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デザインはアートじゃないよ!ましてや人を殺さない!

TL;DR(要約)デザインとアートを混同すると人を殺し得るということが今回の東京デザインウィークで起きた悲しい事件(事故じゃない)の教訓の一つだと思います。

 デザインというのは問題解決をする手段の一つです。アートは問題を起こすことを厭いません。むしろ問題提起をするのがアートの一つの役割と言えます。見た目も使いやすいデザインに含まれるのでアートの実用的な応用と言えなくもないですが、それでもアートとデザインは違います。

 もちろんデザインがアートとして評価されることもあります。例えばブラウン製品を数多くデザインしたディーター・ラムスの作品は代表的な例ですよね。しかし、(これは個人的な考えではありますが)アートとして評価されることを第一義としたデザインはあり得ないと思います。それはアートです。

僕も東京デザインウィークには以前顔を出したこともあるし、その度に杜撰さや消防法から見て危険な展示(たとえばコンテナの中だけの展示など)があることを出展者になったときも観客として訪れたときも再三指摘していたが、「アートなので」と全く聞き入れられなかった。

shi3zの長文日記『おがくずと電球で5歳児を焼死させた東京デザインウィークの何が問題なのか?』からの引用

 アートが人を殺すことはあると思います。あまりにも強烈なために拒否反応を示す人もいるでしょう。映画を見てショックを受けて死んでしまう人がいる。いい悪いは別として、それがアートってもんです。

 しかし、デザインは違います。デザインは人を助けます。建物に入ったら瞬間にどこへ行けばいいのかがすぐわかる。それがデザインです。デザインの世界に「ノーマンドア」というのがあります。"Design for Everyday Things"(邦題『誰のためのデザイン?』)というデザインを語るならなからず読まなければいけない名著を書いたドン・ノーマンからとった言葉です。「ノーマンドア」を簡単に解説したビデオがありますのでご覧ください。

 ノーマンドアを作らないのがデザイナー。ノーマンドアをあえて作るのがアーティストです。

 東京デザインウィークで起きた痛ましい事件はデザインとアートをごっちゃにした人たちによって起こされたと言えます。子供の遊戯施設としてデザインしたのであれば子供が楽しく、安全に遊べるデザインであるべきです。それがまず第一義としてあるわけです。デザインを冠するイベントに出展するのであれば、そしてそれを受け入れるのであれば、そういう視点での審査があるべきでした。それがアートとしてのインスタレーションだったのであれば子供を遊ばせるべきではありません。

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