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(1/6) 大難破船

第一幕


四年ぶりの帰省は肌感覚として知らない人が増えていた。兄貴の子供(いわゆる甥っ子)は言葉を巧みに操っていた。

「初めまして」

生まれた直後に一度だけあったがおそらく彼の中では初めましてだろうから俺はそのテンションで臨んだ。しかしその懸念とは裏腹に彼はグイグイ俺に迫ってくる。

「タツキくんのこと知ってんで」

「マジで?」

「芸人さんやろ。タツキくんがテレビに出てたらパパいっつも言うてんで。『祐希の叔父さんやで』って」

俺はその時思い出した、兄貴は元来からのミーハー野郎なのだと。

「ありがとな。でも一回会ってんねんで」

「いつやろ?」

「祐希くんが生まれた直後や」

「覚えてるわけないやん」

えらくテンションが高い子だなと思った。ミーハー魂を継いでいるのだろう。

「俺も芸人になりたい」

祐希くんの突拍子もない言葉に俺はうまく返せなかった。これは一介の芸人としてはかなり大きいミスだ。

「な、ええやろ」

明後日の方を見て沈黙のオーラを出す俺に大きく見開いた眼を向けて祐希くんは続けた。

「もちろんや。夢を持つことは素晴らしいで」

「せやろせやろ、俺絶対おもろい芸人になんねん」

祐希くんにとっての『おもろい芸人』に俺は入っているのだろうか。

生き様と技術を振りかざして笑いを生み続けていくゲーム、適宜求められるものをかぎ取ってそのオーダーに応え続けていく世界。そこに彼は夢を持っている。俺はそれを頭ごなしに否定はできなかった。

「どうやって芸人になったん?」

祐希くんの好奇心は止まらない。その場にいたすべての人間が俺の発言に傾聴していることが容易く感じ取れた。俺は茶を濁した。

「それは企業秘密やからそう簡単には教えられへんな。もっと大きくなってからな」

「キギョウヒミツ?」

「内緒ってことや」


わずか三十分の滞在だった。少しはゆっくりできるかなと言う淡すぎる期待は祐希怪獣の出現によって見事なまでに蹂躙されたが、彼の将来に想いを馳せることは有意義なものに感じた。そんなものはどこまで行っても俺のエゴにしか過ぎないのだが。

スマホでタクシーを配車しその到着を待つ間、玄関先でタバコをふかした。よく晴れた田舎の青空を見上げる。

ものすごいスピードで変わっていく取り巻く環境と俺の心境。目眩を起こしそうだ。今あるすべては俺が臨んだものだ。欲しくて欲しくてたまらなかったんだ。それらを手にすれば報われる気がしていた。

でもそんなことはなかった。

その時々で欲しいものは生まれ続けた。輪郭がはっきりしていない時の方が多い。沖に漂うそれらに向かって泳ぎをやめなかった奴が勝つ世界に俺は自らを置いた。荒波にのまれても強風に煽られても諦めなかった奴らがゴロゴロといる世界に挑んだ。その後に続こうとする若さを綺麗にシカトして。

俺にはこれしかないと思っていた。実際そんなこともなかった。こんな俺でさえ食いっぱぐれることのない道も、本気を出して探せばひとつくらいはあっただろう。そうやって未来を見れるほど過去の俺は器用じゃなかった。今じゃすっかりこの道の歩き方しか知らない。

