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記事を購入し、RIZIN.28で何が「剥がれた」のか、深堀って追い掛けてみた(#44)

6月13日、RIZIN.28が東京ドームで開催されました。
東京ドームでの格闘技イベント開催は実に18年ぶりとなります。
気にはしているものの、生中継やPPVでリアルタイムではなく、あくまで結果を字面で追って、後にRIZIN公式より無料公開される試合を観るという方式を取っています。
格闘技関係者の勝敗予想などを確認しながら、後で答え合わせをする感じに近いかもしれません。
メインイベントのクレベル・コイケvs朝倉未来のカードでは朝倉未来選手がクレベル選手の三角締めによりキャリア初の一本負けとなったことが話題になっています。
殊、そのニュースを知ったとき「朝倉、一本取られたんだ」と思ったのですが、そこには彼の失神した姿もあります。
私は何か残虐なものを見た後のように畏怖感を焼き付けられたのでした。

字面で追い掛けていた私はいったい何が起きたのか、さらに字面で追い掛けたくなります。
青木真也選手は仕事が早く、すぐさまNOTEにて販売しているではありませんか。
また彼の「剥がれる」という表現が気になり、その記事を購入するのでした。

全試合の論評や与太話に質を落とさない持続力に驚かされますが、14日の段階では、一度読んでもまだ「剥がれる」について自分の中での結びつきは弱いものでした。
しかしその読後、YouTubeにUPされた2つの動画をみつけ、それらを観ると合点が行きます。

ひとつが朝倉選手本人がコメントしている動画。

「試合を終えて」と題したこの動画。
一晩で負けを受け入れる姿はなかなか出来るものでもない、と感心しながらも、ある言葉が気になりました。

「挑戦することは大事」

この動画の11分30秒ごろに出てきた発言で、彼より若い年齢の視聴者へ向けて言っているものです。
この発言自体に異論を挟む余地はありません。
しかし、朝倉選手は世間が思う以上に「挑戦」という自覚があるのだなと気づかされました。
実際13日の試合後インタビューで「トップを狙えないで格闘技をやる意味があるのか?」といった発言をしています。
朝倉選手自身の発言と実績によって出来上がった「朝倉未来」像と朝倉選手本人の現状認識の間には大きな開きがあるのだな、と感じました。
個人的には「挑戦」という言葉はRIZINで屈辱的敗北を喫して、「それでも尚…」という場面で当て嵌まりそうな表現でしたので少し驚きもあります。
もしかしたら「自分に落胆した」と言っていましたが、朝倉選手本人の自己評価も必ずしも世間ほど高くなかったかもしれません。

そしてもう一方が同じフェザー級に転向表明したばかりの佐々木憂流迦選手の動画です。

朝倉選手本人の試合後コメントにもありましたが、技が掛かったときの「油断」についてです。
実はこの点は先の朝倉選手本人の動画でも触れられています。
この点を“ケージとリングサイドの「際」”という視点から説明する憂流迦選手の動画は非常に分かりやすいです。

実は青木選手の記事でもそのことについて触れられています。
記事内では細かくは触れていませんが、憂流迦選手の動画を観た後、再度読み直してみると、おそらくこの「際」の部分の推測・経験値が弱かったことが敗因となったのではないかと感じました。

そしてその「剥がれた」もののひとつの対象が世間の「朝倉未来像」です。
RIZINの協賛企業でもある鬼丸ホームや喧嘩道といったスポンサーは同時に朝倉選手のスポンサーでもあります。
つまり、RIZINにとって朝倉選手は名実ともに看板選手なのです。
ですから、勝敗にかかわらず、「あの“強い”朝倉選手がどう決するか?」を軸に組み立てられた大会といっても過言ではありません。
しかし「負けに不思議の負けがない」ように、玄人目線では負けるべくして負けたのでしょう。
あくまで朝倉選手が競技者として誇大化しすぎた名前の許、「勝つ」という大前提の物語展開があってこそ、敗北が余計に衝撃を与えたのです。

表現は悪いですが「化けの皮が剥がれた」とも言えるのかもしれません。

しかし剥がれたとしても選手当人はギャップがなくなっただけで元に戻ったに過ぎません。

それが引退を検討した後に発せられた朝倉選手自身の「朝倉未来は最強でなければいけない」という言葉に繋がったのだと思います。

破壊と創造――。

個人的には「朝倉未来像」が多方面に巨大化しすぎたため、当人へ助言や厳しい指摘がしにくくなった部分があるのでは、とも感じます。

でも、まだ30歳手前ですよ? 

見ている方からしても、競技者として孤立させるには何か勿体なさを感じつつ、今後を期待したいです。

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