見出し画像

30年を経て『河殤』を振り返る(2)

前回

「五四運動」の精神、即ち「徹底的非妥協の精神をもって“科学”と“民主”とを追求する」とは何を意味するのか、そしてなぜその精神は中国史上「初めて」なのか。

これを理解する為には、この対極にある“黄”、即ち「黄河の河道に溜まる泥砂のような旧文明の残滓」を理解する必要がある。

「五四運動」の直接的背景として説明されるのは以下である。
●辛亥革命後に皇帝となった袁世凱に代表される軍閥政治
● 袁世凱ら軍閥を支援し対華21か条要求や西原借款により帝国主義的進出を図る日本

これを契機として、辛亥革命で目指した体制から大きく外れて、再び“黄”に逆戻りしようとしていることへの反発が、「五四運動」であると考える。

その“黄”とは、以下体制であろう。
● 皇帝一族が行政・経済など社会全体の上に超然と立ち支配する構造
● 軍隊は皇帝一族に忠誠を誓う
● 政治指導者を民主的に選べない
● 科挙に代表される、儒教経典を価値判断基準にする科学軽視

『河殤』が1988年の時点で、改めて「五四運動」の精神に立ち返るべきであると主張することが如何に衝撃的であるのか。

それは、辻康吾が①のあとがきで述べている通り、中華人民共和国の成立をもって“黄”から完全に訣別したとするのが、中国共産党の公式解釈であるからだ。

ところが『河殤』は第4回で、以下の通り中華人民共和国の体制において再び“黄”に戻っている、「黄河の河道に溜まる泥砂のような旧文明の残滓」を洗い流すことができていない、と指摘するのである。

官営企業の独占権と特権階層の商品に対する支配権は気ままに社会主義所有制を破壊し、かつ執政党と社会の風紀を毒し、わずかな権力であれ権力を握るものは使用権、管理権を簡単に占有権に変質させ、国家所有をそれぞれの部門の所有、あるいは個人の所有へと変質させることができるのである。

さらには、「海の呼び掛け」に応えるとは、資本主義を導入し、近代工業を成長させ、市場を開いて貿易と競争とを行うことだ、としている点は、極めて興味深い。

また、最終回の終盤での以下言及に注目したい。

知識人と較べより大きな現実的な力を持っているのは平凡な、口を開いても人を驚かせる訳でもない新しいタイプの企業家達ではないだろうか。さらには小さな商店主達の間で、忙しげに道を急ぐ商売人の中で、土地を離れ各地で仕事を請け負っている農民達の中でまさに蓄積されつつある新しい社会的能力と衝動とを軽視してはならない。


当時は、郷鎮企業、生産請負制、万元戸などという言葉がようやく目につき始めた時期。この言及を見ると、馬雲や任正非あるいは李書福のことを思わずにはいられない。

1988年の馬雲は、杭州師範学院を卒業した年。杭州電子工業学院の英語・国際貿易講師として就職し、西湖の欧米人観光客に対して“勝手通訳”して英語力を磨き、小遣い稼ぎしていた時期だ。

任正非は、苦労してかき集めた2万元をもとに外資電話交換機の代理店を設立したばかり、李書福は浙江省台州市の冷蔵庫工場長の時期である。

彼らはみな、文革で迫害された教師などの知識人家庭であったり、祖先が地方役人である“黒五類”であったり、貧農であったりする。3人とも都会から遠く離れた地域の出身だ。

1988年の時点では、『河殤』の表現が精いっぱいだったのだろう。彼ら3人のような人物が無数にいたであろうが、“身分差別”については深く言及できなかったものと推測される。

さて、④の2本の北京週報記事のうち
「テレビドキュメンタリー『河殤』をめぐる反響と論争」 1989.1.24.
を見てみよう。

A4縦書き4段組み6ページのうち4ページ半が放映内容の要約である。

最後の1ページ半が反応の紹介であるが、賛同と批判とを交互に挙げているが、最後に台湾に移った中華民国からアメリカに帰化した李政道および楊振寧という2人のノーベル物理学賞受賞者の意見を挙げていることは実に興味深い。

2人とも、まず、過去にすがるのではなく反省して成長しなければならない、と賛同を示したうえで、伝統や祖先を否定する意見には賛同できない、と批判している。

特に楊振寧は、「龍の伝統、万里の長城そして黄河を全て否定することは耐え難い。伝統を捨てなければ希望がないなどという意見には賛同できない」と手厳しい。

ちなみに、楊振寧は2015年に中華人民共和国に(台湾の中華民国ではなく)帰化している。

両名とも台湾ではなく本土の生まれで、70年代から既に中華人民共和国に友好的な行動をとっており、海外の有名華人として採り上げやすかったのであろう。

いずれにしても、1989年1月の時点では、放映内容をあるがままに紹介し、賛否両論の併記が可能であったという事実が重要である。

引き続き、他の資料も含めて内容を確認していきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?