美術作品が”ゴミ”となり得るわけ(後編)(#39)
韓国ソウル市内に展示された巨大な現代アート作品に落書きされたというニュースが上がっていました。
どうも作品の一部として筆とペンキが置かれてあり、徐にそれを手にしたカップルが落書きをしたようです。
それ以上に「5千万円」相当の現代アート作品に落書きされたという部分が強調された印象があります。
ニュースにある「5千万円」相当の価値を有するこの現代アート作品がカップルの落書きによって本当に価値を棄損したのかどうかが気になります。
むしろこの「5千万円」相当の価値を要する作品に物語性が加わることで価格が上昇するのではとも予想できるからです。
カップルの証言にもあるように「参加型」といった古典美術にはない発想が現代アートにはあります。
それは何でしょうか?
「台無しにする」行為です。
そんな行為もまた芸術性を孕み、内包させたもの=アートという感じでしょうか。
美術作品は基本一点ものの前提で価値が上下します。
だから見方によっては上がるとも大いに考えられるのです。
このニュースを知ったとき、すぐにバンクシーのシュレッダー事件を思い浮かべました。
1億5000万円で落札された作品『風船と少女』は落札後、予め額縁に忍ばせられたシュレッダーによって裁断されます。
しかし、裁断し終わることなくシュレッダーは止まります。
このシュレッダーが途中で止まったことが恣意的か、偶発的かも議論を呼びましたが、裁断されることで、作品名を『愛はごみ箱の中に』と変えます。
この「半分千切れた」、まさに”ゴミ”のような作品は落札者にそのまま落札され、所有されたのです。
さて今回は#37の続きです。
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