見出し画像

放課後は続くよ、どこまでも

 「高校の同窓会って、ヤバい箱が開くかも。パンドラ?」と、いたずらっぽい声で幸子が言った。それは、同窓会主催のビールパーティーの出欠の確認を取るための電話をした私に「出席するよ。」と言った後だった。幸子は、結婚して車で1時間弱の街に住んでいる。
「小学や中学の思い出なんてカワイイものだけど、高校となると結構マジの元カレ元カノとの再会とかサ。」と電話の向こうでガハハと笑っている。
私は、
「いやいや、同窓会じゃなくてビールパーティーだし、おそらく10コ以上年上が中心でしょ、ナイナイ。」と、応えた。
「パンドラの箱なんてナイっしょ。」と続けた。卒業したのはもう40年前だ。本当にそう思っていた。そのはずだった。

 毎夏、卒業した高校の同窓会主催の恒例のビールパーティが開かれる。同窓会の総会後、ビールパーティーが始まるという流れだ。多分、総会の出席者を増やすための苦肉の策だったのであろう。
 北海道の端の端、網走市にその高校はある。校舎の窓の外にはオホーツク海が広がっている。私が通っていたころは、その学区では進学校と言われてはいたが、予備校もない田舎である。北大もしくは、東京の有名私立に受かれば大成功。地頭が良く、真面目にコツコツ努力できるタイプがそこに引っかかるという感じだった。

 今年は昭和55年、平成2年、平成12年、平成22年卒業した中から幹事を出し、春からその準備にあたっていた。参加者の多くは地元企業の経営者や公務員、仕事をリタイヤした壮年老年のおじさんたちというのが常である。元は旧制中学という歴史のある高校だけに、出席者の平均年齢は高めだ。だから、30代のころはそんなおじさんばかりの所で酒を飲んで何が楽しいと思っていた。年上の人たちから回ってくるパー券は、付き合いで購入するが実際に出かけたことはなかった。
 それが、とうとう私にも幹事が回ってきた。そした、昭和55年の第30回卒業生として、還暦を迎えて、そんな気持ちにも変化が出てきた。やるからには、盛会で楽しかったと思ってもらえる会にしたいという気持ちがムクムクと湧き上がってきたのである。自分の同級生にもたくさん参加してもらった方が自分も楽しい。そこでとったのが電話作戦だった。近場に住んでいる同級生に電話をかけまくったのだが、幸子はその中の一人だった。

 いつもは結婚式などに使われるホテルの宴会場には、200名くらいだろうか思い思いにグループになって飲んでいる。立食式の20ほどのテーブルでは、同窓生同士が旧交を温め合っていた。中には、卒業生でもないのにただのビールパーティーとして楽しんでいるおじさんたちもいるようだ。まあ、パー券を捌くためには仕方のないところだろう。

 足りない酒類の補充の連絡を終えて、会場に戻り全体を見まわした。幸子たち同級生グループが陣取ったテーブルあるはずだ。近場に住む気の置けない同級生が10人ほど集ったテーブルが目に入った。幸子が私を見つけて、こっちにおいでよと手招きをしている。幸子に向かって歩き出すと、その2つ奥テーブルから私に向かって手を振っている人がいた。ミックさんだった。
 彼は昔からの知り合い、飲み友達といっても良い。3コ年上の先輩で地元でBARを経営している。そして、今回のビールパーティーで、カクテルコーナーを作るために全面協力してもらった。私は、それに応えるようにひらひらと手を振り、足早に近づいていった。幸子には挨拶をしてくると身振りで伝えた。

 その木の少し重ための扉を開けたのは、まだ雪の残る4月初めの頃、多分5年ぶりだった。ゆっくりと閉まる扉を背にすると、jazzの音に優しく包まれた。久しぶりに訪れた『ジアス』。網走市内では、今や老舗と言われるようになったオーセンティックBARである。20代から30代前半にかけては、週末になるとここに来て、外が白々と明るくなるまで飲んでいたものだった。その頃と変わらぬ風景がそこにあった。
 先客と笑い声をあげていたミックさんは、こちらを見て少し芝居がかったような驚いた顔を見せた後、人懐っこい笑顔で迎えてくれた。若かりし頃は、その個性的な顔立ちはミック・ジャガーを思わせた。だから、「ミック」。高校生のころからそう呼ばれていたという。後輩の私は、それに「さん」をつける。どんなに親しくなっても、呼び捨てにできない。体育会系を通った私にはそんなところがある。
 手触りのいいカーブのついた背の木製のスツールに腰かけると、分厚い一枚板のカウンターには当然のように、丸い透明な氷の入ったロックグラスが店名の入ったコースターの上に置かれた。彼は、手に持ったボトルからお酒を注いだ。フォアローゼズブラックの香りに自然と笑みがこぼれる。
「どうせ、これでしょ。たまには、バーテンダーの腕を発揮させてよ。」と笑顔のまま言うミックさんに、
「ご無沙汰しております。」と少しふざけて馬鹿丁寧なあいさつをした。「100年ぶりじゃないか?」と責める口調のミックさんに、
「今日はお願いがあって参りました。」と、ビールパーティーのカクテルコーナーへの協力を依頼したのだった。

 「今回は、カクテルコーナーへのご協力ありがとうございました。」と、お礼を言って丸テーブルのメンバーを見渡した。ミックさんのお店に毎週のように通っていた頃に顔を合わせていた人たちだった。
「おっ、懐かしいね。」「元気そうだね。」「幹事。お疲れ。」と少し赤くなった顔で口々に声をかけてくれる。んっ?1人記憶にない人がいた。たぶん、知らない人だ。私の視線に気付いたミックさんは、開いた手の指先をその人物に向け
中田新一朗。バスケの1コ後輩。ユッコちゃんが1年の時、3年じゃないか?」
 「ナカタシンイチロウさん?・・・、ナカタシンイチロウ・・・・・。」思い出深い名前だった。こんな顔してたんだ。
「ナカタシンイチロウ、幻の男。」そうつぶやく私に、
「何、『幻の男』って何よ。」とからかうような口ぶりでミックさんが言う。
 『パタン。』想い出の箱が開く音がした。あったわ、私にもそんな箱が。

                         

                           (*続きます。)


この記事が参加している募集

#ほろ酔い文学

6,042件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?