【日記】取りて読め、取りて読め

 確か、アウグスティヌスが、ある日子供たちが遊んでいるときに耳にした言葉で、その言葉を聞いて、聖書を読み始めたという話があった。
 子供は、なんら聖なる存在ではない、そのように我々には見えるけれども、アウグスティヌスは、それをお告げのように聞いた。あるいは、そもそも神の力はそこら中にあふれていた、子供が仲介して、メッセージがアウグスティヌスに届いた。
 我々が読むべきもの、言葉は何なのだろうか。

 予告通り、初詣に行った、日付が変わる瞬間、鳥居まで続く列に並んでいた。元気な若者が、だいたい十秒前くらいから、カウントダウンをしていた。スマートフォンでゲームをしながら待っている人もいた。神職に関する噂話をしている人もいた。日付が変わり、年が変わるとともに、六人一列になっている太い列が、進み始めた。

 毎年、初詣の時には、何かしら文芸に関することをお願いするのが習いになっている。あまり叶ったことはない。だが、去年も時間を無為に過ごして、このままでいいのかという気はする。
 去年は本を三十二冊読んだらしい。実に少しずつという感じで、思った何倍も読めていないと感じた。なので、五円玉を放り、手を合わせている間、今年は六十冊の本が読めますように、と願った。

 甘酒を飲んでから家に帰った。甘酒は、青年団、つまりボランティア的な人たちが配っていた。一口分くらいの甘酒の入った紙コップに交じって、ユニセフの募金箱も置いてあった。百円をそこに入れた。

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