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0117「NY子育て日報・5日目」

朝起きたら驚愕した。8時17分。一昨日は8時1分に起きて、完全に遅刻だった。そんな中、8時17分というのは絶望感しかない数字だ。何しろ、次男の学校は、8時20分に教室にいなければ遅刻ということになるのだ。今日は、長男も次男も長女もぐっすり寝ていた。家族一同で完全寝坊だ。とはいえ、もう私はだんだんこの感じに慣れてきていて、「わかった! 我々は遅刻した!」と開き直り、もはやいつも通りの朝の準備を(急ぎつつ)ちゃんとやることにした。

30分遅れくらいで家を出た。家の中では気づかなかったが、今日のニューヨークはものすごく寒い。-6度の体感は-12度だ。黙って立っているだけで手袋が必要なほど、しばれる状態だ。学校に向かう道すがら、長女が「寒い!!」と言ってブチギレていた。

壮大に遅刻した次男をどうにかジュリア先生に渡し、長女の幼稚園(日系)に移動して長女を預ける。先生が、長女の靴下が左右別のものであることに気づいて「オシャレですねー」と言ってくれた。寝坊した関係で、そのへんにあった適当な靴下を履かせたのだ。私自身も急いでいるときは靴下の左右対称性など気にしないし、子どもたちもそんなことは気にしなくて良いように思う。いやむしろ、そういう、寝坊した自分を受け入れてその状態・物語を着こなすのがファッションというものだろう。ファッションにはその人の生活や歴史が投影されるのだ。

家に戻って、仕事上のプチトラブルを収拾する。ちょっと会社の入出金の気になる部分をチェックしなくてはいけなかったので、そのへんの作業をやっておく。結果として今日も打ち合わせに遅れつつ、早めに退出させてもらった。

完全に忙しい。正月からラスベガス出張の間に自分にまとわりついていた正月気分は、きれいさっぱりなくなっている。

次男を迎えに行く。この週末は雪が降るらしいと先生が言っていた。長男のピアノの発表会があるから心配だ。

続いて左右別々の靴下を履いた長女を迎えに行く。今日は、凧のような工作物をつくっていた。先生によると、今日は「パイナポー体操」を一生懸命踊ってくれたらしい。後で家でもYouTubeで流してあげてくださいと言われた。

今日は金曜日で夜に日本とのミーティングが無い。ゆえに長女の幼稚園からちょっと行ったところにある韓国スーパーに行くことにした。本当は日系スーパーで日本食材を調達したかったが、家の近所に日系スーパー無いので、週末どこかのタイミングに子どもたちを連れて行くのかなと思う。

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韓国スーパーに向かう途中、なんとなく、次男に、「1兆円あったら何を買う?」と聞いてみた。というのも、時勢柄必然的にというか、朝、会社の経理作業っぽいことをやっていて、資本主義ってなんだろうなって思って、自分にはお金で買えるような欲しい物がそんなにないな、とかなんとか考えていたからだ。

「仮面ライダーのベルト全部」とか「シンカリオンのプラレール全部」とか、そういう系のが続いた後に、ちょっと考えて「クルマ!」「家!」と来た。ああ、5歳のこの子でも、お金があるとクルマや家を買うのだなと思った。しかし、その後に、しばらく考えた挙げ句「・・・たこ焼き」と言ったので、まあまあ安心した。しかしやはり、人に何かをあげるとかそういうことにはならないんだよなあと思ってさらにいろいろ考えたりもした。

韓国スーパーでは韓国海苔や子どもたちが欲しがった日本のお菓子、韓国フライドチキンやコーン茶などいろいろ買いつつ、1つ目に止まったのが、韓国じゃないけど四川のおつまみ麻辣豆腐みたいなやつで、これは日本とかではあんまり売っていないやつだ。豆腐なのだが、激辛成分にマリネートしてある。麻婆豆腐に似た字面だが、全然違って、もうちょい酒のつまみっぽい感じのものだ。

