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がんばれ、ニューヨーク。 / ニューヨーク非常事態宣言1年

この記事は、2月末にワニブックスNews Crunchに寄稿したものを、許可を得て転載させて頂き、改題、写真の追加を行ったものです。

https://wanibooks-newscrunch.com/articles/-/1693

〆切でもないとなかなか筆をとれない私なのですが、1年経ったところでこの1年の体験をまとめさせて頂く機会を頂き、ありがとうございました。

2020年という年を、アメリカ合衆国、しかもニューヨークで過ごした。一度はコロナ禍の一丁目一番地となっていた、「世界の首都」で自宅隔離状態の窓から見えた景色は、次々とつきつけられる矛盾に悲鳴を上げ続けるアメリカという国の姿だった。

筆者は、2013年からニューヨークに移住し、デジタルの技術系クリエイターとしてアメリカと日本双方でお仕事をさせて頂いている。移住以来7年、最初は手探りでわからないことだらけだった海外の生活にも慣れ、アメリカという国の「クセ」のようなものもわかり、処世術も身についてきた。

2020年2月、私は出張で東京にいた。ニューヨークに家族を残して、2週間、東京で仕事をしていた。仕事の束の間、久しぶりに日本のサウナに行ってととのっているとき、サウナ内のテレビではダイヤモンド・プリンセス号で新型コロナウィルスが流行していて、乗客が出てこれるとか出てこれないとか、そんなニュースがしきりに流れていた。当時はまだ、新型コロナの話題の中心はこのダイヤモンド・プリンセス号で、アメリカ政府も日本政府の対応を批判していたりとか、そういう段階だった。今思えば、そんな時代もあったんだね、という話だ。

サウナ室で、ぼんやりと、「あ、このウィルス、アメリカに上陸したら中国どころの騒ぎじゃないくらい大変なことになるだろうな」と思っていた。アメリカに住んで7年、アメリカという国が、こんな厄介なウィルスに適切に対処できるようなちゃんとした国ではないことなんて、すっかり承知していた。

アメリカというのは、「置き去りにする国」だ。意思決定のスピードも、変化のスピードもとても速い。いろんなものをどんどん前に進めて、ついて来れない人を待つことをしない。その推進力と雑さが、いろんなイノベーションを起こし、世界をリードしてきたとも言えるが、同時に様々な面で格差を生んでいく。

その格差社会を象徴する最たるものが医療制度だ。有名な話だが、アメリカには国民皆保険がない。病気に罹ってまともな医療を受けるためには高額の保険に加入していなければならない。高額の保険に入っていない病人に処方されるのは治すための薬ではなく、一時しのぎのための安価な痛み止めだ。そしてその痛み止めを濫用する人が急増して、中毒による死者数が交通事故の死者数を上回って社会問題になる。聞いたことがある読者もいるだろう。「オピオイド中毒」というのがそれだ。書くだけでもまるで「北斗の拳」の世界みたいな世も末感だ。この国は、格差やひずみを生むことをいとわずに、いろいろなものを置き去りにして、前に進んでいく。

そんな置き去り社会で、置き去りにされた一部の人たちの大きな支持を得たのが、時の大統領、ドナルド・トランプということでもあった。トランプを支持したのは、この数十年の進歩の中で起きざりにされた地方の貧困層の白人たちだった。トランプは、今まで他の大統領が見向きもしなかった田舎町を丁寧に訪問して歓迎された、という一面もあったらしい。しかし、そのトランプがとった政治は、置き去りにされてきた人を支援する代わりに、他の人たちを置き去りにするものだった。移民やアフリカン・アメリカン、女性、LGBTといった様々なマイノリティにとって、自分たちが住む国のリーダーが、自分たちを守ってくれるどころか、堂々と排斥しようとしてくるのだ。悪夢としか言いようがない。国のリーダーに「お前たちはいらねえ」と堂々と示されたときの悲しさ、これは体験しないとわからない。日本の人々に、なぜアメリカであんなにもトランプが嫌われているのか理解できない人が多い理由はそこにもあるだろう。私も、私の家族も「移民」ということになる。2016年からこのかた、住む国のトップに「いらねえ」と思われながらこの国で暮らしてきた。その状況って、めちゃくちゃに心許ないし、自分の身は自分で守るしか無いようなディストピアなのだ。

