【日記】古い新しいもの

 佐々木敦の『新しい小説のために』を、読み始めた。
 以前に読んだと書いた、山本浩貴の『新たな距離』、かなりの部分この二人は同じ視点を持っているように見える、その前哨のような本だ。実際にこの中に引用されていて、書名は聞いていて気になったので図書館で借りてみた。
 金井美恵子が、けっこう前に出した本で、『小説論』というのがある、という引用から始まる……。「新しい」とは何だろうか。新しいものが出てきた、と名指すことは、古いものを自動的に価値の減じたものとして見せる効果がある、金井美恵子は、この古い、あるいは新しいという価値観から遠ざかろうとするのだが、どうの……。という話。
 自分の興味の圏域に触れるものだから、興味深く読み進めているけれども、その一方で、いろいろな部分で覚える既視感について、どうしたらよいものか、という考えも浮かんでくる。「新たな」、「新しい」、何かが変わらなければいけないのだろうか、それが題名に来るほどは、何が新しくなるのか、それはテキストのあり方、「小説」のあり方だ、小説は外部性を巻き込んで刷新されていく、しかし大事なのはやはり小説というものだ、ポストモダンとの距離はどう取ればよいのか、主体とは、対象とは……。
 新しくならなければならないというオブセッションから逃れるには、どうしたらよいものか……。そこまで変わらなければいけないものなのか。時代のどういう部分を踏み台にして、新しいと自分を規定するのだろうか、新しくなった後には、必然的に古くならねばならない、運命のようなものとは、どう折り合いをつけるべきなのか、など……。自分の心のなかからも浮かび上がる言葉はある、大したものではないけれども。

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