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懐かしくなってしまってこれも購入した。なぜ懐かしいのかというと、20数年前、22くらいの頃に生まれて初めて中国を旅行した際、成都から昆明に向かう寝台列車に乗った際に、隣の寝台に寝ていた髭面のおじさんが「食え食え」と言ってくれたのを鮮明に覚えているからだ。おじさんと2人くらい仲間がいたのだが、皆さんは北の方の青海省から建設の仕事で来ていたという話で、なんか大きな土木工事の現場の人たちだった。そのときの寝台列車が本当に楽しくって、私が日本人だとわかると、列車中の人が見にやってきて筆談しに来たのを覚えている。今では日本人なんて珍しくないだろうが、20数年前の中国の四川とか雲南には、日本人なんてあんまりいなくって、いろんなところで珍しがられた。

というあの日の寝台列車を思い出して、麻辣豆腐を買うことにした。自宅に着いてすぐに食べてみた。人間っていうのはすごいもので、寝台列車で過ごした時間が映像的によみがえってくる。あのとき果敢にも中国の10何時間もかかる二等の寝台に挑んでいろんな中国の人たちと筆談をして感動していた青年は、中年になりニューヨークに引っ越して、子供たちに「何食ってんの?」と訝しがられながら麻辣豆腐を咀嚼している。これは、結構良い人生を送れているのではないか、と思ったりした。

さて、金曜日なので夜の打ち合わせがない。仕事の作業時間も調整できる。というわけで、やるべきことは決まっていて、溜めていた洗濯と部屋の掃除、洗い物などなどの家事全般だ。

そこで結構重大なことに気づいたのだが、洗濯も掃除も洗い物も、時間やお金に余裕がないとできない、つまりある種の「贅沢品」だということだ。昨日までの4日間、ちょこちょこ洗い物したり、気になるものは片付けたりしていたが、仕事をしながら最低限のライフライン、つまり食事をケアしながら学校の送迎なりいろんなことをやっていると、家事をやる時間なんて、意識してつくらないと無いのだ。無理だ。

お手伝いさんでも雇えるなら金で解決できるのだろう。が、そういう余裕はないし、時間は言わずもがな無い。我ながら結構忙しく仕事をしている自覚はあるので、この日報に書いてあるとおり、基本的に午前3時まで仕事をやって、この日報を書いてちょっとだけ酒を飲んで4時に就寝、という日々が続いている。子育てのライフラインを守りながら、日中人と会ったりして、夜作業したりしていると、そうなる。家事なんかやってたら睡眠時間を取れない。

いつもは妻が多くのことをやってくれて、私は掃除と洗い物を担当している、が、結論としては子供の相手をしながら生きていると、洗濯物や部屋のゴミ(子供というのは信じられないほどの速度と濃度で物を散らかす。複数いると掛け算で散らかる。)、洗い物は不良債権のように積み上がっていく。

だから、今日の夕方から夜にかけては夕食をつくりながら溜まったものをすべて片付けることに決めていた。

幸い自分はそういう時間ができたが、世の中には共働きだろうがシングルだろうが、日中も夜も仕事をしながら子供を育てている人というのはいて、お金的にも時間的にも追い詰められていくと、きっと掃除も洗い物も追いつかなくなって、環境がガンガン荒んでいくのだろうというのはリアルに想像できてしまった。掃除も洗い物も、しなくったって死にはしないから優先順位は下がる。しかし、掃除も洗い物もしないでいると、家族に漂う空気はどんどん悪くなるだろうし、暗くなっていく。一人暮らしなんかだったら自分で受け入れれば良いからそれで良いが、子供がいる環境でそれをやってしまうと、その暗さはどんどん家族の中に沈殿していってしまうだろう。

私は恵まれているから、それにあんまり気づいていなかった。掃除や洗い物ができる、つまり環境を整備できるということは、余裕があるということなのだ。

そんなことを思いながら掃除や洗濯をやっていた。なんせ不良債権が溜まっているのでめちゃくちゃ時間がかかる。子供たちはまあ手伝わない。次男などは、妻が東京に旅立つ前に「僕が毎日掃除をする!」などと言っていたのに、「掃除してくれるんじゃなかったの?」などと言ってもわりと無視される。

そうこうしているうちに、トイレに行こうと思ってトイレの前まで来たら、トイレ前の床が水浸しになっている。驚いてトイレのドアを開けると、次男が出てきて号泣し始めた。トイレを詰まらせて何度も流そうとしたら水が溢れてしまって、怒られると思ったのか自分でどうにかしようとして事態を悪化させていたらしい。