そんな、置き去り主義をぶん回す国が、まともにこの厄介なウィルスに対応できるわけがないと思っていた。「これがアメリカに来たらひどいことになるぞ」。私は日本のサウナ室で、しかし「来ないといいけどなあ・・・」なんてぼんやり考えていた。

その1ヶ月後、私はニューヨークの自宅で呼吸困難に苦しんでいた。出張から帰国後、3月上旬にウィルスがニューヨークにも上陸。3月中旬には感染が爆発的に増え、非常事態宣言が発令。外にも出られなくなり、気づいたら高熱を出し、嗅覚が無くなり、家族全員体調を崩して倒れた。我が家は早速、新型コロナウィルスに感染してしまったのだ。このあたりの経緯は別途文章にさせて頂いたものがあるのでこちらを参照されたい。

新型コロナウィルスによる体調不良に苦しむ中、ニューヨークの街は日に日に深刻な状況に陥っていた。いつの日からか、毎晩19時から、医療従事者やエッセンシャルワーカーに感謝して街中で拍手喝采をする習慣が始まった。財力がある人たちは、どんどんニューヨークから避難した。ここでも、その力がない人たちが「置き去り」にされた。医療施設はパンクしていた。私自身も、医師から、無理して病院に行き、ケアを受けられないよりも、自宅でどうにか療養することを勧められた。1ヶ月前に東京のサウナ室でぼんやり危惧した以上の事態が起こっていた。

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4月、体調が戻り、嗅覚も戻って、緊張感のある社会状況をバカにしたようなうららかな春の日に、1ヶ月ぶりに家の外に出た。そこは、人も車もまばらな、置き去りにされたニューヨークだった。公園などの屋外を歩くことは禁じられていなかった。セントラル・パークを自転車で一周してみることにした。途中、感染者を緊急収容するためのテントが広場に立ち並んでいた。遺体を収容するためのトレーラーも目にした。街から、ミュージカルも、ジャズも、美術館も、すべてなくなってしまっていた。

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こんなにも悲しみに包まれたニューヨークは経験したことがなかった。

本来自分たちを守ってくれるべき大統領が、新型コロナウィルスのことを「チャイナ・ウィルス」と呼び、私たち東洋人への差別が目立つようになってきた。私も街で、「あなた中国人?」なんて、顔をしかめながら聞かれたりもした。

5月になった。少しずつ、気候が暖かくなるとともに人々も外に出歩くようになった。私も子どもたちを公園に連れて行って遊んだりするようになった。ある週末、子どもたちと公園で遊んで、帰りに近所でフローズンヨーグルトでも買っていくかと大通りに向かった。すると、ヘリコプターが頭上でホバリングしていてうるさいことに気づいた。

「何かあったのかな?」と思ったらすぐに、人の波が大通りを埋め尽くしてこちらに迫ってきた。2月以降、こんなにも多くの人を街で見たことがなかった。数日前の警官によるジョージ・フロイド殺害事件を引き金としたBLACK LIVES MATTERの抗議運動だった。最初、彼らが何て叫んでいるのか聞き取れなかった。一緒にいた現地の学校に通う中学生の息子が「Black Lives Matterって言ってるんだよ」と教えてくれた。

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入ろうとしたフローズンヨーグルト屋さんの店員さん(アフリカン)が仕事そっちのけで店の外に出てきて、デモ行進に喝采を浴びせる。歩いている人たちだけではなく、自転車に乗って大群で高スピードで進む人たちもいた。街中の人々が南(街の中心部)に向かうデモ隊を応援していた。

