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他人のキラキラ発言が自己否定に見えるとき

「勉強が大好きです」
「創作が大好きで、頑張ってる感覚があまりないんです」
「仕事が楽しい」
「頑張るって最高ですよ!」

と言われて、その時自分にも自己肯定感があれば流せたり、応援できたりするのだが、そうでないとき聞くと辛くなってしまうのはあるあるだろう。

自己肯定感がある人(アッパー)のキラキラ発言は、弱っている人(ダウナー)に対してかなりの攻撃力を持っている。弱っている状態では、なんでも自己否定に意訳できる能力を備えているので、全部が自己否定に見えてしまう。

「勉強が大好きです」→「あなたは勉強嫌いなの?負け組だね」
「頑張ってる感覚がない」→「一生懸命頑張ってそれなの?かわいそう」
「仕事が楽しい」→「苦痛に思っているあなたが信じられない」
「頑張るって最高!」→「頑張った方がいいのは分かり切っているのにやらないあなたは屑だ」

この問題の質の悪い点は、言う側も言われる側も自己肯定感が不安定な場合がある、ということだ

キラキラ発言には2種類ある。「自分の良い状態を純粋に発言している場合(悪意ゼロ)」と、「他人に無言の説教をしようとしている(他人を多少傷付けて落としてでも自己肯定感を上げたい)場合」だ。後者寄りの場合、アッパーにも多少なりとも自己肯定感に不安がある、と言うことになる。

つまり、後者の意味で、ダウナーの自己否定的解釈は合っているというのが私の意見だ。自分も過去に勉強が大好きだと自分に言い聞かせている人は大勢見たし、そういう発言によって他人より勝ることで自己肯定感を高めようとする行動が何となく見えるケースもあった。その後の会話で説教調に会話してみたり。流石にこれくらいはやらなきゃと言ってみたり。自分だけを純粋に見ている人に、このような行為をやる意味はない。

結論

アッパーにもダウナーにも共通して言えることは、他人と比較して自己肯定感を得ようとしすぎない方がいい、ということになる。他人より勝っている部分を探して不安定な自己肯定感を獲得したり、他人より劣っている部分を探して精神の自傷行為に陥ってしまうケースが非常に多い。

両者は真逆のように見えて、実は紙一重の関係だ。アッパー側はちょっとでもキラキラな作業をサボると少しずつ自己否定の渦に飲み込まれてしまう。また、基本的にこの考えだけで突き進むとどんどん理想のキラキラ状態が高くなってしまうので、やはりどこかでマインドを変える必要がある。

人間は、常に他人と比べるようにできている。それは、生物の生存の観点からも当たり前なので、完全に他人との比較を無くすことはできない。

↓参考動画

だからと言って、他人との比較に精神状態をゆだねる、というのもなかなか危険だ。先述のように、比較に頼ると簡単に弱ってしまう可能性も高い。

生死を分けるほどの経験をした人がよく言う「生きてればそれでいい」というのは、そういう意味だと思っている。自己肯定感の究極の姿だ。生きているから偉い。生きているから私は凄い。

「生きていればそれでいい」というマインドを持った人間になりたいものだ、と締めくくりたくなるから、比較というものは怖い。


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