(短編) 待ち遠しかった
会いに来てくれてうれしかったなぁ。たった五ヶ月であんなにもしっかりと言葉を操れるようになるんだな。
懐かしく思えてならないよ。ユウタロウも君ぐらいの時はおしゃべりが好きな子どもだった。婆さんもそう言っていたがな。
おっ、ウィンカーが出たということは、この先で休憩を挟むんだな。そりゃそうか。ユウタロウが朝っぱらから呑んだせいでコノカさんに運転を押し付けるようなことをしたもんだからな。
ごめんなコノカさん。わしからもガツンと言ってあげられらばいいんだが。長距離で溜まった疲れをぜひ発散してくれよ。
こんなに大きなサービスエリアのこの時期は人で溢れているんだな。車がゆうに百台は収まっているか。
嗚呼、いとしの我が初孫よ。まだ一人では車からも降りられないか弱き乙女よ。ユウタロウと繋いだその小さな手をわしも握ってみたいものだ。
「おうち、まだつかないのぉ」
長い時間を座ったまま過ごした君の駄々をこねるその声もわしには透き通った麗しき鈴の音のように聞こえる。
「もうちょっとかかるから休憩しよう。これでアイスでも食べておいで」
ユウタロウから受け取った二つお折の財布を両手いっぱいに抱える姿に胸が打たれるよ。
「パパはおトイレ行くからママと先に行っておいで」
君に生じる多くの事柄をコノカさんに押し付け続ける外道極まる愚息をこの手で張り倒してやりたい。
「ママー、パパがアイスかっていいって!」
しかし、子どもというのはなんと現金なものか。甘味にほだされてケロッとご機嫌が治ったようだな。まぁ幼児はすべからくそんなものか。
「よかったじゃん!じゃあ行こっか」
「うん!」
コノカさんと君の手が固く結ばれるその様をわしと夏の長い夕焼けも笑ってみているよ。
駆けていくユウタロウは、はて?その方向に便所はなさそうだが、その先にあるのは、
まさかあいつ!タバコを吸う気か?!
愛娘と最愛なる妻を置いて自分は一服するつもりか!なんと図太い野郎だ!今日はお前に失望しっぱなしだ!
あんな野蛮人は放っておいて孫の顔に目をやろう。
こんなに大きなサービスエリアはわしも行ったことがないなぁ。二人はどこにいるか。
いた!
仲良く手を繋いでソフトクリームの列に並んでおる。しかしこれまた長蛇なものだ。『あっという間に片手にアイス!』というわけにも行かなそうだぞ。果たして君はこの待ち時間に耐えられるのか。いささか心配だ。そんな考えが杞憂に終わることを願うことしかできないが。
「つぅかぁれぇたぁ」
「そんなこと言わないで。もう少しで帰り着くから」
やはり幼女には列に並ぶという行為は厳しかったか。
しかしコノカさんは笑顔を見せて君を励ましている。それはなんと美しい光景だろうか。親子はきっとどこまで行っても運命共同体であるということをまざまざと見せられている気がする。
そしてコノカさん、あなたはなんと強い人なんだ!
数年前にあなたが我が家に挨拶に来てくれた時のことを思い出す。その時も感じたことがまた頭をもたげた。
ユウタロウにコノカさんはもったいなさすぎる!あなたにはこんなトンジよりもっと相応しくて大切にしてくれる男がいるはずだ!
君たちの婚約をもっと本気で反対していればよかったか。今でもつい後悔してしまうよ。
しかし裏を返せばあなたがいてくれれば橋本家は安泰だろうとも思う。ユウタロウはコノカさんの尻に敷かれるのが似合っていると思えてならない。
ん?施設の出入り口からやってくるあの猫背でひょろっとしたタッパだけが取り柄で、ボサボサ頭を晒す男は我が一家の恥、ユウタロウ!
自分の欲求を満たしてのそのそと二人に向かって来ている。
「すごい列だな」
君はユウタロウの存在に気がついてパッと明るい笑顔を咲かせる。そして言う。
「パパおそいっ!」
そうだ、お前は叱られるのがよく似合う男だ。地元の大学を出て都心の優良企業に就職した時は、それはそれは涙が出そうなほどにうれしかったというのにどこで道を誤ったか。
「ごめんごめん」
笑うと見える八重歯が黄色くなってるぞ。家族のためにも禁煙の一つでもしたらどうだ。タバコの吸いすぎで肺疾患をわずらい死んでいったわしが言うのもなんだが。
「お次でお待ちの方どうぞ〜」
来た。ようやく呼ばれたようだ。
ユウタロウは君を抱えてカウンター上のメニュー表を見させている。
「これはなに?」だとか「こっちは?」などと、湧いてつきぬ好奇心でユウタロウと店員さんに尋ねている。
その姿はまさに上空より地に降り立ったばかりの天使そのもの!
「ミルクでいいんじゃない?」
「ん〜、そうする」
ユウタロウの提案を受けて味を決めかねていた君は英断を下した。
「じゃあミルクのミニソフトを一つと普通のものを二つください」
ユウタロウが君に持たせていた財布から支払いを済ませ商品を受け取りその一つを君に手渡す。大人はミニだというけれど君にとっては充分に大きくてワクワクが止まらない白い渦の柱なのだろう。
サービスエリアの施設から一歩外へ出るとすぐに灼熱でうなされる。早く食べてしまいなさいよと君の両親は言った。わしも同意だ。
「あぁ、たれてきた」
「言わんこっちゃない」
少し語気が強まったコノカさんにわしは無関係ながら心から謝りたい。あなたを困らせてばかりで使えない息子をどうか許してほしい。
「ほら、これ使って」
わしが一人でそんなことを思っているとユウタロウがスマートにポケットティッシュを取り出した。こいつにも見直すところがあったようだ。
それ用いて手の不快感を拭き取った君は信じられないようなスピードでソフトクリームのクリームの部分だけを平らげた。
「これいらない」
無邪気にも、すっかり寂しくなった茶色いコーンを両親になすりつける君。日本の貧しい時代を知るものとしては与えられた食事の隅々までをしゃぶり尽くして欲しいのだが、時代が大きく変わったということか。豊かになるということは喜ばしいことなのだろう。
「じゃあパパもらっちゃおう」
ユウタロウは自らの分のデザートもそこそこに小ぶりなソフトクリームのコーンを大きな一口で飲み込んだ。
「パパすご〜い」
歓声を上げる娘に頬が緩む父と、それを見守る母。なんだかんだお似合いな三人だと思う。
「よし!帰ろうか!」
三人ともが長旅で枯渇していた糖分を補ったところでコノカさんが勇んで言った。
「やったー!」
すっかりと元気を取り戻した君は直射日光を受けながら、小さな体を大きく跳ねさせる。
コノカさんがハンドルを握るシルバーのファミリーカーは高速道路の本線とスムーズに合流し真夏の積乱雲に向かって走り出した。
わしはわしでまた来年会いに来てくれることを楽しみにするとしよう。
必ず会いにくるからな。
[了]
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