例によって、事態がどんどん進行するのがこの国であり、この街だ。報道の通り、デモは日を追うごとに激化し、数日後には夜間外出禁止令が出てしまった。ニューヨークで一緒に仕事をしている人とも連絡が取れなくなった。後で聞いてみると、仕事せずデモに参加していたらしい。そんな人も周りにたくさんいた。少なくともニューヨークでは、BLMを支持する人は多かった。しかし一方で、中心部の高級品を扱う店舗などは襲撃され、破壊された。

ニューヨークを出る財力も余裕もない人たちが置き去りにされた街、もとより治安の悪化は明らかで、友人が経営する店舗が壊されたりという話も聞いた。非常事態宣言以降で鬱積したストレスが、BLMをきっかけにして爆発していた。

その真っ只中、ミッドタウンにある日本領事館に行く用事があり、渦中のニューヨーク中心部に行く機会があった。ほとんどのお店はベニヤ板で保護されて、静まり返っていた。入口を塞がれてお店ではなくなってしまったお店たちは、墓石のように静かに街に並んでいた。「歴史的な光景って、こんな光景のことを言うのだな」なんて思った。

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一方で、子どもたちの学校は、3月初旬以降、年度末となる6月末まで完全にリモートラーニングに移行、新しい学年が始まる9月に再開するかどうかもわからない、という状況だった。

公立学校のリモートラーニング対応はとても速かった。もともと授業では、オンラインで宿題を管理したりできるGoogle Classroomが活用されていたのもあり、それをそのままリモートラーニングに活用することで、迅速なリモート移行が行われた。そこからの展開もアメリカらしく、良くも悪くも速かった。最初はオンライン授業にはzoomが活用されていた。zoomの使い方がわからない親や生徒もたくさんおり、混乱しながらもどうにか対応しようとみんな頑張っていた。ところが数日後に、zoomのセキュリティ脆弱性がニュースになると、学校側もすぐに対応してオンライン授業を一斉にGoogle Meetsに切り替え、生徒も親も朝令暮改に振り回されることになった。

結果として、そもそもネット環境が弱い / 無い家庭やITに強くない家庭の生徒が置き去りにされる。アメリカは、良くも悪くもいつもこれで、物事の進行が速い代わりに、ついて来れない人たちがついてくるのを待つ、ということがあまりない。そしてそこに生まれた格差がまた、じわじわと膿を生んでいく。

6月末、子どもたちの学校が終わり、9月に再開するまで家族で日本に帰国することにした。再感染のリスクにしても、日本にいたほうが圧倒的にリスクは低い。

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検疫の様子(驚いたことに、過去の感染のことを尋ねられもしなかった)、成田空港の様子、帰国後2週間の隔離期間の生活から何から、いろいろ書けることもあるが、本稿はニューヨークでの生活についての記事なので、またの機会にさせて頂く。

8月末、9月から子どもたちの学校が再開する、しかも、完全リモートではなくクラスを2分して、部分的に学校に通えるようになるということで、ニューヨークに戻ってきた。

2ヶ月ぶりのニューヨークは、すっかり外に出る人も増えて、19時からの拍手・喝采タイムもいつのまにかなくなっていた。そして、9月から始まると言っていた学校が、教師の反対などがあって、なかなか始まらない。グダグダな感じになりながらも、10月にもなろうかというタイミングでようやく学校が再開。

そして、その頃には、すべての注目は一つの事に集まっていた。言わずもがな、大統領選挙だ。

トランプ大統領の滅茶苦茶な言動はとどまるところを知らなかった。トランプ大統領自身が新型コロナウィルスに感染する直前だったか、いつも信じられない発言ばかりしてきたトランプが、輪をかけてとんでもない発言をTwitterで発信した。私たちが住むニューヨークは、人種構成も複雑で、もとより都市部であり、民主党支持者がほとんどだ。ゆえに、トランプ支持者は全然いないと言っていい。そんな、自分を支持しないニューヨークに対して、「ニューヨーク、地獄に落ちろ!」とツイートしたのだ。

