の冷蔵庫から串の刺さった鶏肉を取り出す。


「あの、お客様、閉店のお時間です」

「渡井くん、大丈夫だから」

可奈さんに声をかけるバイトを制して、閉店作業を続けるように指示する。

もうとっくに全ての客は退店した。可奈さんは一人で同じ席に座り続けている。テーブルの上も食べてそのまま。まだ今日は一回も目が合っていない。

レジのチェックと明日の仕込みを終えた午前二時前、閉店作業をしてくれた相田くんと渡井くんを見送る。店内には二人きり。二十三番卓に向かい、ジョッキと七本の串が乗った長方形の中皿を下げる。キッチンにへそをむけた時、

「このあと時間いいですか?」

「もちろん」

洗い物等の諸業務が全て終えたことを伝え可奈さんと俺は店を出た。新宿は花金の深い時間も眠る気配はなく、喧騒が濁った空気をかき乱している。いつものなんてことないこの街の有り様も彼女一人いるだけであっという間に居心地が悪く感じてしまう。

寒空の下、二人して黙り込み歩く。今日の可奈さんはスマホと小さな財布を左右の尻ポケットに入れているだけで手ぶらだ。

「近くの喫茶店に行きましょ」

まっすぐ前だけを見つめて可奈さんは言う。新宿駅をぐるっと回り東口方面に出てそこから御苑方向に歩く。大都市の影の部分を感じながら俺たちは三十分弱歩いた。今日の可奈さんからは提案の言葉しか聞いていないし、俺に至っては気の利いたことを言える余裕はまだなかった。

新宿通りを一本傍に入ったところに外階段があり、その奥には穏やかに光る蛍光灯の喫茶店が構えてあった。よくこんなところを知っているな。入店し席に着く。ウェイターがやってきて注文を取る。ブレンドコーヒー二つ。注文の品が来ても二人の間には変わらず沈黙が横たわる。熱々のコーヒーを啜りながら頭を回転させる。俺から喋り出さなきゃ。これまで何度と勇気を振り絞らせてきたんだ。

「急に来たから驚いたよ」

「嬉しかったですか」

正面に座る可奈さんから、言葉がぽとんと落ちる。

「まぁ、そうだね。久しぶりに顔見たし、元気そうで何よりだよ」

「なによそれ」

可奈さんはごくっと一口飲むと席を立つ。

「お手洗いに」

返事を待たずに店の奥に向かう。ひとり夜に取り残される。ソファに身を完全に預け目を閉じる。なにやってんだろう、俺。

可奈さんを俺の人生から切り離してはならないと思う。今はギクシャクしているがこんなに波長が合う女性と知り合ったのは何年ぶりだろうか。

俺は可奈さんに恋心を抱いているのか?そんな自分になんとなくブレーキをかけてしまう。俺たちは単なる知り合いだ。第一、彼女は夢追う若者であって俺は雇われ副店長だ。そんな二人を世間はどう見る?自分の不甲斐なさを何かに押し付けておかないと俺はすぐに転がり落ちてしまいそうだ。

足音が近づき止む。目を開けるとそこには可奈さんが立っている。表情筋に目一杯の力を込めていた。

「私はリョウちゃんが好きです。今確信しました」

空いた口が塞がらないとはこのこと。またしても言わせてしまった。

「いや、えぇっと、嬉しいなぁ、えぇっと、そうだなぁ、ま、まぁとりあえず座りなよ」

「うるさい!好き!あなたが好き!」

「ちょっと、声でけぇって」

立ち上がり可奈さんを座らせ、自席に戻る。可奈さんの紅潮した顔に呆気に取られる。可奈さんのカップにはもうなにも入っていなかった。


中央線のベンチシートに二人で並んで、まだまだ暗い東京の空を眺める。窓に反射した彼女は俯いている。頭頂部を眺めていると無性に抱きしめて撫でまわしたくなる。

瞼を閉じて落ち着かす。俺が言うぞ、俺から言うぞ。目的地についてからさっきの発言は言い表しようのないほどに嬉しかったと伝えよう。あと十分少々だ、準備しておけよ。ひとつ呼吸をして目を開けると今度は彼女が窓の反射越しにこちらを鋭い眼光で睨んでいた。驚いて少しのけぞった。