この空はあの忌まわしき大海原にも繋がっているのだとなんとも自然に思えた。

俺には本当にもうこの道しか残っていない。

「あんたタバコ吸うんかい」

振り返ると母が玄関から出てきていた。

「これ吸うてたら渋滞が緩和されてタクシーが早よ着くねん」

「やかましいわ」

息子が文字通り煙たがられる喫煙者だと言うのに母は何故か嬉しそうだ。すでに孫がいることから来る高齢者の余裕だろうか。

俺の隣に来る母。風下に立つので煙が母の方に行ってしまう。それは忍びなく思い携帯灰皿に吸い殻を落とす。

「祐希くんでかなってたな」

携帯灰皿をケツポケットに収めながら会話のきっかけを放つ。

「たまには遊んだってよ」

「なかなか厳しいけどな」

「さすが売れっ子芸人さん」

親戚クオリティの野次は空に見送る。右から個人タクシーが来る。

「ほら早く来た。じゃあな」

そそくさと乗り込む。

「時間あったら帰っておいでよ。タクシーで二十分ぐらいやろ」

「四十分はかかるで」

「そないかかるか?」

「かかるって。難波花月までお願いします。」

運転手に行き先を告げると後部座席のドアが閉まる。窓を開けて別れの挨拶をする。

「ほんじゃ」

「とにかく健康に気ぃつけや。健康やったら何してもええからな」

「わかった」

「よろしいでしょうか」

「…ちょっと待ってください」

少し迷ってから運転手を制し母の目を見る。

「再来月単独あんねん。それみんなでおいで」

「何やの急に」

「俺の舞台見たことないやろ。特別に見せたんで。プレミアチケットやねんで」

「そうやな、お邪魔しよかな」

母は照れくさそうに言う。

「また連絡して。席抑えとくから」

「はいはい」

「運転手さん、お願いします」

過去を置き去りに今に向かってセダンタクシーは走り出す。



俺が外界と距離を取り始めたのは小学生の頃だった。

低学年時は滞りなく過ごしたが年齢を重ねていくと強烈な自我が芽生え出す。それを制御するにはいくばくかの時間が必要だった。

ここにいるすべての人間(同級生、上級生、下級生、そして大人たち)が同じ時間に同じ物事をこなし同じ時間に解散する。日が明けてもそれらが繰り返され続ける。この現象に強烈な違和感を抱いた。その一部になることが当然であると(今にして思えばあまりにも勝手に)信じて疑わなかった。

大きな鍋の中に溶かした大量のチョコレート、それを誰か(強いて言うなら何十と歳の離れた見ず知らずの大人)が掻き混ぜていて俺はそのチョコの一部でしかない。そこに圧倒的な虚脱感があった。

大人になって言語化してみると以上のとおりだ。要するに学校通いが嫌になった。

四年生に進級する頃には完全な不登校児となった。力のないただの小学四年生に学校以外の居場所などなく、それを自らの意思でとりさらうと家か図書館ぐらいしか生息地は限られた。

目を覚まし家族と朝食を共にして図書館の開館時間になるとそこへ赴き、三時間ほど読書をする。自分の好みもわからないので司書さんのおすすめ作品を片っ端から読んでいった。俺の心臓を突き刺すような出会いも何十冊に一度くらいはあった。

本を借りて昼前に帰宅し母が作ってくれている昼食を一人で摂り日が暮れるまで家で読書をした。夜は朝と同様に家族で夕食を摂り風呂掃除をして寝る。

本当にこの繰り返しだった。しかしこの生活には窮屈感は一切憶えなかった。

振り返ると自らが選択したかどうかが個人的満足感に大きく影響を及ぼしているように感じる。

何はともあれ俺は悠々自適な生活を送っていた。そんなある日の夕食時、両親に一日の内訳を尋ねられた。本を読むか暇を持て余すかしていると告げると父が言う。

「俺のとこに明日からバイト来い。小遣い弾むで」

特段お金は欲しくなかったがなんせ時間は腐るほど所持していたのでそれを潰せるならと父が経営する駅前の床屋へ”バイト”に通った。

朝食を摂ったら父と出勤し開店準備を行う。床にモップをかけ椅子を拭き店の前を箒で掃いた。鏡をよく水を切った雑巾で磨いたら開店準備完了。小遣いの五百円硬貨をもらって店を後にする。その時間になれば図書館も開いていて読書をし昼には帰宅し空いた腹を満たす。

十八時ごろにもう一度床屋へ赴き、今度は閉店作業。基本的には開店時のものと変わらない。モップをかけ椅子を拭き店前を掃く。十九時に父が店を施錠して一緒に帰ると言う日々を過ごした。