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前述した、日本にトランプによる選挙結果の陰謀論などを信じる人達がたくさんいる理由には、「一国の大統領なんだからこの人のやっていることには何らかの深謀遠慮があるのあろう。大統領というくらいなのだからそこまで滅茶苦茶はしないだろう。」という、日本における常識に基づいた予断があるのではないかと思う。そのへんの温度感がアメリカに住んでいる人とそうでない人とでは全く違う。トランプ元大統領という人は、自分の国民に「地獄に落ちろ!」と言い放つ程度に、あまり何も考えていないし、その後の展開を見ても、何の戦略性も持たず行動・発言していたことは明らかだ。

何はともあれ、私たち、春先からの苦しみを乗り越えつつあったニューヨーカーたちは、「地獄に落ちろ!」と現職大統領に罵られることになった。それどころか、ニューヨーク州は春先から、ニューヨークを敵視するトランプ大統領によって、医療物資の援助に非協力的な対応をされたという話もある。「置き去り」だ。

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この街に移住してきてから最も寂しいハロウィンを家の中で過ごした後すぐに迎えた11月3日の投票日から5日後、土曜日のお昼前に歯を磨いていると、投票日以降つけっぱなしにしていたCNNが、バイデンの次期大統領当選確実を伝えた。

次の瞬間、家の外から轟音のような歓声が巻き上がった。叫んでいる人もいる。楽器を鳴らしている人もいる。クラクションが鳴っていた。

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「地獄に落ちろ!」と言われた人々による喝采は夜になるまで鳴り止まなかった。この日ばかりは、誰もが外に出て、笑顔を交わしていた。

その日の夕方、氷を買いに行く必要があって、近所のメキシコ系スーパーに行った。「where is ice?」と店員さんに聞いたら、英語がわからなかったらしく、戸惑っていた。すると、近くにいたおばあちゃんが、スペイン語で「yelo(氷)のことよ!」と伝えてくれた。私が「そう。yeloをください!」というと、そのおばあちゃんが、満面の笑顔で、「スペイン語上手ね!」と言ってきた。

そんな何気ないやり取りすら久しぶりな気がする。この4年、そんなやり取りも気軽にできないほどのディストピアに私たちはいた。そうだ。そういえば、ニューヨークって、こんなやり取りに満ち溢れた楽しい街だったんだった。ニューヨークが戻ってきた感じがして、少し涙が出た。

こんなにも喜びに包まれたニューヨークは経験したことがなかった。

しかしそのすぐ後にはウィルス感染者の再増加により、レストランの屋内ダイニング禁止と学校の再閉鎖が決まった。死者もまた増えた。1月のワシントンDCでの暴動をはじめとして、アメリカの混乱はとどまるところを知らなかった。

新型コロナウィルスがやってきて以降、アメリカには、歴史の中で置き去りにし続けてきたもののツケが容赦なく襲いかかり、どん底に突き落とされた。アメリカという巨人の上で生活しながら、その巨人が疲れ果てて崩れ落ちようとする音を聴くような気分だった。「もうこの国はダメだ」と、何度も思った。

アメリカは、まだまだ消化しきれない「置き去りにしてきたもの」を抱えて虫の息で前に進もうとしている。ニューヨークには美術館は戻ってきたが、ミュージカルもジャズもまだまだ戻ってきていない。この国にとっての、これからの数年は、自らが置き去りにしてきたものと誠実に向き合って新しい国をつくる数年にならなくてはいけないのだと思う。置き去りグセが身についたこの国にとっては、苦難の道になるだろう。しかし、いま、この国はそれに向き合うためのチャンスを得たとも言えるのかもしれない。

がんばれ、アメリカ。がんばれ、ニューヨーク。


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