可奈さんが直接こちらを見る。右側に首を振り視線を受け取る。互いが互いをまっすぐ捉えて離さない。

「どう思いましたか?さっきの私の言葉、なにも言ってきませんが」

「嬉しかったよ」

「それは聞きました。以上ですか?」

ものすごい圧だ。俺は今猛獣に睨まれている。逃れられない、どうにでもなってしまえ。

「俺も好きだから、大好きだから、超嬉しかった」

澄んだ瞳に投げかける。可奈さんは肩と真一文字の口にさらに力を込めバッと再び俯いてしまう。混乱する。この反応を見る限り俺は彼女の求めていた答えを言えなかったのか?車輪が軋む音やすれ違う車輌の風切り音、車内に響くアナウンスも今の俺からはひどく距離のあるものに感じる。全てを無に帰す時間。

俺はひたすらに混乱した。正解が全くわからない。列車が減速し、錦糸町駅のホームに乗り入れてしまった。可奈さんに声をかける。どんよりとして見えるオーラを携えて立ち上がる。俺は彼女の先を歩いて降車しホームに降り立つ。見渡すとパラパラと人の影がある。今日の始まりを実感する。

車輌の方に振り返ると可奈さんが俺の胸に飛び込んできた。肩を振るわせ泣いている。頭と肩をさする。俺の胸で涙と洟水を拭う。柔らかい気持ちが立ち上ってくる。

顔を上げるとよく似合う笑顔を満開にしている。顔は赤らみ中心はビシャビシャだ。その圧倒的な明るさに思わずこちらも破顔してしまう。

「ごめん、あと、ありがとう」

可奈さんは頷いて、唇を重ねる。そうなるシナリオのように見事なまでな自然さだった。東京の明朝、二人以外の万物はお構いなしに忙しく動く。


しっかりと可奈さんの右手を握りしめ錦糸町駅の南口改札を出る。朝焼けに照らされこの街のジメジメとした成分が太陽光で浄化されていくように見える。

駅前交差点を渡り、都道四六五号線沿いを太陽を左手に軽い足取りで進む。近くにコンビニがないかスマホの地図アプリで確認する。次の信号を左に曲がったところにあるらしい。平日だがまだ朝が早すぎるため人通りはまばらだ。この世界は二人を中心に回っている、そう思ってしまう。

コンビニで酒、つまみ、タバコ、そして避妊具、保険として精力剤を調達する。最後のものは可奈さんにはバレたくなくて背負っているリュックに会計が済んだ瞬間放り込んだ。他のものはレジ袋を買ってそれに入れる。雑誌コーナーで会計を待つ可奈さんに声をかけて店を出る。

錦糸町の色街に入り、白と黒を基調とした小綺麗なラブホテルに入る。フロントで部屋を選び窓口で鍵を受け取る(可奈さんが主導して)。

「ありがとうございます」

控えめな、しかし気持ちの昂りが確かに窺える声色で可奈さんはそれを受け取った。

エレベーターで可奈さんは俺の腕を抱き上腕に頭を預けるが、俺は緊張のあまりなにもできずにいた。情けなさに震えそうになる。彼女の頭頂部を眺めていると、扉が開き三階についた。フロアの全体図を見て自分たちの部屋を確認した可奈さんは一目散に廊下を駆けて行く。その後ろ姿は職場の若いバイト達とはまた異なる、ある種の中毒性を孕んだ溌剌さだった。開錠し扉を開けてこちらを振り返る。ここでもやはり眩しい笑顔。吸い寄せられるように歩み寄り二人で入室。ラブホテルなんて何年ぶりに来ただろう。


