【日記】目と耳と頭

 人間、目と耳と頭に尽きるのかもしれない。
 前に触れたかわからないが、去年の九月、そこそこ良いスピーカーを買った。それまでは、パソコンで音楽を聞くのにも、Bluetoothスピーカーを使っており、携帯には便利だけれども、家でわざわざそれを使っている理由はない。その前は、どんな風にして音楽を聞いていたか、思い出せない。ともかく、だんだん聞いていると、それを参照点として音楽を聞くというのには限界を感じたので、いわゆるモニタリングスピーカーというものを買った。ただ、どこのものがいいとか、ほとんどこだわりはなかったので、ネットでランキングを検索して、一番上位に来ているものを買った。
 かくして、聞く環境は整った。
 それから、ここにしつこく書いたけれども、4K解像度を持つモニターというのを買った。これも、前にはノートパソコンを使用していたが、今使っているものの半分以下のサイズである。モニターサイズのややこしいところは、面積と、対角線の何インチとか呼ぶ長さとは二乗の関係になっているところだ。しかも、実際の画面のサイズと解像度もまた別なのがややこしい。それでいうと、今は解像度のことしか言っていない。解像度の、一辺の長さが半分か半分に足りないくらいなので、面積というか、総ピクセル数は、多くとも四分の一以下ということになる。慣れというのは恐ろしいもので、今もうこの画面が当たり前になってしまって、前の画面を見ていた時のことを思い出せない。たぶん見返したら、その狭さと画質の粗さに耐えられないくらいだろう。
 また、見たものを記録するものとして、ミラーレス一眼のカメラを買った。これは記憶に新しい。画質は、4kに移すと、ややノイズがはっきりしてしまうが、今までのスマホなんかで撮った写真に比べれば、格段に良くなっている。
 かくして、見る環境は整った。
 最後に頭だが、パソコン自体の性能も、少なくとも二年前以上の中古だったため、今のブラウザとかアプリを動かすにはやや足りなかった。これも買い替え、今はCPUによる遅延など感じずに、色々な操作が出来るようになった。

 以上、昨年九月から、怒涛のようにパソコン周辺機器を買い替えていったのだが、そのほとんどが、人間の五感のうち大部分を占めている、視覚と聴覚にかかわっており、さらに脳の部分も買い替えたということになって、無意識のうちの選択なのに面白いと思った。
 しかし、カメラを買った時に見ていた、カメラマンのユーチューバーは言っていた。ケイゴという名前だった。「皆さん、カメラにこだわっていますか? カメラのことをたくさん調べていませんか?
 カメラの話をするのを今すぐやめましょう。
 私はこれまでいろんなカメラを買ってきましたが、カメラばかり良くしてもいい写真は撮れません。
 なまじ良いカメラを持ってしまうと、自分が良い写真を撮っていると勘違いしてしまいますが、それは錯覚でしかありません。
 カメラの話ではなく、写真の話をしましょう。
 トイカメラでものすごくいい写真が撮れることもあります。
 また、もし最新のものすごく高いカメラを買った場合、その解像度で表示できるものを持っていない場合が多いので、オーバースペックであることがほとんどです」云々。
 同じことが、スピーカーでも、モニターでも言えるかもしれない。結局のところ、外延的な機器を充実させてきたが、それで自分の中身が変わっただろうか? おそらくは変わっていない。
 自分という道具を変えなければいけないのだ。

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