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『A Space for the Unbound』ネタバレ感想

※ネタバレガンありです。

『A Space for the Unbound』。PVの綺麗なドット絵と「圧倒的好評」に目を引かれ、セール時に購入。少しプレイした後数カ月ほど放置して2日でグワーッとクリアしました。

以下ネタバレを記入するので未プレイでストーリーを楽しみたい人は注意してください。

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一言で言うなら、狂気の人生賛歌でした。

現実に戻る狂気

本作で最も感動したのはラヤが現実の世界に帰ろうとするシーン。

壮絶な家庭環境に苦しめられ、学校にもまるで居場所がない。そんな、社会の理不尽さを徹底的に詰め込んだようなバックボーンや、唯一の理解者である創作仲間のアトマを川で溺死させてしまったショックから、ラヤはニルマラから物理的に分離した人格として登場する。元々彼女らは同一人物だったのだ。

ラヤは現実世界から逃避し、自分に都合のいい世界で限られた時間を生きようとしていたが、結果的には、アトマの意思がラヤに現実世界に戻る勇気を与えた。

どれだけ唯一の理解者に説得されたとしても、そばにいてくれたとしても、再び狂気と絶望の現実世界に戻るだなんて、考えたくもないのが普通なはず。それを分かっていながら、何度も否定し続けながらも少しずつ心を開き、前に進もうと決意するシーンにラヤに宿る狂気的な活力・勇気を垣間見た。

そしてこのシーンである。

ニルマラ、どんだけ真っすぐなんだよ….

ニルマラは本当に凄すぎた。あんなに家では袋叩きにされ、金食い虫だと言われ、どこに行っても趣味の創作をバカにされて生きているのに、それでも創作は楽しいものだと胸を張って言い切るニルマラ…。見習え自分。

ここまで物凄いので、ラヤは引け目を感じていた。ラヤは自身をいわばニルマラの「負の感情部分」であると信じ切っていた。彼女はとにかく何かと他者と比べては自己否定の渦に陥ってしまっていたのだ。

ただ、この時はもう違った。彼女はもう克服の段階にあった。自分を許し、他人を認めることのできる状態になった。自分が持つ勇気に気づき始めていた。そこに前向きなメッセージを強く受け取った。

ラヤの人称変化

さて、本作において、主人公のアトマはいわばラヤの引き立て役のような立ち回りだった。プレイヤーは彼と同じ視点でラヤやニルマラ、この世界の謎に迫ろうと探索やおつかいを続けていく。

この物語において、最後に主人公の人称を変えるという表現は、凄く良かったと思う。最初の2人称ラヤのミステリアスさのおかげで、彼女のことをもっと知ろうという視点に立ちやすくなり、その蓄積が終盤の人称変化によって解放される。どうしても最初は悪役説を疑ったり黒幕説を考えてみたりしながら疑心暗鬼に進めたが、それ故に、その理由が紐解かれていくうちに、「彼女を助けたい」側(アトマ)の心持にみるみる反転していく。

最後はプレイヤーがラヤを操作し、このゲームは終了する。物語の最後を決めるのはアトマだったが、新しい物語を始めるのはラヤであるというメッセージかもしれない(ラヤとアトマが一心同体になったと考えることもできる)。

既プレイ後にもう一度最初をプレイしてみる

冒頭だけでも色々あった。

ニルマラパートで魔法の杖を取ってきてあげるシーン。ラヤが隠れて監視しているのが分かる。時空を割って現れたのだろうか…

当然伏線も多い。ラヤの発言(どうでもいいが、このゲーム、ログが無いのでスクショを逃すとまたやり直さないといけないのがちょっと辛い)。

まさしく。
本の表紙。"ATMA -&- RFIA"(ミドルネーム)
図書館のこれすら伏線に見えるが、どうなんだろう

しかし、こうしてみると、最初からラヤはずっとアトマと「やりたいことリスト」をひたすらにやりたかっただけなんだなと。この世界が崩壊するまでひとしきりの人生を謳歌する。

けれども、それをも凌駕するアトマはいったい何者なんだ…。正直、アトマについてはよくわからないことが多すぎる。

最後に

とってもいいゲームだった。


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