先にシャワーを浴びバスローブ姿でベットに腰をかけ可奈さんを待つ。水の流れる音、若い鼻唄。

机にある優しい酒を一口呑む。缶を机に戻す。そこにはもう一缶酒がおいてある。彼女のはちょっとキツめのもの。同じ机上のコンビニ袋から避妊具を取り出す。フィルムを剥がしてベットサイドテーブルに設置する。リュックから精力剤を取り出し、飲むかどうかを散々悩んだ結果半分だけ飲んで蓋をし、箱に戻してリュックの底に入れる。

また喉が渇いた。しかしあまり酒を入れると勃たなくなる、と経験が教えてくれているので備え付けの冷蔵庫からペットボトルの水を二本取り出す。その内一本に口をつけそのボトルのラベルを剥いで、両方をサイドテーブルに置く。裸と着衣のボトル。

そうこうしているうちに可奈さんがバスローブ姿で戻ってくる。なんだか見てはいけないもののように感じて視線を逸らす。

「緊張してますか?」

「なめんじゃねぇ」

ふふッと彼女から声が漏れる。可奈さんは立ったままおもむろに自分の缶を右手に取り左手は腰に添えてグビっと一呑み。豪快に声と息を吐き出し幸せそうな顔をしている。あまりに快活なその姿に今度は思わず目が釘付けになってしまう。これは本当の風呂上がりだ。フッと息を吐いて缶を机に置き流れるように俺の腿の上に対面する形で座る。俺がリードしたかったのに。

久しぶりに甘い夢の中に沈んだ。


股間の膨らみに痛みを覚えて目を覚ます。意識が頭をもたげて最初に思ったことは、あんなもの俺には必要のない代物だったな、という肯定感だった。しかしながら、鈍痛と恥と後悔が渦巻いて声にならない呻き声を吐く。

重たい瞼を開く。大きなベッドに横たわり右側のテーブルやソファーの光を取り入れる。じわぁっとピントが合い出す。机の酒、俺のバッグ、力無く形を崩したコンビニ袋。サイドテーブルの避妊具、タバコ、灰皿、二本の水。現実を認識する。

顰めっ面で首だけを反対側に向けるとそこには眠っている可奈さんの後ろ姿。カーテンを閉め切っていても侵入してくる陽の光が少し色の入ったボブに反射して柔らかく輝いている。寝返りを打ち彼女に手を伸ばす。起こさない程度に優しく撫でてみる。手に残る柔らかい肌の感触とキューティクルが混ざり合い、愛おしさがこみ上げてくる。

この子はどんな人生を歩んできたのか、どんな人生を歩んでいくのか。それを目で見て耳で聞いて心で感じたい。

仰向けになり一呼吸おいて巨石のように重たい体を踏ん張って起こす。ベッドから抜け出し洗面所に向かい冷たい水で顔を濡らす。顔を上げると鏡に自分が映る。見慣れぬ背景に心地が悪い。アメニティの安い歯ブラシを開封し使う。部屋に戻りケトルに水道水を入れてスイッチを押して湯を沸かす。これは少々いいやつっぽい。沸くまでをソファーに腰掛け、机の上をなんとなく整理する時間に充てる。しばらくするとカチッと音がした。洗面所で口を濯ぎさっぱりしてキッチンに戻る。コップを二つとドリップコーヒーを二袋取り出し、ケトルでコーヒーを淹れる。

二杯目のコーヒーがはいった頃可奈さんが目を覚ます。

「おはよぉ」

「おはよう」

あくびで間延びした声を聞き終わってからこちらも言葉を返す正午過ぎ。

「コーヒー淹れたよ」

「いぇーい」

やはりノロい声が鼓膜を揺らす。パッと立ち上がりソファーに座る可奈さん。その隣に失礼して熱々のコーヒーを二人ですする。

「寒いね」

そういう可奈さんは暖房のスイッチを入れる。古めかしいエアコンが音を上げて動き出す。暖まるまで時間がかかりそうだ。コーヒーを並んで飲みながら二人してタバコに火をつけた。

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