あちゃーと思ったが怒らずにズッポンを取りに行って詰まりを解消し、古そうなタオルを集めて掃除をする。次男にとっては初めての体験で、驚いたのだろう。

そのへんに脱ぎ捨ててある上着なども全部片付ける。長男の上着のポケットには、常にいろいろなものが入っているのだが、腐りかけのリンゴとか仮面ライダーベルトにつける何某かとかが混在していて、彼の上着だけは諦めた。長男は日曜がピアノの発表会なので、ピアノを練習しろと言ってやらせたら、結構引っかかりまくってボロボロだった。「いつもと違う弾き方をした」とか言い訳をしていたが、結局私に命令されたことで調子が狂ったなどと怒りはじめてやめてしまった。発表会は、せっかくなのでYouTube LIVEで配信してやろうかなとか思っている。

洗い物をしていたらシンクが詰まって水が溢れた。今日はこれは水難の日なのだなと思った。

夕飯は、もともと残っていた味噌キムチ鍋のベースを使って鍋をつくった。子供たちは辛いものを好まないが、そんなに辛くないやつだし、「食いたくないなら食うな! 明日まで我慢しろ」くらいに思ったりもするので、つくって、「韓国の子供はこんなんばっかり食ってるんだから食え」と言って食わせた。

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長男はいつもはこういうものを食わず嫌いするが、腹が減っていたようで口にしたところ、キムチチゲの良さに気づいたらしく、「うまいうまい」と言ってご飯にかけて食っていた。次男と長女は、ちょっと箸をつけてふりかけご飯ばかり食っていた。

自分でも食べてみて、やや薄味だがまあまあうまいな、と思っていたところ、ほんのりとした違和感、アジアンなものを食っているのに、ちょっとした西洋風味が入っていることに気づいた。なんだろうこれ、と思ったら、一昨日余らせてモチベーションを失っていたリーキ(西洋ネギ)だった。タダのネギじゃんと思って片付けるつもりで鍋に入れたら、アジアンな食材に囲まれることで西洋出身たる自己を主張し始めた。料理というものの奥の深さというのはこういう作用なんだろうなと思った。

長男は最近、昼飯を学校の友達と外食しているようなのだが、近所のチャイニーズレストラン(ニューヨークには、激安のチャイニーズが街にちょこちょこ点在していて、ベタベタのチャーハンとかを安価で食える)に行ってそれなりにスパイシーなものを食っているらしく、そういうアジアンフレーバーに慣れつつあるらしい。

そういう話を聞いたりとか、夕飯中に、「マイクロウェーブのドア開いてるから閉めて」と言ってきたりするのを聞くと、ああこの人帰国子女っていうか、アメリカ人になってるな、と思う。「電子レンジ」という言葉が思いつかなくって英語で「マイクロウェーブ」なんて言っているのだ。その他にも「恐竜」が思い出せなくって、「ダイナソー、って日本語でなんだっけ?」みたいなことをよく言っている。

東京の妻にLINEして、シンクの詰まりを解消する方法の教えを請う。こことそこにクエン酸と重曹があるからそれを両方シンクに入れて泡立てると通る、みたいな指示をもらった。我が家にクエン酸なんていうものが常備してあったのが驚きだし、妻は家の中の現象を相当な高解像度で意識して生きているのだなと思って、感心した。

掃除と洗濯と洗い物という贅沢行事を概ね終えて、長女に、幼稚園の先生から聞いたパイナポー体操を見せた。途中に入るサックスソロがかっこよかった。

洗濯物を畳んでいて気づいたことが一つあって、それは、長女と次男の洗濯物はそれなりに出ているのに、長男の服が一切出ていない、ということだ。一枚も洗濯されていない、それはつまり一枚も洗濯に出ていないということで、問い詰めると月曜から寝るときも含め全く着替えていないことが判明した。

私もそういうところがあるので全く人のことを言えないし、似てほしくないところばかりが似るものだが、「着替えろよ!」と叱ったら爆笑していた。私はこんなに親のことをバカにしていなかった。そのへんはバージョンアップしている気もする。

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