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0228「T先輩ありがとう」

そんなわけで、今回の仮LAオフィスは普通にパサディナの郊外にある、取引先のオフィスの庭先で作業させてもらうことにした。ロサンゼルス温暖すぎてやばい。

高校一年のときに、二カ月だけサンフランシスコの郊外のサンタクルーズという街にホームステイしたことがあって、それはいつぞやも書いたのだが、部活の嫌いな先輩が引退するまで逃げるためで、例によってネガティブな動機だった。

が、この二カ月の経験はもちろん日本を出たことがない高一の少年にとっては人生を変える経験だったし、初めて飛行機の窓から見えた大陸の風景も、二カ月通った学校からの帰りに涙が止まらなくなってしまったときの涙の匂いのようなものも、その間に起こったいろんな細かい体験も、だいぶ忘れられない。

で、そのときに刷り込まれているのが、「カリフォルニアの匂い」というやつで、これはたぶんなんらかの洗剤かなにかの匂いなのだが、近くのラスベガスにいってもこの匂いはしないが、サンフランシスコでもロサンゼルスでもカリフォルニアのどこかの家とかホテルの廊下とかに行くと香る匂いだ。
で、ロサンゼルスに来るとあの「カリフォルニアの匂い」がするので、とてと懐かしく感じる。当時の自分にはこのへんに来ることは大冒険だったので、なんかそれは冒険の匂いというやつでもある。

清水家は、伝統的に「移動したくない」家系だ。父方の祖父は、伊豆の韮山で旅館をやっていたが、後半生、ガチで全く旅館の敷地内から一歩も出ずに過ごした。私も、祖父が敷地外に出たのを全く見たことがない。

父は父で、新しい場所に行くことに緊張を伴う人なので、60代も後半になろうとしていた昨年になって、私が無理矢理連れ出して台湾に連れて行った。これが彼にとって初の飛行機での移動かつ海外体験だった。

発達障害は遺伝する。私は医者に診断されている折り紙つきだが、私からすると、父や祖父の方がよっぽどそっち寄りだと思うし、徐々に薄まってきているくらいに思える。それはさておき、とにかく移動しないのが清水家だが、私の代で突然変異的にものすごい移動する人が生まれた。つまり私は常に移動するタイプの人間になった。

そもそも海外に暮らして仕事しているし、思えば数え切れないほどの国を訪れている。

そのきっかけになったのは間違いなく上記の高一のときの留学で、それまでは私も全くどこか新しい場所に行くことに積極的な人ではなかったし、自分の家でしか眠れないようなタイプだった。しかし、嫌いな先輩から逃げた勢いでアメリカに渡ってしまうことで、清水家の呪いを断ち切ることになったのだ。これは、私にとってだけでなく、清水家にとっての事件だった気もする。

何事も、呪いを断ち切るのは面倒くさくも、楽しいことだと思う。

自分の場合、仕事でもそうで、クリエイティブの師匠筋が、カンヌ獲って審査やって有名クリエイティブディレクターになって、独立して、みたいな感じで前に進むのを見ていて、同じことやってもしょうがないということで、途中からズラしにかかった部分がある。

海外に移住したり、クリエイティブディレクターをメインジョブとしてはやらなくなったり、ということだ。もはや完全に運命を別の方向に曲げた感を実感している。同じ方向に進むことは可能だった。高一のときにこのカリフォルニアにやってきたことが、呪いを断ち切る人生のファーストステップだった。

なのでどういうことかというと、こんな人生を送れているのはすべて、高一のとき嫌いだったT先輩のお蔭で、彼には感謝しかない。何でこの先輩のことが嫌いになったのかは面倒くさいので説明しない。彼に言えるのは、

「利根先輩、あんたのお蔭でここまで来れたけどお前のことは嫌いだし、絶対に許さないし、どちらかといえば不幸になってくれ! 粘着でごめん、あと実名出してごめんな! くたばれ茶髪クズ野郎!」

ということだ。

ロサンゼルスの温かい風が頬を撫でる。4日前に思いついた絶対に成功するビジネスのアイデアについては、どんどん自信がなくなってきている。明日は書く。