昼間俺のキッズ携帯がなった。画面を見るとそこには父の名前。

「洗濯物をコインランドリーにかけてきて」

昼食の皿を洗って読書の後、夕方に床屋に行った。大きなトートバッグいっぱいに入った洗濯物を肩に担いで徒歩二分のコインランドリーへ。洗濯物を業務用乾燥機に入れて二百円を投入。二十分間の乾燥開始。

一度ランドリーを後にして隣のコンビニに入る。夕方ということもあって客入りは多め。雑誌コーナーから週刊少年誌を手にしてレジへ。

「これで漫画でも買い」

と渡された百円玉でパンパンの小銭入れから料金分を出して精算する。ランドリーに戻り座面がカチカチのベンチに腰を落ち着かせ乾燥機の終了までの時間を漫画で潰した。それが終われば父から習った畳み方でタオルを成形しトートバッグに収め店に戻る。その頃には閉店作業がひと段落ついている。俺は店の前を掃いて父と帰宅する。

そんな生活を小学六年生の大晦日まで続けた。その日俺の人生が変わった。


年明けのテレビは『初笑い』と冠のつく番組がラテ欄を埋め尽くしていた。奈良の父の実家で何気なく目にしたその一つに心を打ち抜かれた。

なんだこの世界は。

大人二人が喋っただけで笑いが起きている。この異常性にみんなは気がついているのだろうか。

関西の人間はそこで生まれ育ったというだけでやたらと笑いを求められた。俺はそれが心底憎かった。学校でも家でも『オチのある話』しか話芸では評価されづらかった。これはみんな驚くぞと思って話しても『で、オチは』と足蹴にされる。それが悔しくて仕方なかった。

でもこの人たちは自ら矢面に立って『今から面白い話しますよ、どうぞご覧ください』と言っている。

こんな世界があったのか。ここ二年はテレビを全く見ない生活をしていたので痛く新鮮に受け取れた。

俺もそっち側に行きたい。初めて芸人を意識した日だった。


中学に上がるが相変わらず不登校だったが、生活は一変した。笑いに毒された。レンタルビデオ屋でお笑いのDVDを借りまくった。面白かったネタは全てノートに書き起こしていった。すると何種類かの法則を見つけた。演技力が必要かそうでないか、固有名詞が出るかでないか、などの前提。そこからそのネタが最大限有効になっていく時間設定、間の力、言葉選びや表情など。これが謎解きゲームのようで本当に楽しかった。半年かけてその作業をした。

それらを模倣してネタを自作してみたりした(誰に見せるわけでもないがそれは一人でできる漫談だった)。父の手伝いの時もいらないチラシの裏にネタを書き殴り帰宅してノートに書き写した。


同級生が三年に進級する四月。俺は初めて人前に出た。

大阪の繁華街にあるライブハウス「プロシーマカサ」スペイン語で”次の家”。そこで毎週日曜の夕方に行われている、参加費を払えば誰でも出られるネタライブに参加した。これまで作った漫談の数は八十ほど。その中の個人的珠玉のネタを持って行った。結果はややすべりだった。

ネタは面白いはずだ。面白いネタをパロディしたのだから。自信を持って放った言葉は誰にも受け取られず宙ぶらりんになった。何十と用意したボケのうち四つぐらいは感触があったが、客は俺の想像より厳しかった。

なぜこんな結果だったのか、自分ではさっぱりわからなかった。イメージの中ではライブハウスには割れんばかりの笑い声が飛び交っていたのに。

俺はこの経験を愉しいものだと感じられた。もっと笑いを操れるようになりたい、そのための努力なら惜しまないとすべり終わりの舞台袖で誓った。

ライブ終わりの帰りしな、その劇場の作家を名乗る人物に呼び止められた。

「ネタおもろいね」

「ありがとうございます」

「タツキって本名?」

「はい」

「張本みたいな顔してんな」

「ありがとうございます」

その人物を俺は知らなかったが感謝の言葉が口をついてでた。

「あとは発声やな」

発声?俺の混乱した脳みそが顔にも出たのか作家さんは続ける。

「発声がおもんないねん。声が小さい。声でお客を惹きつけんとあかん」

「はぁ」

「家近いんか」

「電車で一本です」

「ほな来週も来い」

そのライブハウスに通う生活が始まった。


そこから毎週その作家さん(堂田さんと言った)にネタを見てもらい助言をいただきながら舞台に立たせてもらった。あまりハマらないものとハマりすぎて客がおかしくなるものがあった。それらは全てメモして帰宅後分析した。同じぐらいのパンチ力はあるのになぜ差が生まれるのだろう。


初夏のとある日自分の姿を鏡で見た。顎に見慣れない髭が生えていた。久しぶりに自らの容姿をまじまじと確認したがしっかりと時間は進んでいるのだとわかった。そこで思い出す。『張本』さんを探そう。おそらく芸人さんだろう。インターネットに『張本 芸人』で検索をかける。数年前にコンビを解散し芸人活動も引退した『張本孝之』がヒットした。売れてはなかったらしいが生きていた形跡はしっかりと残っていた。

確かに俺と顔が似ている。というかそんなレベルの話じゃない。酷似している。俺は彼らのネタを観たくなった。

レンタルビデオ店のお笑いコーナーは制覇していたがこのコンビ(スリーポイントシューター)のDVDはなかった。すぐさま堂田さんに連絡する。

『スリーポイントシューターのネタが観たいんですが映像ありますか?』

返信はすぐに来た。

『ずいぶん古いのやったらあるで』

次のネタライブの日に受け取る約束をした。

堂田さんがVHSからDVDにダビングしてくれた「スリーポイントシューター」のライブ映像を家族が寝静まった夜中にリビングで鑑賞した。彼らは七年前のコント師だった。時代を感じさせない笑いがそこにはあった。

張本さんの顔は本当に俺によく似ていて、目許と鼻筋はまさに俺だった。そのせいで初めはなかなか集中して鑑賞できなかったが四周目から徐々に慣れて全てのセリフをメモを取りながら観た。すっかり朝日が街を照らしていた。

しかし俺の今日はまだ終わらない。ネタを全て解体し方程式化した。張本さんのボケの多くは「王道プラス軽い毒」で構成されていた。どこかの誰かはズキっと痛むボケだった。彼にはそれがよく似合っていた。切れ長の目がその武器を最大限活かしていた。

彼らを倣ってひとつネタを書いた。テーマは汎用性の高い「転校生」。毒を意識しすぎて猛毒になりすぎることもあったがメリハリをつけるためにそれらを二つほど忍ばせた五分の漫談。

気がつけば俺はそのまま勉強机の上で寝落ちした。


次のネタライブでそれをかけた。人生でいちばんのウケだった。笑い声を聞くたびに俺の頭から経験したことのない量の興奮物質が放出された感覚があった。大量の笑いは俺が世界の中心だと本気で錯覚してしまう中毒性を帯びていた。

舞台からはけた俺に堂田さんは言う。

「ええやん」

「ありがとうございます」

その日から俺の進む道が見えた気がした。張本さんとよく似た切れ長の目のくせに丸顔である俺に毒は似合うのかもしれない。可愛らしいのかそうじゃないのかよくわからない奴が放つ毒は効果が三割り増しに効くのだろう。

それからはテーマを変えて毒を吐き続けた。まずは軽いものでジャブを打ち客に慣れてもらう。そのあと猛毒でヤリに行く。それを笑いに昇華させるのはなかなか骨が折れた。数ヶ月もすればコツを掴み出す。毎週人前に立つとその状態にも慣れて自然と力が抜け、日増しに笑いが風船のように膨れ上がった。パンパンになったそれに俺の犬歯を突き立てる快感は日常に色をつけた。

その光景を見ていた同じライブに出る先輩芸人さんに舞台裏で声をかけられた。

「お前おもろいな。今度俺ら若手主催でインディーズライブやんねんけど出てくれへんか?」

「もちろんです!ありがとうございます!」

そのライブでは八分もの時間をいただいた。合計四組の芸人さんが出たが俺がいちばん笑いをとった自負がある。客席に笑いのうねりができていて我ながら誇らしく思う。

そのライブで初めてお笑い芸人としてギャラをもらった。四枚の小銭、八百円。


ライブの後は決まって直帰だ。まだ未成年だし酒もタバコもギャンブルもダメ。何より今日のネタの改善点を全て叩き直したかった。そのまま漂わせてしまうのはなんとなくよくない気がしていたし、それをしていない先輩たちは前に進んでいないように見えて仕方がなかった。そうはなりたくなかった。


朝起きて顔を洗ったら散歩に出る。目に入ってくる光、耳を通過する音、鼻にこびりつく匂い。全てにネタの種になるポテンシャルがあり、それを引き出せるかどうかは俺の能力次第。この世の森羅万象を笑いにしてやる、心からそう思っている。

散歩中少しでも引っかかったものは全てメモして(この頃にはメモ帳を買ってアイディアをそれに書き留めていた)帰宅後にそれらを方程式に当てはめていく。一つひとつゆっくり慎重に合わせる。

一日に複数個、漫談の案を考える。朝から晩まで、食事の時間すら惜しんで頭を捻った。その中から磨けば光そうな原案をとことん磨く。一日にひとつの時もあれば四つ五つの時もある。

それを「○」「△」「×」で評価する。「○」は即採用、「△」は保留、「×」は処分。最初と最後のものが出ることは稀だが真ん中は出まくる。それらはその翌週に再評価する。今度は「○」と「×」だけ。そこでの打率は四割行けばいい方。

だいたい一ヶ月で人様に見せて恥ずかしくないネタが十個はできた。不登校中学三年生はこんなに時間とエネルギーがあるのだ。

しかし多くて五回しか一月に出番がない。半分しか新ネタを披露できない。それにモヤモヤしていた。人知れず努力し続けることはなんとも過酷だ。もっと評価してほしい、もっとダメ出ししてほしい、そうすれば少なくとも行動した実績を知ってもらえる。もっと大きな舞台に行きたい。ここを早く抜け出したい。おこがましくもそんな思いが芽吹き始めた。


大阪が秋から冬に変わる頃(十一月三回目の日曜日)俺は”次の家”にいた。近頃ウケの量が大きくなってきたので堂田さんのご厚意で初めてトリ前の出順にしていただいた。何年も活動されている先輩方を差し置いて申し訳ないと言うと堂田さんは、

「そんなこと思ったらあかん。アングラは喰うか喰われるかや。お前はあいつらを喰った、ただそれだけや」

と一蹴された。

今日の客は少し重めだった。つかみからなかなか引き寄せるのに苦労したが徐々に笑いが大きくなる。最後には感じ慣れた笑いが生まれたがその振り幅が、焦らすなよと気に障った。

ライブが終わり帰宅しようとしたその時堂田さんに呼ばれる。

「こちら高砂さん、芸能事務所の方」

舞台袖に立つフレームレスのメガネにネイビーのスーツを着込んだ男性が俺に軽く頭を下げる。

「こんばんは」

「こんばんは。吉田タツキさんですよね?高砂淳吾と申します」

名刺というものを初めて受け取った。重厚でシンプルなその紙にはよく見知った芸能プロダクションの名前があった。

「これは」

言葉が出ない。なぜこの人と俺を堂田さんは会わせたのだろう。堂田さんは言う。

「高砂さんはその事務所のスカウトマンやねんて。いつも地下の劇場に足を運んで新人発掘に勤しんではんねん、ね」

「おっしゃる通りです」

高砂さんは優しく微笑む。

「なぜ僕なんでしょうか」

「まだ分からんか」

心底呆れた声の堂田さん。

「お前をスカウトしたいねんて」

未来への扉に手がかかった気がした。

「いきなり所属というわけにはいかないのですが、弊社芸人養成プログラムを学費免除でお誘いに参りました。まずは面接からですが何卒よろしくお願い致します」

その扉の、押せば開くというところまできたのだ。

「どうや、興味あるか?」

憧れていた向こう側に踏み出すチャンスを頂いた。それを叶えられずに散っていった人のバトンが今、手の中にある。

「受けさせてください、面接」

これは大事になりそうだ。

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